第一章 揺り籠

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「此度は落札おめでとうございます、此方が落札商品の一覧および詳細になります」  この世で最も見たくない書類の束が来た、と男に差し出されたそれにアルティカはフードで顔を隠している事を良いことに顔を思い切り歪めた。しかしどんな形であれ買い手である以上、必要な事だ。渋々と言った様子でアルティカはそれを受け取っては、軽く目を通し始める。名、種類、経由、出品者…どれも把握しておくべきだろう重要な情報に違いはないのだが、見ていて気持ちの良い物ではないのは確かだ。 「それで…大変申し訳ございません、実は商品が破損致しまして…」 「………破損?」 「はい、商品ナンバー106が今朝、何者かによって破壊されているのが見つかりまして…」 「(…本当、道具みたいに言いやがる)」  フードの下でちらりと視線を動かすも、その犯人は今この場には居ない。今此処でこの男を責めたところで、何にもならない。故にそうか、と白々しく言えば男は深く頭を下げた。この男が何か悪い事をしたわけではないだろうに―――否、"揺り籠"の競売に関わっている時点で法的には黒だが。 「ナンバー106の商品を除外した上での合計金額は最後のページに記載させて頂きました。…支払方法は如何なさいますか?」 「………アルフネスのキルスカ家にまとめて請求してくれ………」  パラ、と言われた通り最後のページを開いたところでアルティカは眩暈を感じてそれを閉じた。桁違いとはまさにこの事だ。この額を自分で払えと言われても無理だ、今この場で払えと言われたらもっと無理だ。訳も分からず嘔吐感を感じた。それを必死に飲み込みながら、では、と男が差し出した紙とペンに手を伸ばす。キルスカ家の名を二枚の書類に記し、内一枚を領収証代わりに受け取る。 「商品の搬送は…」 「ああ、要らない。下手なのに任せて途中で盗賊にでも襲われたら、堪ったもんじゃないからな」 「…左様でございますか」  こっちで用意した、と言えば男は軽く肩をすくめるだけだった。元々全て落札する予定だったのだ、相応の支度はしてきた。全137品、破損した一品を除き全て予定通り全て落札だ。全ての商品を積んで戻るには、酷く時間が掛かるだろう。護衛二人の負担を減らすためにも自分は大人しく先に帰るのも手だろう。と成れば、緊急性の高い者だけでも先に連れて帰ろうか。 「(女子供を中心に、怪我人とヤバそう奴は先に)」  今一度開いた書類を元に、地道に選別していくしかないだろう。改めて書類の中身を適当に捲った時だ、ふ、とそれを見つける。商品ナンバー98、特別何かに秀でた"揺り籠"ではない若い少年は、この世に多く存在する普通の"揺り籠"だ。…否、"揺り籠"自体が普通ではない、のだが。案の定、あの少年はアルティカと同い年だった。書類には基本情報の上に、死亡による破損の字が上書きされていた。 「…街の西口に人を用意させてある。女子供と、怪我人や病人を優先的に運んでくれ」 「かしこまりました」  男にそれだけ言い残して歩き出せば、ミフェリオもまたそれに続けて歩き出す。朝だと言うのに、複雑な街中に位置するこの建物はその光が届かず薄暗い。内、一枚の扉を目指して進んでいく。途中アルティカはミフェリオに領収証を託せば、彼はその額を見たくはないと言った様子で早々に折りたたむと荷袋の奥に仕舞い込んだ。 「…98番」 「…分かった」  番号を言えばミフェリオはそれだけで理解してくれたらしい、何を問う事もなくただ静かに答えた。記憶が正しければ他はさほど緊急性は高くはないように見えた。それでも一応最初から書類を見返しながら歩き続ける。足元に気を付けるようミフェリオから忠告が飛んでくるが、その返事は案の定生返事だ。やれやれ、とミフェリオが肩をすくめる。少し長い通路を渡った先は、外に繋がっていた。室内に収められているかと思いきや、野外らしい。一体誰が掘ったと言うのだろう、相応の広さを誇る穴の底に全ての商品が納められていた。入り組む街の中、ぽっかりと存在する閉鎖的な空間はまさに牢獄だ。その穴と周囲に立ち並ぶ建物が牢の役割を果たしているのだろう。天を仰げば空は見える事から正午には此処にも日差しが直接届くようだが―――見張りらしい二人ほどの大男が、二人を睨み下ろした。それに対してミフェリオが彼らを睨み上げようとして、遮るようにアルティカが手に持っていた書類を持ち上げた。