第二章 主従

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第二章 主従

 "良いか、アルティカ。お前は主人で、ミフェリオはお前の護衛の従者だ。その立場を理解しなさい"  そう言い聞かされた当時、自分は多分もう彼とは友達で居てはならないと、そう言われたと感じた…のだと思う。事実、それに近い厳しい言葉である事も確かだ。厳密に言えば、第三者の前で友達のように振舞ってはいけない、だ。自分は主人であり、彼は従者である。その立場を理解し弁えなければ、他者に示しがつかないからだ。今になって考えれば、大人である彼らが本当は何を教えたかったのかがよく分かる。が、生憎当時はまだ子供だ。それから暫く続いた自分の反抗期っぷりは、まさに目に余るほどだったろう。頻繁に屋敷を抜け出すようになったのだ。今はそれを深く反省はしているが、後悔はしていない。当時は不思議と、抜け出した自分を見つけてくれたのはいつもミフェリオだった。 「(そういや当時は、それが変に嬉しかったな。ユウマは友達だから俺がどこに居ても見つけてくれる、って今考えればアホみたいだな)」  ぼんやりとそんな事を考えながら、アルティカは寝ぼけ眼でタオルを手繰り寄せては洗顔で濡れた顔面を拭った。先ほどカーテンを開けたばかりの窓辺から、心地良い朝の日差しと共に風が吹き込んでくる。それでも目が覚めるにはもう少し時間が掛かりそうだが、ミフェリオと比べればずっと寝起きは良い方だろう。 「(んな訳ねーわな。多分テオの奴がユウマを育てる為に、アイツに任せてたんだろうな。俺も流石に領地外までは行かなかったし)」  そもそも領地外に出たとしても、街中であればあのウィルオンが相手ではとても抜け出すのは無理だ。今でこそ稀に屋敷を抜け出す事はあるが、それは毎度ウィルオンに目を瞑って貰ってるから成し得ている事だ。例え奇跡的に彼の目を掻い潜れたとしても、テオドールが一歩動けば即アウトだ。当時のそれは、ただのかくれんぼだ。真名を呼んではいけないと言われた時も、随分と反抗した覚えもある。二人で考えた愛称は、二人だけの約束のようで楽しかった。それを今でも呼び合っているのだから、まぁ当時の自分も嫌いではない。そんな事を考えながら着替えを終えて、部屋の外へと出る。朝食まではまだ少し時間がある事を確認してから、自分の仕事部屋へと向かい始める。いい加減に溜まってきた書類を片付けないとまずい。 「(あー面倒くせえ、誰かと商談したい…取引先に行きたい…)」  流石に商談に関する書類をミフェリオに任せる訳にもいかない、と後ろ髪を掻く。今日は外出の予定はないし、退屈だ。だからやけに今日は眠気が抜けないのだろうか、これが一件でも商談の予定があると雲泥の差なのだが。たどり着いた自分の仕事部屋の扉を気乗りしないまま開けて、自室から持って来ていた書類を机に放った。 「(眠い…ユウマが来たらとりあえず茶でも頼むか…)」  やる気が出ない、となかなか動き出さない自分に心折れそうになりながら、す、と静かに引かれた椅子に腰を下ろした。ペンを握れば少しはやる気が出るだろうかと手に取り、指先で一回転させてから一枚目の書類を手に取った。三回ほど書類に綴られていた文字を繰り返し読んで、やっと内容を頭が理解した。 「(あー…東の…………あぁ、商談の日程調節か…この日なら空いて…るな、よし)」  ダラダラと言った表現が最も適しているだろう、一枚目の書類を五分以上かけてやっと処理する。ぽん、と判子を押してそれを捲る。二枚目の書類を見て、折れそうになる心を必死に支えながらまたペンを一回転させる。不意に、左手側に置かれたカップを視界の端で認識し、無意識に身体が求めていたのだろうそれを手に取り―――止まった。 「………んぁ?」  ふ、と顔を上げれば見えたのは此方の様子を伺っている茶色の瞳であり、此方の視線に瞬きをする。二呼吸程の沈黙の間、各々の瞳が大体同じ回数の瞬きをした。おずおずと言った様子で口を開いたのは、自分、ではなく。 「…え、と…ごめん、何も言われなかったから何時もの通り紅茶…なんだけど、別のが良いか?」 「―――う、わッ!?って、熱ッ!?」 「ってうわ、大丈夫かアキ!?」  直後、跳ね上がった身体に釣られて淹れ立ての紅茶が激しく揺れ跳ね、それは指先に鋭い熱と痛みを与えた。咄嗟にひっくり返るのを阻止するも、危うく椅子から滑り落ちそうになり、慌ててペンを放った右手で身をその場に留めた。その衝撃で少し散らばった書類を思わず少し握りしめ、途端に鼓動が跳ねあがった胸元を抑えながら三回はその姿を確認した。 「なッ、ど、ゆ、ユウマおまっ、お前、いつからそこ居た!?」 「え?えっと…アキが部屋から出てきた時から…?」 「ほぼ最初からじゃねーかよ!?なんでお前居んの!?」 「なんでって…またこの前みたいに朝一で抜け出されたら困ると思って、早起きして部屋の前に居たんだよ…」  今日はウィルオンが早朝担当だから、と涼しい顔で告げたのはミフェリオだが、全くその存在に気付けなかった。それよりも、とミフェリオは熱を被った指先を確認するようにアルティカの手を取り、その指先に水魔法を宿す。二、三回ほど口を開いては閉ざす此方に対し、幸いにも火傷の心配はないようでミフェリオは軽い治癒魔法を施すとその指先を離した。 「部屋の前に居たんなら気配消すんじゃねーよ、ふざけんな俺がお前の気配に気付ける訳ねーだろ!」 