第二章 主従

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 四日後のことだ。アルティカは無事になんとか書類の山を片付けた後、二日続いた商談に赴いた翌日、その日を迎えた。いわゆる世間で言う"お坊ちゃん"と比べて活発的なアルティカは、その疲れを感じさせずに無事にその日キルスカ家を発った。アルフネスを出てディカーラへ向かい始めて更に二日。天候にも恵まれつつ、アルティカはミフェリオとウィルオンと共に順調な旅路を辿っていた。徒歩による移動も挟みながら公共の馬車の出発時刻を考慮して歩を進めていくアルティカは、傍から見ればとても坊ちゃんとは思えないだろう。それは本人が思っている上に護衛二人の負担を減らしている、と言う事を彼は知らない。元々アルティカは、護衛してもらう立場である以上、逆に彼らの足を引っ張るのは良しとしないからだ。故にアルティカは最低限の体力をつけたし、それを今は維持あるいは向上を求めてトルスカ家に混じって鍛錬に参加する事もある。最悪の時を想定して武術も身に着けたし、父親譲りの槍術もある程度の相手であれば十分に通じる。しかし、実際にアルティカは仕えやすい主人かと問われれば、少なくともミフェリオとウィルオンは悩むだろう。 「…~~~…っ、あっちぃ…!」 「ですからアルティカ様、水を飲んで下さい。無くなっても俺がいくらでも出せるって何度も言ってるじゃないですか…」 「馬鹿言うな、短いっつっても旅じゃ水は貴重なんだぞ」  必要以上を良しとしないアルティカは、時と場合によっては変なところで意地を張り、それでいて非常に頑固になる面があるからだ。故に走る馬車に揺られながら幾度目か嘆いたアルティカにミフェリオが水筒を差し出すも、先ほどから彼はそれを頑なに拒む。アルティカの言う事は確かに尤もだが、彼の傍には水魔法を完璧に扱えるミフェリオが居る。にもかかわらず、だ。顔を背けたアルティカに、ミフェリオは暑さの所為か湧き上がってきた苛立ちを意識してそっと鎮めながら眉を顰めた。最低限の水分補給だけで他は我慢するつもりだろう、そんなアルティカの頑固さは、ミフェリオが一番良く知っているだろうに。そんなアルティカの代わりにミフェリオの手から水筒を抜き取ったのはウィルオンだ。 「アルティカ様、確かにこの地域では水が貴重だから余計に過敏になるのは分かりますけど…それじゃぁ逆に俺等が持ちませんって」  勘弁してくれませんか、とウィルオンがミフェリオよりも大胆に、そして強めに改めて水筒を突き出す。その勢いと言葉にアルティカはぐ、と言葉を詰まらせた。アルフネスより北東に進むにつれて、徐々に周囲の気温は上がり始めていた。そう、ディカーラの存在する地域は気候の関係で年間を通して雨量が非常に少なく、照り付ける太陽の熱が他より酷く厳しい。 「…だから、お前らは飲んで良いって」 「主人を差し置いて水を飲む従者が何処に居ると?」 「そうですよアルティカ様、俺もそろそろ水飲みたいです」  この地において、水は宝石よりも非常に高価で貴重なものとされる。その事をアルティカが知らない訳がなく、故に今現在の頑固、だ。本当の所を言えばミフェリオもウィルオンも水分を取らなくてもある程度までは耐えられるし、動ける。その限界はアルティカよりずっと遠いだろうが、だからと言って主人に水を飲ませない訳にもいかない。わざとらしく促すように言えば、分かったよ、とアルティカは意外にも早々に折れた。どうにも彼は他者からの粋な要求に弱い、という弱点―――商人としては不安になる弱点だ―――をついたウィルオンの言葉が大きいだろう。渋々と言った様子でアルティカはウィルオンの手から水筒を受け取ると、ようやっと水を口にした。そもそも自宅にあるもっと座り心地の良い馬車を使わずにこうして公共の馬車を使っているくらいだ。アルティカは主人としては良い意味で仕えやすいとは言えず、そして良い意味で仕えにくい、と言ったところだ。