その手の書類を確認するのは慣れているのだろう、男たちは意外にも直ぐにその道を開けた。しかし随分と場違いな、とまだ子供と呼ばれるだろう少年二人に男たちは訝しげにその背を見送った。見下ろした牢獄は、血生臭い匂いがした。ウィルオンが言っていた匂いだ。ふ、と一度そこでアルティカが足を止めた。何事かとミフェリオもまた足を止めれば、アルティカが一度深呼吸をすると残りのページを急ぎ足で確認して行く。 「126番」  最後にアルティカは二つ目の番号を口にすると同時に、手にしていた書類もまたミフェリオに託した。その二つを直接持ち帰ると言う事だろう、途端にアルティカは急ぎ足で穴の中へと続く階段を駆け下り始める。到着と同時に集まった視線は、素人でも分かる。絶望、殺気、憎悪、羨望―――つい昨日、会場で感じたそれとよく似ている。荷運びが始まるのか、といった様子の視線は二人の少年に集っては散っていく。その視線に構うことなく、アルティカが小走りで数多の牢を潜り抜けて行き、暫くしてから98の番号がぶら下がった牢を見つける。中心に転がっていたのは、布に包まれた何かだ。極僅かにミフェリオが息を呑んだ吐息が、沈黙の世界に響いた。それさえ振り払ってアルティカは事前に受け取っていた一本の鍵…マスターキーで牢を開けば、キィ、と寂しい音と共に牢が口を開いた。傍にしゃがみ込んでは、一度迷った指先がそっと布越しに少年に触れた。その顔は、フードに隠れて見えなかった。暫しの沈黙の後、アルティカはその少年を両の腕で優しく抱き上げた。まるでガラスを扱うかのように、丁寧な動作でだ。 「良い、俺が運ぶ」  自分が、と申し出ようとしたミフェリオだったが、喉から声を出すよりも早く釘を刺された。確かにミフェリオが護衛である以上、彼の両腕はいざという時の為にあけておくべきだろうが、しかし。二回ほど何かを言おうとして、結局出てこなかった。速足にアルティカが牢の外へと出て、更に奥へと向かい始めたからだ。ジャラ、と布越しにぶら下がった手足を未だに縛るそれは、酷く重かった。けれど、その身体は酷く軽かった。何の病を持っているかも分からないその身体を、主人に触れさせることは当然良くない事だ。しかし、恐らくこの場にウィルオンが居たとしてもアルティカを止める事は出来なかっただろう。また少しして、目的の牢―――126の牢に辿り着いた。急ぎ足で来たからか、僅かばかりに息が切れた。その足音が自分の牢の前で止まったからか、膝を抱えていた一人の"揺り籠"が目を覚まし、顔を上げた。酷く汚れた顔をした、少女だった。年齢は、丁度同い年くらいだろうか?濁った瞳が、アルティカを見上げた。 「………―――………あ、」  その瞳がアルティカの抱えるそれを見て、絶望に染まり凍り付いていく。まるで、心臓を抉られたかのような。震える指先が伸ばされ、座っている状態だと言うのにバランスを崩した少女はその場で一度転んでは身を持ち上げる。 「…ぁ……ぁああぁあ、あぁ…っ……!」  ジャラジャラとその動きに合わせて鎖が動き、乱れた長い髪が揺れ、瞳が零れそうな程に見開かれていく。細い指先が牢を掴む前に、アルティカは鍵を開けてその口を開かせると、その場にしゃがみ込んでは少女に抱えてきたそれを差し出した。ガタガタと震える指先が伸ばされ三呼吸もの葛藤の末、少女は少年を手繰り寄せ胸に抱いた。 「あ…、ぁ……ぅ……―――っ、うわぁぁぁああああぁあ!!」  ぷつん、と糸が切れたかのように少女は監獄の底で泣き叫んだ。―――身内か、とミフェリオは茶色の瞳を細めながら理解した。その声をただただ黙って聞き、その涙をただただ目の前で見つめる彼は、何を想ったのだろう。少女は泣き続けた。泣いて、鳴いて、ないて、泣き叫んだ。ボロボロと溢れるそれは少女にとっては貴重な体内の水分だろうに。 「………あんた、歩けるか?」  そのまま死んでしまうのではないかと思えるほど泣いた少女に、アルティカがそう問いかけたのはどれだけの時が経った頃か。答えは、無かった。少年を布越しに抱いたままの少女は、そのまま死ぬことを望んでいるようにも見えた。…いや、きっとそう、なのだろう。 「…歩けないなら運ぶ。…家族なんだろ、早くしないと不死者(アンデット)化や死霊(ゴースト)化の可能性も否めない。…葬儀に手を、貸してくれないか」  答えは、ない。少年を抱きその場に蹲る少女には、アルティカの問いに答える程の余裕がないのだ。当然だ。しかしアルティカは少女の決断を待ち続ける事は出来ない。