第一章 揺り籠

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 響く騒ぎを聞き流しながら、ちらりと尻目に後方を見る。見張りが一人消えている事に気付いたのは、つい先ほどの事だ。気を利かせて近衛兵でも連れて来てくれればありがたいのだが、場所が場所だ、有り得ないだろう。盗賊ギルドなどなら協力を得られそうだが、果たしてそんな気遣いが出来る者達であるかは正直に言って疑わしい。 「(流石に"揺り籠"で全部の商品を買い占めるなんてすれば、嫌でも目立つわな)」  "奴隷解放"を掲げる者に対して、取り返せるなら取り返してみろ、と言っているようなものだ。こちらにその気がないとしても、何せ名も声も顔も知らない者が相手だ、どうしようもない。しかし、と後ろ髪を掻く。この行為に動きを見せるのは"奴隷解放"を掲げる者だけに限らない。 「(勿論、親父…キルスカ家が持つ権力を示す場でもあるが、それだけ消耗すると知らせているようなもんだ)」  それを素直に賞賛してくれる者も居れば、それを悪い意味で良しとして付け狙ってくる者、あるいは敗れた者が逆恨みをする場合もある。今回の件こそが良い例だ。しかしそう言った類と比べれば、こうして実際に目に見えるような派手な動きをしてくれるのは有り難い。同じ上の世界に生きる者は、まずは静観するものだ。そしてあの手この手を考えてから暗に動く。アルティカの一番嫌いな手法だ。 「(けどこの場合、一番厄介なのは上の世界の連中でもなく、"奴隷解放"を掲げる連中でもない)」  一方で手法はともかくとして、彼らは奴隷を解放しろと大きな声で、そしてその身体で訴えているだけだ。最初からそのつもりで買い占めているのだが、まぁまず信じて貰えないだろう。しかし、彼らは総じて話が通じる。一度でもその気にさせれば、最後まで話を聞いてくれるような義理高い者が多い。当然だ、人を救うために武器を振るえる者が大半だからだ。ふ、とそれに気付いて顔を上げる。その方角はミフェリオが跳んで行った左方とは真逆、右方。案の定か、とアルティカの青色の瞳が歪む。ミフェリオには此処から動くなと言われているが、さて。 「(まぁ結局のところ、話が通じるか否かなんだよな)」  右方の遠方から飛んできた一本の矢が、その青色の瞳を射抜こうとして―――パン、と澄んだ音を立てて矢を弾いたのは、不可視の壁だ。魔法による単純な防壁だ。その範囲はアルティカを中心に半径二十メートルと言った所か。ミフェリオが張ったものだ。何時の間に張ったんだろうかと陣さえ書かれていない大地を見下ろしながら、話が通じない連中が来た、とフードを深く被り直す。 「―――行くぜ、野郎ども!薄汚ェ金持ちから根こそぎ奪ってやれ!!」 「(賊の相手はウィルの奴が一番慣れてんだけどな、仕方ねえか)」  ごめん、とミフェリオに内心で謝罪をした刹那、アルティカは出入り口から入って来た者達に向かって走り出す。流石に遠隔では防壁の移動は難しいだろう、しかしその場に残された防壁はあの少年と少女の事は守ってくれるはずだ。―――ヒュ、と風を切った事によってフードが大きく靡き、何故か通行を許された一人の賊を踏み台にその場に着地した。ぐしゃ、と思った以上に酷い音が聞こえたが気のせいという事にしておいた。驚いたような声が響いた。それに応える代わりに拳を振るえば、誰かが握っていた物騒な短剣を叩き落す事に成功する。確認出来る人数はざっと十を超えるか。他ルートからの侵入も考えるとそれ以上になるだろう。 「(ミトやウィルに甘えてちゃ話にならねえ、此処は俺が片付けるくらいの気持ちじゃないと)」  考えながら右足を後方に振るって二人目を仕留め、左方から振るわれた短剣をしゃがむ事で避け、そのままの要領で誰かの足を払う。賊に限った話ではないが、物騒な物を軽率に振るう者は嫌いだ。傷つけるのは一瞬だ、壊すのも一瞬だ。だが、治すにはその倍以上の時間が掛かる。