とは言え、内心で安堵と少しの呆れから息を吐き出したミフェリオとウィルオンは、そんなアルティカだからこそ仕えているのだが。 「くそ、何もしてねぇのになんでこんなに喉が渇くんだよ、噂には聞いてたけど暑すぎだろ…!」 「…確か、この辺りの上空に滞留している自然的魔力が、太陽光と魔化学反応を起こしていて」 「あー止めろミフェリオ、今そんな難しい話聞くのはアルティカ様も俺も嫌だ、マジで熱出るから」  ぐい、と少し濡れた口元を拭いながらアルティカが虚空に問えば、ミフェリオがまさかの回答を述べようとする。それを止めたのは当然ウィルオンであり、アルティカも今回ばかりは彼に律儀に答えようとするな、と掌を持ち上げた。そんなに難しい話ではないのだが、と目を丸めたミフェリオに対し、お前の難しくないは難しいだと言う事を理解しろ、と二人は声を揃えた。なんにせよ、季節的にはまだ暑さはそこまで感じない季節であるにもかかわらず、酷い猛暑だ。馬車の中にさえ地面から跳ね返っては突き刺さってくる日差しを防ぐ為に被ったままのフードは、叶うなら脱ぎ捨てたい。しかし下手に日射を防ぐそれを脱げば、あっという間に熱中症になる事だけはアルティカとウィルオンにも分かる。  こんな砂漠にも近い炎天下に存在する地域は、総じて水を根源とする問題が深刻だ。水不足による水の価値の沸騰だけじゃない、あまりにも強すぎる日差しは、他の地域と比べていとも簡単に弱った者の命を摘むのだ。老いた者は長く生きられず、そして幼い者は早くに死ぬ。そう、圧倒的な人手不足による社会問題だ。特に若い男が朝から晩まで働かなければ、この辺りの地域はあっという間に滅びてしまうだろう。それでも尚、この辺りで商業が盛んなのは理由がある。それこそ商人として大手と言えよう、キルスカ家のアルティカが動くほどに、だ。この地域は国内随一の鉱物の生産量を誇るのだ。数多くの鉱山から掘りだされる鉱物は数多の貴金属の原料となり、何より圧倒的なのは言うまでもない。 「それにしても、アルティカ様が宝石関係の商談に向かわれるのは珍しいですね。高級品は殆ど扱わないでおられるのに」 「んー、まぁ、高いもんはいろいろ気ィ遣うから避けてたんだけど」  そう、まさにこの地域は宝石で水を買っている事で有名だ。場所によっては公共施設の支払いは宝石よりも水だと言う地もあるらしい。予想を遥かに超える過酷な環境下に存在する鉱山から採掘され、加工によって輝く宝石は国内でも非常に評価が高く人気だ。故にどれだけ人口が減ろうとも、滅びないのだ。むしろ外部から働き手として移り住んでくる者も居る。暑さを凌ぐ為の知識や知恵も、この地域に住む人々には代々受け継がれているのだろう。いつかその独特な地域文化も学んでみたい、と考える一方でアルティカはミフェリオの問いに頬を掻いた。どちらかと言えば一般市民が買い求めやすく親しみのある品を中心に取引を行ってきたアルティカにしてみれば、確かに珍しい事だ。 「なんつーか………熱意に心をうたれたー…みたいな?」 「アルティカ様、あれは素直にしつこい、って言うべき部類ですよ」  棒読みではあるがアルティカなりに包んで言ったにもかかわらず、それをいつも郵便物を仕分けているウィルオンが叩き落した。それもあまりにも満面の笑みで言うのだから、アルティカはウィルオンに目を眇めるが何も言えなくなってしまう。しかし仮にもこれから商談に行く取引先を"あれ"呼ばわりはするな、との言葉にウィルオンはすみません、と後ろ髪を掻いた。途端にその取引先に不安しかなくなったのだろう、ミフェリオが大丈夫なのかと問うのも無理はなかった。ウィルオン個人としては少し度の超えたラブレター並みの頻度で届いていた故に心配だ、との感想を述べるも当然逆効果だ。結果としてミフェリオが何故言わなかったとアルティカを見やる事となり、その視線から逃げるようにアルティカは外を見た。 「ああも何度も申し込まれたら、流石に高級品は嫌だからなんて理由で無下に出来ね……―――……?」  不意に、青い瞳が何かを捉えたのか。