「…あのな、抜け出されるのを防ぐ為に居たんだぞ?堂々とそこに居るって宣言したら意味ないだろ!」 「だったら部屋出た時点で声かけろ、朝っぱらから心臓に悪いっつの!!」 「何度か声かけたし、気配だって戻したっての!それでも反応がなかったのはアキの方だろ!?」 「ふざっけんな、お前の気配にそう簡単に気付けてたまるか!っつーかそれを言うならまず足音を出せよ、頼むからさぁっ!?」  ダン、と堪らずに右拳を机に振り落とし―――そのまま二人の少年の言い合いは、五分弱ほど続いた。 「―――大体なぁ、テオ!お前、トルスカ家の教育どうなってんだよ!?」  幾度目か起きたフェナルドの笑いの波を引っ込ませるためか、それとも八つ当たりか。一本のウインナーをフォークで荒く突き刺しながらアルティカがテオドールの名を呼べば、彼は暫し思考するように沈黙する。 「…そうですね、足音を消すのは基本中の基本ですので、トルスカ家で護衛の任に就く者には初期段階で習得するよう指導しています」 「そうじゃねえっ、そうじゃねえんだよ、馬鹿テオ!!」 「っく…ふはっ!あっはっはっはっはっ!!」 「親父はさっきから笑いすぎなんだよ!!」  淡々と返って来たテオドールの言葉にアルティカは口に運ぼうとしたそれを堪らず下ろし、一方で再び笑い出した父に声を荒げる。広い食堂の中心で、いつもの朝食の時間が流れていた。いや、いつもと言うには随分と賑やかだが。従者の二人は主人の二人より遥かに早い時間に朝食を済ませたのだろう、実際に食事をしているのはキルスカ家の二人だ。 「いや、すまん、すまん。確かにお前の気持ちは分かるよ、アルティカ。テオたちは基本的に足音がしないからな」 「当たり前です。いつ何処でお二方の御身に危険が及ぶか分かりませんから」 「だからって屋敷ん中でも消すなよ、頼むからさぁ…!」  ただでさえ彼らの気配を読むのは非常に難しい。彼らのように鍛えて居れば話は別だろうが―――いや、それでも特にこの二人の気配を掴むのは至難の業だろう。故に嘆くようにアルティカが幾度目かテーブルを叩けば、カチャンと近くの皿が身を震わせた。 「屋敷の中だからと言って気を抜いていては、いざという時に消せなくなりますから」 「~~~!ミト、お前なぁっ!」 「まぁまぁ、アルティカ。落ち着きなさい、どちらかが悪いという話ではないのだから」  アルティカがミフェリオの言葉に顔を上げるも、ふい、と彼はその視線から逃げるようにそっぽを向いた。どうやらすっかり機嫌を損ねたらしいが、それはアルティカにも言える事だ。つん、と言った様子のミフェリオにアルティカもまた口元を尖らせた。そんな二人を実に微笑ましいと思いながらも宥めたのはフェナルドであり、一方でテオドールはいつもの子供の喧嘩だ、と口を出す気は一切ないらしい。 「アルティカ、そういう時はミフェリオの事は守護霊か何かだと思いなさい。そうすれば気持ちが穏やかになる」 「ミフェリオはまだ生きてるっつーの、それじゃ生霊じゃねーか!」 「だからと言ってからかって逃げようとしてはいけないよ、金縛りにあうからね」 「親父………頼むから会話をしてくれ………」  そんなフェナルドの笑みに気力を吸われたらしい、どっと疲れたアルティカはようやっと声を荒げるのを止めた。朝から疲れた、とようやっとウインナーをかじれば不思議と元気が出てきたような、出ないような。しかし突然ほぼ不可抗力で酷く驚かされたアルティカも、そして護衛としてその技術を習得したミフェリオにも非はないと言える。それでも強いて責任を問うのであれば、前科があるアルティカの方に非があると言えば違いないだろう。あとはお互いのタイミングが悪かった、としか言いようがない。例えば一件だけでも商談の予定があれば気付けたかもしれない。しかし結局は既に過ぎてしまった事だ、放っておけばそのうち仲直りするだろうというテオドールの対応が一番無難だ。 「しかし、ミフェリオはテオによく似てとても優秀だな。私も安心してアルティカを任せられるよ」 「!」  せめてもの手助けか…いや、純粋にそう思ったのだろうフェナルドの言葉にミフェリオは顔を上げる。見やれば赤い瞳がミフェリオに笑いかけ、少年はそれに戸惑いながらも何処か少し嬉しそうに口元を緩めた。 「勿体ないお言葉、です」 「…前言撤回だ。テオと比べて随分と素直で可愛いな、なぁ、テオ?」  イラッ、とそんなフェナルドの言葉に湧き上がってきた感情は決して間違ったものではないだろう。しかしいつもの事だとテオドールは諦める事とし、それでもフェナルドの言葉は正しい、と彼も思う。優秀なのは確かだけど、とアルティカも思うが口にはしなかった。むす、と不貞腐れているアルティカに、暫し悩み。 「…ふむ。そんなに言うなら、暫くテオとミフェリオを交代させるか?」 「あ、ごめ、親父ごめん、テオはマジで怖いからいい、止めてくれ」 「はっはっは、アルティカはお前の護衛は嫌だそうだぞ、テオ?」 「お褒めに預かり光栄です、アルティカ様」 「褒めてねーよ、いや褒めてる…のか…?」  分からなくなってきた、と額を抑え―――結局そうしたところで、両者共に足音が鳴らないのは変わらない、という結論にアルティカが至るのには少し時間が掛かった。
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