可能な限りは待つ事は出来る、しかし時間は有限だ。まずは現実を受け入れられるための時間が必要だろう少女に、アルティカは静かに立ち上がった。馬車の中で考えさせるのが、最良だろう。少女に手を伸ばした、その時だ。極僅かな風が頬を掠め、アルティカの前髪を揺らした。一瞬の瞬きの間にミフェリオがアルティカの左手側に移動し、彼を護るように立ちはだかったのだ。何事かと名を呼ぼうとした刹那、ミフェリオが睨み上げていた左方から激しい爆発音が響いた。それは牢獄全体を酷く揺らし、咄嗟に崩れかけたバランスを整える為に両足に力を込めた。随分と大きな爆発が起きたらしく、爆風から主を護る為にミフェリオがその身を盾にし、遠くから飛んできた石礫をいつの間にか音もなく抜かれていた長剣が斬り捨てた。 「っ!?爆発…!?」  激しい砂埃を吸い込まぬように手の甲で口元を覆い、目を細めてそちらを見ればガラガラと破壊された建物が崩れていくのが見えた。それによって更に激しく砂埃が立ち上がり、ミフェリオは直ぐに目に頼るのを止めた。ミフェリオが動き出す範囲内に入ってくる害はまだないと判断された。 「―――いけ、野郎ども!奴隷たちを助けるんだ!!」 「(…流石ヘブリッジ。治安が最悪という事はつまり、警備が最悪という事)」  砂埃の奥から聞こえたのは、果敢勇猛な野太い声だ。この街において、こういった類は良い悪いを問わずに無くならないはずだ。"揺り籠"…奴隷は法的には買い主の所有物であり、財にあたる。それに手を出すと言う事は当然、犯罪にあたり罰則される。故に広義に"奴隷解放"に関する運動や暴動は、必然的に法的には罰される事だ。当たり前だ、買い主とて正式な取引を経て奴隷を手に入れるのだから。 「お前達、自由になりたくはないのか!なりたいのなら、何時までも牢の中で大人しくしてるんじゃない!」 「そうだ、何時までも見ず知らずの貴族共に手前の命と存在に価値をつけられて!嫌だとは思わないのか!!」  響く声を聞き流し、思考しながらちらりと尻目にミフェリオはアルティカを見た。そう、言うのであれば今此処に居る奴隷は全て、彼の所有物だ。それを害すると言うのだ、彼は法に則って次々と入り込んでくる者達を罰する権利を持ち、それを振るっても誰も何も言わない。正当防衛だからだ。これが他所の商人や貴族だったら悲鳴に近い声で侵入者を排除しろと命ずるところだ。 「………どうなさいますか、アルティカ様」 「…ん~………」  しかしミフェリオの主人であるアルティカは、彼らが奴隷解放であると分かれば悩む人である、という事はとうの昔に知っている。案の定、ミフェリオの問いにアルティカは指先で頬を掻き、悩むように唸った。一呼吸程して腕を組み、更に二呼吸。雄たけびと歓声が、派手に檻を破壊し始めたらしい音に混じって不協和音を生み出す。この牢獄を見張っていた大男たちは動く気配がない。所有物の管理は自己責任で、との事らしい。飽くまで彼らが見張るのは脱獄者を逃さない為だ、彼らを責める気もない。故に現時点においてはこの場に居る奴隷たちを所有物として保護すると言うのであれば、持ち主であるアルティカとその護衛であるミフェリオしかいない。こんな街でも曲がりなりにも奴隷の競売が行われたのだ、その牢は簡単には破壊出来ないだろう―――それよりも早く、少し離れた所で砂利を蹴り飛ばす音が聞こえた。 「誰だっ!?」 「………!オイ見ろ、マスターキーだ!あいつ、買い主だ!!」  二人の少年よりも一回りは年上だろう男たちが、アルティカの決断よりも早くこちらに到達したらしい。随分と目が良い者もいるらしく、仕舞い損ねていたマスターキーを指摘されてアルティカはそれを持ち上げた。奴隷解放を掲げる者達であれば、アルティカはその鍵を丸ごと譲る事も厭わない。だがしかし、掲げるだけでは駄目だ。 「…ミフェリオ、とりあえず本当にやばそうな時までは剣は仕舞ってくれ」  少しの間を挟んで、ミフェリオは一度わざと音を鳴らしながら空気を斬り、剣を仕舞った。意図的にそうしたのは、主人から受けた命を相手に知らせるためだ。こちらに戦う気はない、という意思表示だ。それは男たちに伝わり彼らは戸惑うが、それが伝わったのは二人の少年を視界に入れいてた者達だけだ。幾度目か、少し離れた所で派手な爆発が起きた。ふ、と見上げた先に見えたのは次々と飛び込んでくる勇敢な者達だ。決して悪い者達ではないだろう。奴隷を解放するためにと、慣れない武器を握っているような者も居た。アルティカは純粋に、彼らを尊敬した。