一度壊れては治らないものだってある。人間の身体や心が、その最たる象徴だ。 「(いや、違う。此処は俺が片付ける。じゃなければ俺は、奴隷を好んで買った奴となんら変わらない)」  "揺り籠"は、奴隷が負ってきた傷は、それこそ一生をかけても治らない場合もある。法的に言えば今この場に居る人々は皆、アルティカの所有物だ。それを自由に扱う権利が、今のアルティカにはある。それを盾として使う事も、捨て置く事も、自分の命を守る為に目の前にいる賊に賄賂として渡すも自由だ。だが、同時にアルティカは彼らを護る義務があると考える。所有権を有するのだから、管理する権利がある。即ち此処に居る人々を護る事もまた管理の一つであり、所有者の責任であり、義務であると。何故ならば、彼らはアルティカが父の代理と言えど"競売"という戦場で"金"という武器を振るった事で得た財であるためだ。 「(財を、この人たちを傷つけさせない。それが、所有者である俺の責任だ)」  ヒュ、と視界の端に見えたそれにアルティカは青色の瞳を細め、地を蹴った。その身体能力の高さもまた、父親譲りだ。幼い頃から外で遊ぶのが好きで、今だって体を動かす事は好きだ。上流階級の人間にしては、喧嘩の仕方には詳しい方だろう。キルスカ家に仕えているトルスカ家は戦いに長けた者が多く、アルティカも護身の為にその技術を学んだ事もある。 「良いもん持ってるじゃねえか、ちょっと貸してくれ」  言いながらアルティカは賊の腕を強打し、その手元の力を緩ませる。その隙に滑り落ちたそれ…一本の槍を手に取った。柄で元の持ち主を押し退けたところで感覚を確かめる為に槍を一回転させるが、ずしりと指先に伸し掛かったそれに眉を顰める。 「(重てえ、安物か)」  賊の使う武器に質を求める方がお門違いか、いやそれでも時々賊にしてはとても上質の武器を持っている者も居る。その違いはなんなのだろう、と余計な事を考えながら―――構えた。そう、アルティカは戦いにおける才と力を持っている。無論、護衛として仕えるトルスカ家の者や、その道を究めた武人には到底敵わないだろうが、しかし。 「ははッ、手前が今回の餌かァ!!死ね!!」 「死ねと言われて大人しく死ぬような、そんな軽い命を持つ奴がこの世に居て堪るかッ!!」  朝っぱらから酒でも飲んでいるのかと問いたくなるほど狂い気味の誰かに後れを取るほど、アルティカは"お坊ちゃん"ではない。言い放ちながら槍の柄で押し退けた誰かにもまた、同じ事が言えるとアルティカは考え思っている。だが、彼らはそれを理解しない。"話が通じない"のだ。そう、こういった類の者は"奴隷解放"を掲げる先ほどの連中とは比べ物にならない程に性質が悪い。他者から全てを奪う事しか考えていないのだ。決して彼らは奴隷を解放などしない、気が済むまでそれを酷使する。壊れるまで酷使するか、あるいは飽きるまで酷使するか、はたまた売り飛ばすか賄賂にするかだ。一体何が此処まで彼らを狂わせたのかと問えば、安易に浮かぶのは金や権力と言った強い力だ。故に、振るわれる槍は決して彼らに致命傷を与えない。むしろ刃をない物として扱うアルティカは、槍を棍棒のように扱い代用する事で傷つける事を避け―――ふと、それが甘いのだと誰かに言われた事がある事を思い出した。 「(っ、動いた!?)」  不覚にも一瞬、そちらへと意識が持っていかれた事でミフェリオは振りかざされた大刀を危うく避け損ねる所だった。あの馬鹿、と何の為に魔法防壁を張って来たと思って居るのだと主人に内心で毒を吐く。しかし何故だと思考した直後、わ、と後方から響いたそれに答えを知る。間違いない、賊だ。 「(次から次へと…っ)」 「ご主人サマが気になるか?あっちに行っても良いんだぜ?」  まさか下賤の中に、今目の前にいる気の障る男のような人材は早々居ないだろうが―――いや、あのウィルオンも下賤育ちだ、あまり期待は出来ないが。 「…うるせえな、そう思うなら気を使って大人しく案内されろよ」 「やなこった」  いら、とこれもまた不覚にも全くの他人に感情を煽られた。