第二章 主従

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「で?お前らは二人揃って、どうした?」  無事に挨拶を終えたとしてクラリスは一人部屋から出て行き、一方でその場に残った二人の従者にアルティカは手を差し出した。一先ずと言った様子でウィルオンは持って来ていた手紙の束をアルティカの掌に乗せ、些か鋭くなった青色の瞳に苦笑を浮かべた。少なくとも午前中はもう顔を合わせるつもりがなかったのだろう、二人の少年は顔を合わせようとしない。 「えっとですね、アルティカ様。すみません、実は先に旦那様の所に郵便物をお届けに行った時に、アルティカ様への郵便物が一通混じってたみたいで」 「………?それで?」 「その一通が、此方なんですけど」  ウィルオンとて人間だ、時としてミスをする事もある。フェナルドはアルティカの父親で、身内で、家族だ。郵便物が混ざったくらいでは特に困ることはないし―――むしろあったら問題だ―――結果としてちゃんと自分の手元に届けば何の問題もない。故にアルティカはウィルオンの言いたいことが今一つ掴めず、目を眇めながら差し出された一通の手紙を受け取った。 「旦那様より、ディカーラへ商談に行く時はミフェリオの他に俺も連れていくように、との事です」 「………あー………」  日程が決まってから言おうと思っていたのだが、とウィルオンの言葉と受け取ったそれを見てアルティカは微苦笑を浮かべた。ディカーラ。その街はアルフネスより北東に位置し、反国家主義と国家主義の境目に存在する。先日までの一件の前、ミフェリオはアルティカの机上でその街が存在する地名を見て覚えていた。  "………アキ、此処また随分と東寄りじゃんか。まさか此処までお前が行く、なんてこと無いよな?"  "いやあるだろ、現地に行かねーと品質も何も見れねーし"  日程が決まり次第行くつもりであり、その時は頼むと言われた事も覚えている。なるほど、とウィルオンを通じてフェナルドの言葉にアルティカとミフェリオは納得する。東は国家主義を掲げる街が多く存在し、西の反国家主義とは最早冷戦状態だ。いつ戦いが起きても可笑しくない。そのような地に商談と言えど行くと言えば、流石にフェナルドとて行ってこい、と背を押す事は出来ない。此処アルフネスからでは距離もあり、万一が起きたとしても直ぐには救援や援護には向かえない。単純な商談の為だけに屋敷の者を大勢連れて行くわけにもいかないし、アルティカも予定としては何時もの通りミフェリオのみを連れ行くつもりだった。 「…やっぱそうなる、よな」 「そうですね、流石にちょっと東寄りすぎなので…」  お邪魔します、と後ろ髪を掻きながら言うウィルオンにアルティカは肩をすくめる事で答え、手紙の封を切る。共に来いと言ったのはこう言う事か、とミフェリオがウィルオンを見れば、その通りだと彼はミフェリオを一瞥した。それでも決して止めろとは言わない父を脳裏に浮かべながら、アルティカは入っていた手紙に目を通し始める。 「(そういや商業に関しては親父にあれこれ止めろって、殆ど言われた事ねえな)」  強いて言えば真名で呼ぶのは止めろ、など幼い頃は多方面で禁じられた覚えがある。が、思えば商業に関しては一度も口を出された事はないと言う事に気付く。それこそ多分、条件を付けてきた今回が初めてだ。故に珍しいと思ったのと同時に、流石に今回ばかりは止められるかと思っていた為に驚いた。父自身、あまり仕事に関しては語らない人だ。だからアルティカにも仕事のことは聞かない、のだろう。彼の子でありながら、商業界における父をあまり知らないと言うのは親不孝者だろうか。しかし父は自分が生まれるずっと前から商業界で生きてきた人だ、とても彼と同じ舞台に立てるとは思えない。 