第二章 主従

5/23
前へ
/161ページ
次へ
 "固有能力"。それはラテマイユ大陸にのみ存在する、魔法でも法術でもない、一人一人に与えられた能力である。ラテマイユ大陸で生まれた人間なら必ず生まれ持ってくる能力は非常に多種多様で、国によって種類や傾向が違う。法力国家シュレリッツでは治療、魔法国家フォルテラでは攻撃、商業国家ルガラントでは物や何かを作ると言った類が多い傾向にある。能力を利用して生計を立てている者もおり、特にルガラントではその比率は他の二ヶ国と比べると圧倒的に高いだろう。現代においては戦闘に適した能力は価値が高いとされている故に、ルガラントにおいては"固有能力"の売買も行われる事がある。国家主義を掲げている東側での取引が主であるが、反国家主義の西側ではそれが人身売買であるとして禁じられている。"固有能力"については未だに判明していない事が多く、そのルーツさえ辿り切れてない。遥かな昔、"神"と"悪魔"がこの地で戦った時に散った彼らの力の欠片である、と言った荒唐無稽な話さえある。しかしそれ程にまで判明していない事が多く、人によっては不気味がって能力そのものを毛嫌いする者も居る。  魔法や法術と違って理論どころかその本質さえ分かっていないのだ、当たり前と言えばそうだろう。強いて言えば分かっている事と言えば、二つ。一つはどんな能力であれ、考えなしに使うべきものではないと言う事。原則として能力の強さに比例して課せられる代償が非常に重くなるためだ。能力を酷使した故に死んだ者が居るのは、近年の歴史が物語っている。もう一つは、能力によっては血を通じて親から子へ遺伝していく能力がある、と言う事だ。大半は個々によって与えられる能力が稀に引き継がれていくことがあり、研究家はそれを"特殊固有能力"と呼んだ。この"特殊固有能力"は、星の数ほどある能力の中でも特に強大な力を持つ能力であると言う。時には戦争で"特殊固有能力"者の有無で勝敗が分かれたと歴史書は現代の人々に語っている。"特殊固有能力"が持つ強大な力に憧れる者、渇望する者が居る一方でウィルオンはその真逆だ。特殊どころか全く同じ能力を持つ者は比較的に多い、能力としては平凡と言えるその能力で良かったと常々思って居る。  "透視"は非常に有用性の高い能力で国からは重宝される能力だが、決して希少ではない事から逆に不足する事が意外とない。そう、下手に強い"固有能力"…それこそ"特殊固有能力"レベルになれば、殆ど強制的に国に連れていかれるのだ。勿論、"透視"の能力を持つ者たちの中でも強さは天から地まで様々だろう。自分がどの程度のレベルかは、あまり考えた事が無い。ただ言える事とすれば、ウィルオンは対象を探し出す速度と透視範囲だけは自分でも誇っている。その殆どは幼い頃から屋敷を抜け出す事の多かったアルティカを探す事で鍛えられた結果だが、今では逆に感謝さえしている。そんなウィルオンが自分の能力が"透視"であると気付いたのは、幼少期だった。比較的、早い段階と言えよう。遠くを見ようと目を細めた時、それに気付いたのだ。中には自分の能力が分からず、一生自覚しないままの者も居る。無自覚の内に能力を使っていた、なんて話もある中で"透視"は非常に自覚しやすい故に、他の能力と比べて数が多く見えるだけなのかもしれない。"固有能力"の本質が判明していない今、能力の種類を意図的に探し当てるのは非常に困難で―――思えば、"透視"の能力をまともに鍛え始めたのもまた、屋敷に来てからだったか。 「(懐かしいな、テオさんに目の認識速度に頭と体が追い付いてない、って言われたんだよなー)」  いくら目が良くても、それに反応できる程の頭と体じゃないと言われた時のことを、よく覚えている。それからだ、彼の許に転がり込んでは頭はともかく身体の速度を求め始めたのは。結果としてトルスカ家において速度だけなら最速を誇れるようになったが、それでも至らない時があるのは頭の方が原因だろう。ふ、と漆黒の瞳が"視る"事で視界が切り替わる。見えたのは、自分達を運ぶ馬車の遥か上空を飛ぶルクトの視界だ。乾いた大地に照り付けている太陽は、見ているだけでその熱を伝えてくる。少し離れた所に、陽炎に揺れる街が見えた。そう、ウィルオンは自らの真名を代償に自らの"透視"に、他者との"視界共有"の制約を課している。自分の真名を知る者の視界を、本人の意図に関係なく"透視"し、共有する事が出来るのだ。恐らく、多くの"透視"能力者は同じ制約を課している。その程度の制約対価が"適度"だから、だ。