全く支障の出ない事ではあるが、何故だろうそれが少し悔しかった。他人に感情を揺さぶられるのが嫌なのだろう、とミフェリオは自分でそう思っているが本当の所はあまり分からないし、興味もない。 「さっきから腰に下げてる立派な剣を使わないのも、ご主人サマのご命令か?健気なこった、相当やり辛いだろ」 「やり辛くしてるのはあんただろうが、"奴隷解放"を掲げている癖に性格悪いな」 「下賤に性格良い奴なんて居るか?」 「………………居ない」  だろう、と笑った男に対して、ミフェリオはウィルオンの顔が脳裏を過ぎったが今この場では忘れることにした。幾度目か音速で振り翳された大刀を避けては間合いを見計らって懐に滑り込むも、そう簡単には打ち込ませてくれない。それなりの場数を踏んでいるのだろうが、大したことないと思ってしまうのは普段屋敷で相手にしている者達が強すぎる所為だろう。 「(剣さえ使えれば…いや、使わなくても俺の敵じゃない。けど、)」  時間がかかる。こちらの動きに対しての反応に遅れが生じ始めているし、恐らく主人の方に行ってほしい、という願望もあるだろう。命令を放棄して向かうか、否、今此処で自分がこの男を見逃せば奴隷たちは流れていく―――ふ、と思考が繋がった。 「変だな」  わざとらしく、男によく聞こえるように声量を上げて言い放った。何事か、と男が眉を顰める。ガ、と鈍い音を立てて振るわれようとした大刀を弾くも、打ち込まずに後退してはまた跳ぶ。 「…さっきの。まるで俺をこの場から遠ざけたいかのような言い方だった」 「そりゃそうだろ、お前がこの場に居なければ"揺り籠"を助け出せるからな」 「いいや違う。あんたが本当に"揺り籠"を助けたいと思うなら、どんな馬鹿でも此方の話に必ず一度は乗るはずだ」  上流階級の人間の言葉が信じられない、という理由は確かに立派な理由の一つだ。だが、そうだとしても可笑しい。本当に彼らが"奴隷解放"を掲げ、彼らを救いたいと言うのであれば一度くらいアルティカの顔を見ても良いだろうに。上流階級の人間を毛嫌いしては、彼らとて自分達の力だけでは奴隷を救う事は出来ないからだ。人を救うと言う事は、決して気持ちだけでは出来ない。 「"揺り籠"を救うためには、武力は勿論その後には莫大な財力が必要とされる。それだけじゃない、仕事を与える事も必要だ」  保護した者の衣食住に場合によっては医療費、治療費。彼らを世話する人手、それに掛かる費用。とにかくまとまった金が必要になる。それもこれだけの人数になると、相当な金額に跳ね上がる。その後には奴隷たちにも自ら生きて行けるよう仕事を与える必要もある。働き口が見つかっても、即日で保護から抜けられる訳じゃない。 「まさかお前、助けた"揺り籠"を自分達と同じような下賤の仕事をさせるつもりか?」  それでは向こう側からやってきた賊と何の変わりがない。"奴隷解放"を掲げる事で自分達の行いを正当化している、より悪質な下賤だ。そう、"奴隷解放"は決して気持ちだけでは出来ない。強い武力、強い財力、そして幅広い人脈―――それこそ、キルスカ家のような。 「本当に"揺り籠"を想い、救いたいと思うなら。話し合いで解決したい…自分達の気持ちを汲んで"揺り籠"を助ける手助けをしてくれるかもしれない相手を、最初から信用出来ないからと顔も見ず言葉も交わさずに蹴るか?」  毛嫌いする上流階級者の中にも、もしかしたら手助けしてくれる者がいるかもしれないと普通なら考える。むしろ自分達が武力を補い、そして相手に財力と人脈を補ってもらう。そう取り付ける方がより多くの奴隷を救えると、そう考える。この男が、そこまで思考が行きつかない思慮の浅い馬鹿か阿呆ならば話は別だ。だが、少なくともミフェリオにはそう見えなかった。 「………そんな馬鹿が、本当に"奴隷解放"を掲げ、これだけの者を従わせるような頭に成れるとは思えない」  何よりも可笑しいのは、ふ、と見上げたその先でこちらの状況は把握しているはずのウィルオンが、動かない事。