「(親父と俺じゃレベルが違いすぎる、親父の知り合いや取引先もあんまり知らねぇもんな…)」  そんな父が条件を付ける―――自分を心配してくれているのだと思ったら、不思議と少し嬉しかった。商業に関しては自分の力でこなせと言っているのだろうが、それでも一切の口出しが無ければそれはそれで寂しいものだ。幼い頃にはあった口煩さが無ければ無いでそう感じるのだから、自分は自分で思って居る以上に我儘なのだろう。 「…二週間後にほぼ決定だな。ディカーラって事は移動…で一週間はかかるっけか」 「そうですね、境目と言う事もあって交通は限られてますし…余裕を持って早めに出発します?」 「だな。ミト、前後に予定は殆ど入れてなかったはずだよな?」 「はい。ディカーラへの商談の件があるとお聞きしていたので、先一ヵ月は他のご予定は殆どありません」  手紙を一度置いてからアルティカは机の端に置いてあったカレンダーを手に取り、ミフェリオもまた彼の問いに脳裏でスケジュール表を展開させる。けれど早めに出発となると、その直前に予定している二件ほどの商談から休む暇がない、と指摘する。 「…ま、早い事に越したことはねえな。二人とも、四日後までに支度を頼む」 「かしこまりました」  二呼吸ほど迷ってから、アルティカは致し方ないか、と休み無しで出発する事を決める。それに一度は迷うものの、屋敷でじっとして居るより各地に商談で飛び回っている方が彼らしいと言える。故にミフェリオとウィルオンはアルティカの命に、各々の瞳を伏せながら軽く頭を下げた。 「………っつーことは、俺は最悪明日の夜までにはこの書類を片付けないとヤバい、ってことか」 「ははっ、頑張ってください?」 「…山になるまで後回しにするからですよ」 「うるっせえな!」  仲直りするにはまだ少し時間がかかりそうなアルティカとミフェリオに、ウィルオンは思わず笑ってしまった。  一杯の紅茶が少し冷めるのを待っていたのだろう、彼はそれを一口飲み込んだのを合図に小休止を始めた。ふぅ、と息を吐き出しては少し凝った右肩を左手で解す。その動きに煽られてか、先ほど放ったペンが僅かに机上で転がった。 「しかし、嬉しいような寂しいような…複雑だな」 「…何のお話ですか、突然」  珍しく珈琲ではなく紅茶を注文してきたかと思えば、とテオドールはフェナルドの言葉に僅かばかりに眉を顰めた。それでいて分からないのかと言わんばかりの赤い瞳に、テオドールは致し方なく少し思考する。いや、思考しなくても分かっているのだが。 「…そうですね。ここ数年、アルティカ様の動きに対して反応を示す者が多くなってきましたから」  アルティカが自分の代わりに救ってきた新しいメイド見習いは、きっとアルティカに恩を返したいが故にその道を選んだ。その対象が自分でないことについては、むしろ喜ばしいと思う。彼女はアルティカに対し、それだけの気持ちを抱いたのだ。即ち、アルティカが彼女にその気持ちを抱かせる程の行動を示した、と言う事だ。それをフェナルドは親として純粋に喜べる。 「ああ。それが嬉しいのは確かなんだが…私の許から離れていくようで少し寂しくてな」  だが、それが少し寂しいとフェナルドは頬杖をつきながら語る。親と言うのは我儘だな、と浮かぶのは満更でもない苦笑だ。勿論、テオドールの言った"反応"に善し悪しはある。今日ウィルオンに連れられてこの部屋に挨拶に来た娘のようであれば、最高だ。これからも反応してくれるのはあの娘のような人物である事を願って止まないが、そうはいかないことは目に浮かぶ。そもそもあの娘との出会いは、皮肉にもアルティカが命を狙われたからだ。それが無ければアルティカはあの娘と会う事もなかった。故に根本を辿ればその出会いをフェナルドは喜べるかと問われれば、純粋には喜べない事に違いはない。それを含めて、フェナルドは"複雑"だと言ったのだ。 