咄嗟に細められた目は惜しくも何かを見逃がし、しかしそれは気の所為と言うには印象的すぎた。故にアルティカは視線だけで反対側を見やり、しかし流石に自分では捉えきれないか、それとも度の超えた気の所為か。 「…すみません。害が及ぶかどうか、まだその判断をするのには早すぎるかと思って」 「………気付いてたんなら言え、揃って涼しい顔しやがってお前らは…」 「下らない事でアルティカ様の心労を増やすのは俺達としても頂けないので、お許しを」  どうやら前者らしい、アルティカの様子に察したミフェリオが変わらぬ口調でそう言い放った。変わらなすぎる声に助けられたか、アルティカも気付かぬふりをする為に合わせて口調を変えない様に言う。はっきりと下らないと切り捨てたのはウィルオンであり、しかしその黒い瞳はちらりと一度だけ外を見た。 「いやぁ、やっぱりアルティカ様が旦那様から引き継いで生まれ持ったオーラは隠し切れないものなんですかね?」 「馬鹿言ってねぇで、数は?…近くに居るってのはなんとなく分かるけど…」  この馬車にアルティカが乗った故に狙っているのか否かは定かではないが、とウィルオンが楽しそうに目を輝かせる。屋敷を出てからわざわざ徒歩と公共の馬車で移動してきたのだ、立ち振る舞いでそれなりの富豪であるとバレるとはとても思えない。考えながらアルティカはウィルオンに調子に乗るなと視線で訴える一方、彼の代わりにミフェリオが瞬きをして後目に後方を見た。 「…左右と後方に十五人ですね。動きは慣れてる様子ですが、寝ててもやれます」 「あと北東に六、南東に三、飛んでる奴が居ますねー」  気付きながらも言わなかったのは、彼らからしてみればまるで相手にならないと分かり切っていたのも理由の一つだ。後ろを地上から、前を上空から攻め込む気らしい。幸い、自分達の他に乗り合わせている乗客はいない。ちら、と青い瞳が確認の為に汗を拭いながら馬の手綱を握っているだろう運転手を小窓越しに見る。その心配はない、とウィルオンが首を横に振るった。 「気付いてる様子はないですね。まぁ一応向こうも姿は消してるみたいなんで…よく気付きましたね、アルティカ様!」 「なんかその褒め方ムカつくから止めろウィル」  悪意があるようにしか聞こえない褒め言葉に、アルティカはついに満面の笑みを浮かべて見せた。しかしウィルオンはその表情が目的だったのか、いい笑顔です、と告げられたところでアルティカは諦める事にした。アホ臭くなってきた、とつい肩から力が抜けて行き―――それこそがウィルオンの狙いだ。無意識にでも力むと逆に気付かれる。 「…どうする?」 「…下手な真似してからでも、って思ってたけど…さくっと片付けるか」  アルティカ様も気付いてしまったし、それが心労になったら既に害を及ぼしているも同然だ、とミフェリオの問いにウィルオンは後ろ髪を掻いた。しかし馬車の速度は快速、相手は姿を消している上に地上を含め、上空にもいる。一人で片付けるとなると、言うほど簡単ではないか。 「………流石に高いな。雑魚のくせに手間が掛かる…ウィル、俺が行くか?」 「うんにゃ、俺が行く。お前は此処でアルティカ様の傍に居てくれ」  自分が行った方が無駄な労力消費は避けられるだろう、とミフェリオが申し出るも、ウィルオンはそれを断った。援護の有無を問おうとして、止めた。明かに黒い瞳が楽しみたいだけである事を察したからだ。 「万一の時、能力バレすんのは俺の方が良い。別に希少って訳でもねーし、逆にバラした方が牽制になる時もあるし」 「………とか言ってお前、単純に自分が暴れたいだけだろ」 「えっ、やだなぁアルティカ様、俺そんな風に見えます?」 「見える」 「ですよねー」  それを直すどころか反省する気もないらしい、ウィルオンは焦茶の前髪の奥で黒い瞳を瞬かせる。聞いちゃいねえ、とアルティカはそんな彼に諦める事とし、適当にしめるだけで殺すなよ、と言いながら手を振るった。それを許可と解釈したらしいウィルオンは口元を緩め―――ヒュ、と僅かばかりの風を残して姿を消した。 