主人であるアルティカが動いたと言うのに、従者である彼が未だに動かない。それがミフェリオにとって決定的な違和感だった。ここを最初から見ていた彼なら分かるはずだ、この"奴隷解放"を掲げている男たちが動いている事、そして反対側の賊が動いている事。 「と、いう事は」  瞬間、大刀の速度が飛躍的に上がった。それをミフェリオは思考していた故に一瞬遅れた反応で避ける。しかしこれまで一度でもかすりもしなかったそれが、ハラ、と僅かばかりに毛先を切り、フードの一部が裂けた。嗚呼、本性が出てきた。とミフェリオはわざわざ思考している事を口にして良かったと思った。 「………チッ、下手に頭の働くガキはこれだから嫌いなんだ。長生きしねえぞ、お前」  ウィルオンと言っていた第三のトラップ、だ。それを確信した瞬間、ミフェリオは抜剣することを迷わなかった。ついに派手な音を立ててミフェリオの抜いた剣と大刀がぶつかり合い、その圧倒的な速さと予想以上の力強さに男が顔を顰めた。 「(…やっぱり、目の前に居て一撃で斬り殺される程の相手じゃない。という事は、)」 「(…ッ、目つきが変わった…!なんつー目ェすんだこのガキ…!やっぱり情報通り、)」  無駄な所を動かすのを止めて、思考を巡らせる。直前までのは準備運動だと言わんばかりに、飛躍的に速度の上がった世界で瞬きを忘れる。二度、三度とその首を狙って跳ぶも、やはり気配を掴まれている状態からでは難しいか。気配を消したところで、仕留められるかどうか。明らかに下賤の動きじゃない。それこそ何処かでれっきとした訓練を受けたかのような―――そう、例えば自分のように、何処かで。 「…"闘技奴隷"」 「はっ、今のご時世"闘技奴隷"の一匹や二匹、一般家庭にもいるだろう?"暗殺奴隷"と違って、俺達は財布に優しいんでな!!」  ぽつりと呟いたそれは狭間で聞き取ったらしい男が、冗談じゃない、と言った様子で顔を歪めながらも不敵に笑った。"闘技奴隷"として植え付けられた闘争本能が、自分より格上の存在に恐怖と共に闘争心が沸き上がったらしい。―――ス、とその闘争心と共にそれは酷く微かな音を立てて斬り落とされた。湧き上がるそれが、大刀に乗って振るわれるよりも早く。その先で相応の高さから着地したと言うのに、ミフェリオは足音さえ鳴らさなかった。それはもう、彼の体に染みついている癖だ。ゴト、と少し鈍い音を立てて背後でそれが転がったのを感じた。遅れて崩れる身体が倒れてから、大刀が派手な音を立てて滑り落ちた。決して、この男が抱いた闘争心は嫌いじゃない。だがその気持ちをミフェリオは理解出来ない。そう、この男が"闘技奴隷"として闘争本能を植え付けられたのと同じだ。 「(アキ)」  次の瞬間には、男の事さえ忘れた。ただただ、主人の事だけが思考を埋め尽くすのだ。そう、ミフェリオは"そう言う風に作られた"。それは決して彼の主人がそう作った訳ではなく、そう、それもまたミフェリオにとっては植え付けられた癖のようなものだ。何時如何なる時も主人の言う事を良く聞き、主人の身に危険があれば排除し、主人の為ならばその身を捧げる。一滴の血さえ付着する事のなかった長剣を片手に―――その剣で何を斬ったのか、忘れた…いや、何を斬ったところで関係ないのだ、なにもかも―――ミフェリオは跳んだ。  ヒュ、と吹き込んできたそれは風ではなく。相応の速度で移動してきたのだろう、フードが脱げていた事により綺麗な赤髪が見えた。その下で自分を狙っていた賊を見下ろす茶色の瞳を認識した瞬間、アルティカはその名を強く叫んだ。 「―――ッ、ミフェリオ!!」  流石に彼の速度よりも音の方が速かったらしく、彼はびくりと肩を震わせると同時に瞬きをした。それでも彼が振りかざしていた剣はあまりにも速く、その反応速度でも完全に止める事は出来なかった。音もなく一人の賊の肩を斬った切っ先は、不思議な事に一度でも血が付いた所を見たことがない。