「…フェナルド様も、あの娘のようにメイド長やウィルオンをこの屋敷に受け入れてきたでしょう」 「トルスカの殆どを拾ってきたのはお前だろう、私じゃない」 「…最終的に受け入れる許可を下したのは私ではありませんので」 「テオ、そう言うのを屁理屈と言うことを知っているか?」  その点は今は置いておくとして、テオドールはフェナルドに暗に自分の行動を振り返ってから言え、と指摘する。子が親に似たのだと言う意味の込められた言葉だったが、フェナルドはそれよりも別の点に着目した。話が別方向に逸れ始めたことに気付きながらもテオドールは淡々と言えば、フェナルドは彼をからかう様に口元を緩ませた。 「それで?いつも過保護なお前にしては、今回は少し甘めじゃないか」  第三者から言わせてみれば、どちらも屁理屈と言えよう―――それに気付かない振りをして、フェナルドはテオドールに問いかけた。カップを置いて、いざ聞き出してやる、と言った様子の彼にテオドールは黙って仕事をしていればいいものを、と顔を顰めた。 「流石の私もディカーラは止めるべきかを迷ったほどだと言うのに。私としてはお前を付けるつもりだったんだが…そんなに私と離れたくなかったか?」 「違います」  案の定だ、とテオドールはフェナルドの言葉を容赦なく真正面から切り落とした。そうだったら天変地異だ、と言うのは彼の方だろうに。 「…ウィルオンにも言ったでしょう。多少とは言え光魔法と法術が扱えるウィルオンで十分です」 「確かに他なら十分だ、むしろミフェリオ一人で不足ない。だがあの街は東に近い、決してウィルオンでは不足だと言う訳ではないが…」  そもそも常に万一を考えて可能な限り絶対に近づけようとする傾向のあるテオドールにしては、甘い、と言えよう。フェナルドが直接テオドールにそう問いかける程に、彼の判断は早かった。驚いたのはフェナルドだけではない、指名されたウィルオンもだ。流石にここまで危うい地となればテオドールがついていくだろう、とウィルオンも考えていたからだ。  "…いえ、フェナルド様。アルティカ様へは私ではなくウィルオンをお付け下さい"  その代わりに暫くはウィルオンか、あるいはミフェリオがフェナルドの護衛につくと思っていた為に、テオドールの言葉に暫しその場は沈黙した。名を呼ばれたのは自分か、とウィルオンが自分を指差してフェナルドと顔を見合わせる程に、彼は驚いていた。  "え………テオさんじゃなく、俺ですか?けど、かなり東寄りですし…それに先日、アルティカ様が発作を起こしたこともありますし"  "お前は光魔法も法術も扱えるだろう、私でなくても十分だ"  "………はい、確かに使えます、が………"  自分では決断できない、とウィルオンがフェナルドに決定を委ねたのは無理もなかった。ヘブリッチの件では状況が状況だった故にウィルオンも動いたが、本来であればウィルオンの主たる任は屋敷その物の守備だ。当然フェナルドとアルティカの護衛も彼の仕事の内ではあるが、それにしても意外としか言いようのない申し出だった。  "………ふむ。分かった、テオの意見を聞こう。ウィルオン、頼めるかい?"  "…かしこまりました"  その意図は知り兼ねるが、と判断したフェナルドの決定にウィルオンはその立場上、逆らうことは許されない。故にウィルオンが小首を傾げながら部屋を後にしたのは、ほんの数時間前の話だ。フェナルドがキルスカ家の当主であるのと同じように、テオドールはトルスカ家の当主だ。護衛に関しては彼の意見を聞き入れるべきとの判断だった。 「何か気になる事でもあるのか?」  小休止の間の気分転換にその話題を振ってきたフェナルドも大概だが、明確な理由を言わなかったテオドールにも非はあるだろう。フェナルドからの改めての問いに、テオドールは暫しの沈黙を挟んでからそっと両目を伏せた。 「私も彼等を、箱庭の中でよしよしと撫でて育てる気は毛頭ありませんので」 「いや、知ってる」  勝手に人の言葉を借りていきやがって、と結局明確には語らないテオドールにフェナルドは腹いせに紅茶を淹れ直せと言わんばかりにカップを突き出した。 