真名を代償にすると言えど、度を超えた制約は必ず自らの身を滅ぼす結末を招く。そう、"固有能力"とは使いようによっては非常に便利で、人々の生活を豊かにする。だが一歩でも使い方を誤れば、己を殺す。使い方次第では万物を破壊する数多の能力は諸刃の剣と言えよう。 「アルティカ様、あと十五分くらいで到着するかと」 「ん」  他の客が居ないのを良いことに、完全に寛いでいた少年に声を掛けながらウィルオンは視界を元に戻し―――彼らは、予定通り一週間でその街へたどり着こうとしていた。  ルガラント北部、鉱山町ディカーラ。この国の頂点を誇る豊かな鉱山から得られる鉱物が名物の町だ。その名の通り鉱山業が盛んで、宝石や貴金属の生産が主な収入源だ。非常に厳しい環境下の中、この町は他の街にも負けぬほど栄えている。鉱山からの恩恵は勿論だが、それだけでは人々は生きていけない。鉱山以上にこの街が栄えるのを支援したのは貴重な水源だ。オアシスだ。街の中心に枯れることなく溢れるそれは、まさに人々にとって命の水だ。そのオアシスが無ければ、こんな環境下に町は出来なかっただろう。ディカーラの象徴であるオアシスは、この町をずっと守って来た。時にはオアシスを神聖な地とし、神子を定めて様々な儀式を行っていた時代もあったと言う。その時の名残だろう、町の人々は他の地方では見かけない民族衣装に身を包んでいる者が大半だ。民族衣装と言えど、鉱山町であることを証明するかのようにさりげなく小さな宝石が用いられている点を見ると、この町では本当に宝石の価値が低いのが分かる。 「―――さぁっ、いらっしゃい、いらっしゃい!アミュレットにタリスマン、魔法道具も揃えてるよ!勿論、使用してる宝石は一級品だよ!」  その宝石を元に、どれだけの付加を加えて価値を上げられるか。それがこの町で商売をやっていく最大の要だ。多くの人々が賑わう市場から響く声に、アルティカの青色の瞳が途端に輝きだす。その様は、まるで子供のようだ。決して遊びに来た訳ではないのだが、それでも初めて来た地で敷き詰めるようにして並んでいる露店に心躍らない商人はいない。 「すっ…げえ!!噂には聞いてたけど、本当にこんな露店で宝石が売られてんだなっ!?」  他の地域では信じられない光景に、アルティカが興奮気味に胸の前で両の拳を握りしめた。一風変わった商品から見た事のない商品、その一方でまるで味の想像がつかない果実や食物が並ぶそこは、アルティカにとってはまさに未知の遊び場と言っても過言ではない。 「あっ、ちょ、アルティカ様!」 「アルティカ様ー、はしゃぎすぎると危ないですよー?」 「おい、ウィル!」  たっ、と軽い足音を立てて一目散に露店へ走り出したアルティカをミフェリオは認識するも、馬車の代金の支払いに手間取る。何せ金ではなく水での支払いだ、瞬く間に運転手が指定した瓶に水を満たしていくがその速度にも限界はある。此処まで安全運転をしてくれた彼への感謝も込めて、質の悪い水を払う訳にもいかない。故に頼れるとすればウィルオンだが、呑気な彼にミフェリオが声を荒げた。あの様子じゃ止めたって無駄だ、とウィルオンはそんなミフェリオにぴらぴらと手を振るいながら、アルティカの後を追う。少し遅れて、無事に代金を支払い終えたミフェリオが最後に運転手に頭を下げてから小走りでその距離を埋めた。良い滞在をと三人の背に手を振るってくれた運転手は、実に温厚そうな中年男性だった。彼もこの町で少し休む予定なのだろう、ガラ、と馬車がゆったりと動き出したのは暫しの間を置いてからだった。―――町は、とても賑わっていた。時刻が正午前と言う事もあるだろうが、アルフネスにも負けぬ程の賑わいぶりだ。故郷とは違った砂の匂い、乾いた大地、まるで異国のような文化、光景。その全てが、アルティカの胸を高めて止まない。 「ミト、ウィル、早く来いよ!見ろよ、コレ!」 「………アミュレット?」 「…流石ルガラント随一の鉱山町。アミュレットと言うより、宝石で出来たアクセサリーですね」  それを共有したいが為に、アルティカは一つの露店の前で二人の名を呼んでは距離を縮めたミフェリオの腕を引っ張った。それに続けて人混みを抜けて首を伸ばしたウィルオンが、想像していたアミュレットとはかけ離れているそれに微苦笑を浮かべた。後に恐ろしい事になりそうな宝石のデフレーション具合と言えよう、しかしこれだけ露店が並ぶと言う事は物価の価値はバランスを取れているのだろう。ウィルオンの言う通り、並ぶのは宝石を金銀で装飾したアクセサリーのようなアミュレットやタリスマンと言った類だ。