「…なぁミト、アイツに任せて大丈夫…かな…」 「…大丈夫だろ、流石にあんな雑魚に後れを取るような奴じゃ」 「いや違う、ウィルじゃなくて相手の連中」  ヘブリッチでの出来事がまだ記憶に新しい今、アルティカはつい不安からミフェリオに問いかけた。その問いにミフェリオは二回ほど瞬きをして返事を考えるも、逃げるように立ち上がると運転手に声をかける為に小窓を叩いた。何事かと肩越しに振り返った運転手に、ミフェリオは小窓を少し開けるとこの地域では何より貴重とされる水を水魔法で編み出す。後払いで結構だよ、との言葉にミフェリオは首を横に振るい、危険手当だ、と運転手に少し強引にその水を手渡した。何が起きても気にせずに引き続き安全運転を頼む、との切実な願いを言い聞かせれば、運転手は不思議そうに小首を傾げた。  太陽に焼かれて熱い風を切り、天高くで一人の男の背後を取ったウィルオンは重力に従ってその身を振り落とした。 『―――ぐッ!?』 『!?』  ドカ、と派手な音を立ててその背に着地してやれば、突然の重みに男は空中でバランスを崩した。なるほど、熱を防ぐ為にマスク…否、覆面か。考えて見れば当たり前だ、この炎天下で天を舞ってみろ。咄嗟に吸い込んだ熱気に呼吸器が焼かれ、ウィルオンは考えなしに跳んだ事を後悔した。 「(やっべ、跳べるだろって調子こいたら滅茶苦茶ギリギリだし)」  なんとも情けない事にウィルオンはゴホ、とそこで派手に咽た。熱が呼吸を、遠くから飛んでくる砂利が視界を奪う。一先ず一番低い位置を飛んでくれていた名も知らぬ男に内心で礼を言いながら、手刀で男の頭部を打ち据えた。案の定、飛行魔法で飛んでいたらしい男は支えを失くし、その間にウィルオンは男が羽織っていたフードを引っぺがした。 「悪ィ、ちょっと貸してくれ。あとでちゃんと返……せねぇな、許せ」  それで口元を覆い隠しながら、男の背を踏み台にウィルオンはまた天を跳んだ。咄嗟に逃げようとした別の誰かの腕を掴む。びくりと酷く驚いたらしい腕は震え、咄嗟にウィルオンを振り落とそうとするもそれを許すほどウィルオンは甘くない。大きく身を振るう事で勢いをつけ、ぐっと両手で腕をしっかりと掴み直し―――ふわり、と身を振り上げれば彼はその背に着地してみせた。一瞬、彼自身が宙を飛んだかのように見えたのはあまりの熱気による幻覚だろうか…否。それは確かな現実だと言わんばかりに頭部に走った痛みを噛み締めながらまた一人、力を失くしては踏み台にされて墜落していく。流石に二回目となればどんな阿呆でも分かるらしい、バ、と数人が後退するのを感じた。 『ッ速い、何処に』 『後ろに決まってんだろ?』  さっきから背後しか狙ってないだろう、とわざとらしく耳元で呟いてやった。三人目を落とす瞬間、ウィルオンは漆黒の瞳で天を見透かす。その距離をしっかりと把握したところで、ウィルオンは三人目の背を踏み台にして跳んだ先で少し驚いたように目を丸めた。どうやら距離を見誤ったらしい、足を掴もうとした指先は熱を掴んだ。姿の見えない誰かが、息を呑み込んだ声が聞こえた。このままコンボを繋げたかったが致し方ない、とウィルオンは予定を変更し―――フ、と何か合図があった訳でもなく、その姿は消えた。まともに息をつく暇もないまま傍に居た誰かが頭部を強打された事により、ワンテンポ遅れて四つ目のリズムを刻んだ。かと思いきや彼は予想もしていなかった位置で姿を現し、唯一それを追えていたらしい一人がウィルオンの振りかざした拳を避けた。 『お、やるじゃん』 『…ッ、空間移動魔法…!?』 『いやいや、ありえねーから。言っておくけど俺は魔法なんて一つも使っちゃいねーよ?』  言いながらその身は重力に従って落ちるも、咄嗟に引こうとした時には既に足を掴まれていた。五人目が彼の代わりに重力に従って落ちて行き、残る一人を探そうとして、止めた。―――ヒュ、と熱と風を切って飛翔した幻影鳥、ルクトがウィルオンの左腕を引っ掴んだからだ。