「あ、そうだ親父。もう知ってると思うけど、俺ちょっとディカーラまで商談に行ってくる」 「ああ、聞いているよ。気を付けて行っておいで」  夕食時。実に短い会話に、それにしたって随分とあっさりだな、とそんな感想を抱いたのは親子揃っての事だった。むしろ傍に居たテオドールとミフェリオでさえそう感じる程であり、この親子は仲が良いのか悪いのか、時々分からなくなる。いや、仲は良いだろう。しかしお互いに親子でありながら超えようとしない一線があるのが、傍から見ていても分かる。それを当の本人たちが自覚していない訳もなく、それでも引かれた線には触れようともせず、近づこうともしない。恐らくそれは、彼らが親と子であるからこそ、だろう。ぱち、と赤い瞳と青い瞳が互いを見ては瞬きをした。 「…それだけ?」 「日程を決定してから報告してくるお前もお前だろう、ウィルオンに事後報告癖を直せと言える立場か?」 「あー………うん、だな?」  既に決まっている事に対して今更なにをどう言えばいいのだ、とフェナルドが問えば違いない、とアルティカは視線を逸らした。そんなアルティカにフェナルドは口元を緩ませながら、フォークを進めていく。 「…お前の事は自由にさせているつもりだが…無茶はしないようにな、アルティカ」 「ん…分かってるよ。親父こそ、もう若くないんだから無茶はすんなよ」 「はっはっ、アルティカ、最近久しく手合わせをしていないな?」 「本当の事じゃねーか、ごめんなさい!」  途端、そのフォークの先を鋭く肉の切り身に突き刺したフェナルドにアルティカは身を震わせるも、父はそれを真実だと認めざるを得ないのも確かだ。年は取りたくない、と割と深刻なため息を吐いた父にやってしまった、と子は誤魔化し逃げるように水を口にした。 「けどウィルオンが居るなら、ちょくちょく連絡は入れよう…かな、とは思ってる」 「ふむ。そうしてくれたら私も安心して仕事に専念出来るよ」 「…親父はあれから商談とか、ねぇの?」 「ん?そうだな、暫くはないな」 「ふーん…」  口元をグラスで隠しながらアルティカが言えば、フェナルドがふとそれに気付いて一度食事する手を止めた。子を気遣ってか、赤い瞳がその顔を見ないように逸らされ伏せられると、彼はくす、と吐息で笑った。 「どうした、今日はやけに饒舌だな?」 「…別に?」 「…さては、まだミフェリオに口を利いて貰えてないな?」 「ちっげえよ!………むしろ俺が口利いてる暇なかった………」  書類の山との格闘で疲れているのだと思う、との言葉にフェナルドは悲しい程に納得してしまった。思えば珍しく今日は一歩たりとも屋敷から出ていない様子だった、とワンテンポ遅れて気付いたのだ。流石にその様子を見てはミフェリオも機嫌を直す…というよりかは何も言えなくなったのだろう、アルティカを気遣う様にグラスに水を注いだ。明日も今日と全く同じ予定だと嘆くアルティカは、なるほど父親といつも以上に喋りたくなるのも無理はない。どうにも書類など小難しいことは全般的に苦手とする子だ、つい後回しにしてしまう気持ちは痛いほどに分かるが。 「…なぁ、親父って仕事で何か苦手な事とか、あった?」 「ふむ、そうだな………。………ん?特にこれと言って苦手だと感じた事はないな…?」 「うわ、俺もう本当、親父のそういうところ嫌い」 「えっ」  明日の分の気力を溜め込むようにと更に会話を続けようとした子に対し、親は意図せずそれを切り落としてしまった。今度は自分と口を利いてくれなくなるだろうアルティカに、フェナルドは五分ほど子を宥めたらしい。そんな彼らを見てテオドールが見飽きたな、とぽつりと極小さな声で呟いたのをミフェリオだけが辛うじて聞き取っていた。
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