だが例え望んでなくても、今自分が彼らを所有する権利を持つ事が許されているならば。 「………首領と話がしたい。それまではこの人たちを任せるわけにはいかない、丁重に連れて来てくれ」 「………分かりました。アルティカ様は、この場を動かぬよう」  刹那、ミフェリオはその言葉を残して跳んだ。必要な時まで剣を抜く事を許されないミフェリオは、軽く右足を振り上げた。空気を斬った足は恐ろしい程に正確に男の急所を打ち据え、誰かがあっと息を呑んでいる間に続けて二人目の青年の腹部に勢いの残ったままの右膝を打ち込む。一先ずと言った様子で傍に居る者は片付けていくつもりなのだろう、ミフェリオは背中に感じた何かを訴えたそうな主人の視線に気付かないふりをした。 「(戦いの場で奥の方に隠れているような者に、弱者はついて行こうとは思わない。"奴隷解放"なんて、特にそうだ)」  加減はしてる、と心の中で言い訳をしながら左肘で腹部を強打することで三人目を沈めてからミフェリオは駆け出す。弱者、即ち奴隷の為に活動する者達だ、リーダー格に成る者は必ずと言って良い程に果敢勇猛な者だ。否、逆に奴隷を横取りして奪い酷使すると言う者もいるが―――響き渡る正義の声に、まさかそんなオチはない事を願いたい。 「(居た)」  そんなミフェリオの願いが天に届いたのだろうか、茶色の瞳は正確に大勢の者達の中からその存在を見つけた。否、戦いの場に慣れている者であれば見つけるなと言う方が無理だ。明かにその人物だけ、桁違いだ。一人の若い男だ。随分と若い、と自分の事を棚に上げて考えた。普通なら中年の男がやっていそうなものだが。 「!」  一先ずその注意を自分に向ける為に、ミフェリオは男に対して一瞬だけ殺気を放つ。敏感にそれを感じ取った上で跳んできたミフェリオの足を難なく避けた所みて、自分の判断は間違いない事を確信する。 「待て、そいつに手を出すな!!」  それでいて、男もまたミフェリオの力量を的確に読んできた。敵にすると少し骨が折れそうだ、と眉を顰める。男の声を聞いて命拾い―――いや、命を奪うつもりは毛頭ないが―――した一人の女が、ミフェリオから跳ねるように後退した。訝しげに歪められた瞳がミフェリオを見下ろすも、その腰に下げられたままの剣に心理を読みかねているのか。 「…誰だ。買い主の護衛か何かか?」 「…我が主がお前と対話による解決を望んでいる。案内する、ついて来い」 「冗談。"揺り籠"をこれだけ買い占めるような上流階級の人間の言葉なんて信じられないね」  皮肉にも、尤もな正論だった。総じて彼らのような下流階級の人間は上流階級の人間に対して良いイメージを持っていない。当たり前だ、彼らのような人間を虐げ苦しめている根源を辿れば大体が上流階級の人間に繋がっているからだ。事実、ミフェリオも知る限りの上流階級の人間にまともな人間は少ないと言う事を知っている。自分がどれだけ恵まれた家系に拾われたか、今になってこそ痛感する程だ。私財を限界まで削ってまで"揺り籠"を救う富豪など、そう居ない。"反国家主義"を掲げていたとしても、大体の者は自分が可愛くて財を削ろうともしない。下流階級の者であれば、憎みたくもなる。アルティカが―――否、キルスカ家が珍しいのだ。むしろ彼らは、上流世界においては異端にさえ近いのかもしれない。 「…三度目はない。我が主は………あいつは、対話による解決を望んでいる。案内する、ついて来てはくれないか」  キルスカ家に仕えるトルスカの一員として、自分は彼らの為に何が出来るのだろう。それを考えた結果、ミフェリオは二度その言葉を繰り返す事だった。上からではなく、同じ目線で。きっとアルティカもそれを望むからだ。しかしその言葉は、やはり届かないのだろうか。 「断る」  歪められた瞳に、今までどんな光景が映って来たかは知らない。しかし少なくともミフェリオの申し出を断るような何かを見てきた。だが、それは男とて同じ事だ。男は、ミフェリオがその瞳で見てきた光景を何一つ知らない。知らない故に争いは起きるのだ。人は、あまりにも人に無関心だ。それでいて、知ることで争いも起きるし、知っていても争いは起きる。 「分かった。なら、丁重に力づくで連れて行く」 「…はっ、力づくの何処が丁重だって?」  そう考えると人間というのはつくづく不可思議な生き物で―――とん、と地を蹴ったのを合図に、ミフェリオは余計な事を考えるのを止めた。
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