速度の世界で、僅かばかりの間を置いてからミフェリオは僅かに息を呑みこんで剣の柄で一人の賊を沈めた。ガ、と彼にしては珍しく少しばかり大きな音がしたのは、急なブレーキによる反動の揺れだろうか。 「アルティカ様、ご無事ですかっ!?」 「………あ~…うん…お前のお陰で悔しいくらいに無事だよ………」  更にもう一人ついでのように沈めてからミフェリオはアルティカの許へ走り、その様子にゆるゆると槍を握る両手から力が抜けて行った。やっぱり片付けきれなかったか、とあまりにも速いミフェリオの帰りが何故だろう、少し悔しい。いくらなんでもこの距離で彼が来る前に片付ける、というのは至難な事だった。とは言え彼は自分の仕事を全うしているのだ、文句は言えない。 「…っ…あぁもう、また勝手に一人で動いて!万一があったらどうするんだよ!」 「いや万一も億一もねーだろ、お前がこの距離に居んだから…」 「そう言う問題じゃないんだよ、なんでお前いつも大人しくしててくんねえの!?」  が、逆にミフェリオはアルティカに文句を言える立場だ。防壁内で待てと言ったのに動いたのはアルティカの方だ。事情があったのは分かるが、とミフェリオは言いながら容赦なく周囲の賊どもを沈めてく。その様子を見てすっかりやる気をなくしたらしいアルティカは、借りていた槍をとりあえず近くに沈んでいた賊に返却して置いた。 「あーそれよりお前、首領はどうした、置いて来たのか?」 「黒だよ、黒!………斬り捨てた」  僅かばかりの間を置いて、そうか、と短い返答にミフェリオはやるせない気持ちを左方から斬りかかって来た賊にぶつけた。 「………ん?って事はこいつら全員グルか?ミトお前、向こう側の残りの連中は」 「面倒くさいからあそこ一帯に防壁張って牢替わりにしてきた」 「えげつねぇなオイ。っていうかお前それ、防壁の使い方間違ってんだろ」  正しい防壁の使い方をしても内部から出ていく者も居る故に、内外共に干渉を受け付けぬそれを設置してきたと言う。続いた"揺り籠"には近づけさせていないから安心しろ、との言葉にアルティカは力無く笑った。何とも恐ろしい護衛だ、と常々思っては居るが。ひょい、と感じた気配に身体を左に傾ければそこをミフェリオが僅かな風を残して通過し、その奥に居た最後の一人を蹴り飛ばした。 「ともかく早くこの街から出てくぞ、こんな所に居たんじゃ何時まで経っても落ち着けねえよ!」 「あーあー、分かった分かった!…狙いはマジで俺だけみたいだし、逆に俺がいない方が此処の人たちは安全だろうしな」  完全に口調が崩れている彼の心中を察したのか、アルティカは両手を挙げて苦笑いをする。決してそう言う意味で言ったわけではない、とミフェリオが訴えれば分かっている、とアルティカは肩をすくめて見せた。とん、と暫くは目を覚まさないだろう誰かを飛び越えたアルティカの動きに合わせて、深く被られたままのフードが揺れた。 「じゃ、さっさとあの二人を連れて帰るか。わがまま言って悪いな、あと少しだけ付き合ってくれ」 「…―――………」  その奥、フードの隙間から見えたアルティカの微苦笑に、何か浮かびかけていた言葉が喉の奥に消えたのを感じた。元々その予定だったのだ、それが変に掻き乱されて狂って遅れて―――いいや、違う。ふ、と湧き上がって来たのは、なんだろうか。 「(わがままって。付き合ってくれ、って。………なんだよ、それ)」  自分は彼の護衛で、傍に居るのが当たり前で。彼が望む事を成すのが全てで、それにわがままだとか、そんなものは関係ないはずで。だけれど、彼はそれを良しとしない、のだと思う。だけれど―――護衛を頼む、と言ったのは彼の方ではないか、と思う事は悪い事だろうか。その答えは分からぬまま、ミフェリオはアルティカの言葉に頷き、その気持ちを誤魔化すように誰かの足を軽く踏みながら歩き出した。
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