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目の前の筋肉に見惚れた。
段ボールを運ぶ度に、浮かび上がる力こぶ。
額から溢れ落ちた汗が顔を滑り落ち、顎から床にぽとり、と落ちる。
「荷物これだけですか?」
「は、はい!」
私は黒田詩(うた)。今日、このアパートに引っ越しをしてきた。4月から働く美容院に近いから選んだアパート。なるべくお金をかけないように、荷物は自分の車で運ぶ事にした。
段ボールを持って、階段を上がってはまた車に戻る。その繰り返しをもたもたしていたら、彼がヒョイッと段ボールを持ち上げてくれたのだ。
「ありがとうございました!助かりました!」
お礼を言うと彼は、ボサボサの髪を掻きながらとても照れ臭さそうにしている。その髪は目元を隠しそうなぐらい長い。こういう髪型の人を見ると、「切ってあげたい」と美容師魂がうずうずしてくる。
「僕はこれで!」
そそくさと帰っていく背中に、私は声を掛けた。
ポケットから出した美容院のショップカードを彼に渡す。彼はびっくりした顔でそれを受け取る。
「私、ここの美容院で働くんです。もし良かったら来て下さい」
「え、あ、は、はい。気が向いたら。僕は昨日引っ越してきた、天野洋(よう)です。それじゃあ」
顔を赤らめ、走り去っていく大きな背中を眺めた。
彼の腕、太かったな。
手の甲の血管も浮き出ていたし、力こぶも凄かったな。すごい力もちだったし。
彼の名は天野洋くん。同じアパートの住人。
実は、私は……
筋肉フェチなのだ。
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