バサ、と敵を威嚇するように大きく翼を広げた彼は、降り注いでくる太陽の熱を物ともしない。深く吸い込んだ息を全部使って、灼熱の天空でルクトは強く勇ましく、堂々とその鳴き声を響かせた。 『ははっ、そんなに俺と一緒に狩りすんのが嬉しいのか、ルクト?久しぶりだもんなぁ!』  遠く高らかに響いた声にウィルオンは笑みを浮かべ、声を掛ければ意外にも素直にルクトは大きく羽ばたく事で答えた。珍しく素直だと逆にそれを目を丸めるも、すっかり興奮しているらしい彼の足先を指で二回ほど叩けばルクトは直ぐにその指示に従った。ルクトから飛び降りたウィルオンが上空の異変に気付いて動き始めていた地上の一人を沈める一方、ルクトは再び天へと舞い上がった。カァ、と痛いくらいの太陽光を受けてかその羽先は赤く染まり、炎のように輝き始める。赤い紅い翼が、灼熱の大空を抱く。と、その姿は幻影に飲まれて消えた。先ほどウィルオンの姿をも覆い隠した、彼らの名称にもなっている幻影能力だ。野生の幻影鳥と比べて恐れるべきは、ルクトはその羽音さえ完全に消し去った事だ。そう、彼はそこらの幻影鳥とは比べ物にならないはずだ。  何故ならば、彼はウィルオンと共にトルスカ家で特殊な訓練を受けており―――ド、と誰かの肩を突いた鋭い嘴は時として人の肉さえ貪る。それでもまだ暴れ足りないと言わんばかりにルクトは幻影を纏って天を舞い、地上ではウィルオンがルクトに負けぬほどの速度で跳んでいく。砂利の積もったそこは酷く跳躍しにくい足場だろうに、ウィルオンはそれを感じさせない。それもそうだ、彼はトルスカ家で最も秀でた脚力を持つ。下手な飛行魔法よりずっと速く天を跳べるだろう彼は、間近で相手にすればその脅威さがよく分かるはずだ。まるで彼にだけ重力が働いていないのかと問いたくなるほどに、宙に留まっている時間が長いのだ。いや、もしかしたらそれは錯覚なのかもしれないが…どちらにせよ、気付いたら頭上に居た、と彼を目の前にした者は大半がそう感じるだろう。リズムよく次々と仕留めていけば、流石に最後に残された者は理解したらしい。とても自分達が敵う相手ではない、と。一体何処から来たのか、何故自分達を狙ったのか、それともまさか馬車に乗っていたのか。それさえ理解せず、考える余裕もないまま。 『なっ、なんだアイツ、なんで姿を消してるはずの俺達をこんな、正確にっ』 『―――単純に"見えてるから"に決まってんだろ、馬鹿』  加えてわざわざ声で知らせてくれる親切な馬鹿に、ウィルオンは少し哀れみながらその頭を派手な音を立てて踏んで着地した。少し加減を誤ったか酷い音が聞こえたが、まぁ死にはしていないだろう。フ、と僅かな光を宿した漆黒の瞳が周囲を見る。高く高く、天を抱きながら舞うルクトよりも遥か高くから、地上を見下ろす。その範囲はゆうにアルフネスをも超える距離を誇る。"透視"。それは決して希少ではないが、非常に有用性が高く国に雇われればかなり優遇される"固有能力"の一つである。距離を問わずに"視る"事が出来るが、屋敷を中心にアルフネス全体を見下ろしている事が多いからかすっかり遠隔の方が得意になってしまった。そう、彼は戦う時に決して自分の目で見て戦う事はしない。"透視"であらゆる角度から見て戦う事に慣れきってしまったのだ。一度に複数の角度から"視る"事の出来る彼は、未だに同時に透視出来る数を人に明かしたことはない。以前アルティカにはどの程度の距離まで"視る"事が出来るのかと問われた事もあるが、ウィルオンは自分の限界を知る為にそれを試した事がない。同時に透視出来る数も距離も、本人が把握していないのだ。反動の少ない能力と言えど、下手に使いすぎれば当然目が疲れるからだ。 「………ちぇ、能力使うほどでもなかったな。マジで雑魚じゃねーか、つまんね…」  故にウィルオンはルクトの速度に目が回ったらしく、目頭を解してからその漆黒の瞳で無事平穏な馬車を見つけると一直線にそちらへと跳んだ。
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