一方を見れば宝石を媒体にした魔法道具も販売されており、恐らくシュレリッツとフォルテラから取り入れた技術だろう。他の地域ではともかく、この地域では宝石は石ころと変わらないのだ。少しでも何か特別な付与をしないと、そこに価値が生まれない。 「…つっても、宝石は宝石。品質も悪くないから、やっぱ安くはねぇな」  ふ、と真っ先に値札を見て口元に指先を当てたのはアルティカだ。釣られるように値札を見れば、なるほど安くはない。水の代わりに金で払うとなれば、相応に積まないと買えない値段だ。金銭感覚は一般人に近いアルティカからしてみれば、気軽に買える値段じゃない。その一方で、金の代わりに指定されている水の量を見てみれば、アルフネスでは子供のお小遣いでも買える量だ。水魔法を心得ている者ならば、あっという間に金持ちになれるだろう。それを目的として移住してくる者も居るのは目に浮かぶ。しかし他の地方から来た者は、そう簡単にこの地には移住出来ないだろう。照り付ける太陽に、人の熱が合わさって物凄い気温になっているからだ。この町で生活しようと思ったら、いくら水魔法を心得ていようとも水が不足する。水魔法は、魔力を対価に水を得る魔法だ。どんな優秀な魔術師でも、魔力は有限であり決して無限ではない。暑さを凌ぐ為に水を流していては、とてもじゃないが割に合わない。宝石で水を買うような町は、まさに焼け石に水と表現するのが正しい程に水不足が深刻な地域だ、そう簡単な話じゃない。これだけ過酷な環境で魔力不足にでも陥って寝込めば、体力が少ない傾向にある魔法使いなどあっさり死ぬだろう。故にアルティカは、流石にミフェリオとウィルオンに言われずともこまめに水分補給を行いながら市場を歩いて行く。無論、二人にもそれを促しつつだ。堂々と道端で水筒でも出せば窃盗に遭う可能性が高い故に、人目を盗んで、だが。―――更に、その先。西側では見た事もない商品以上に、アルティカが興味を持ったのは多くの食物だ。 「なるほどな。逆に厳しい環境に放って、食物が本来持ってる防衛本能を限界まで引き出すのか」 「そう言う事。特にこのパラテッカは、追い詰めれば追い詰めるほど実に栄養と甘味を蓄えて生き残ろうとするのさ」  食べてごらん、と興味津々のアルティカに心揺れ動いたのだろう男店主が一つその実を切ってはカウンター越しに差し出した。良いのかと問えば人の良さそうな店主は気持ちの良い笑みを見せ、頷いた。それに礼を言っては止める間もなく、アルティカはそれを口にした。もご、とほんの一欠けらを口にして三秒。シャクと歯ごたえの良いそれを噛み締めた瞬間、アルティカは盛大に咽ると咄嗟に口元に手を当てた。 「~~~っ、甘ッ!?なんだこれ、砂糖の塊みてぇ!?」 「あっはっは!とても甘いだろう?それでいて少量だけど水分も含まれてるからね。普通の砂糖より粉っぽくないから、この地方では重宝してるんだよ」 「…にゃろォ、分かってて食わせたな、おっさん…?」 「ごめんよ、お兄さん方みたいに他所から来たお客さんの驚く反応が気持ちよくってね」  笑いごとじゃない、とアルティカは口元を押さえる手とは逆の手でミフェリオを押さえ込みながら、許せ、と目配せをした。後で説教を受けると分かっていながらも止められないのだろうアルティカに、ウィルオンは二人の後ろで苦笑を浮かべた。もごもごと舌先で少し遊ばせながら口にしたそれを飲みこんだ。丸々一つ食べるのは、どんな甘党でも無理だろう。しかしたった一欠けらでも強い甘味による満腹感に、それ以上に豊富な栄養素は貧困者にとっては救いの食物だという。一見潤っている町にも、貧富の差はある。それはアルフネスと同じなのだろう、そう語る店主は何処か少し寂しそうだった。売れ残りは全て無償で貧困者に振るっているらしい彼は、最近、商品が売れ残る事を何処か願ってしまうという。商人に向いていないのかもしれないと語る彼に、いいや、とアルティカは首を横に振るった。後にアルティカがそのパラテッカの実二つに対し、提示されていた水筒瓶二本に対して三本をミフェリオに指示したのは言うまでもない。無論、そんなアルティカにミフェリオが口直しにと浄化効果の付与された水を突き出したのもまた、言うまでもないこと、だった。 「―――アルティカ様!食べるなとは言いませんから、まず先に俺に食わせろ下さい!」 「いや、でも流石に露店に並べる商品で、狙った相手に盛るってのは有り得ねぇだろ…?俺等だってこの町に来るの初めてだし…」 「ご尤もなんですけどね、アルティカ様…そう言う問題じゃないんですよ…」  その気持ちは分からなくはないが今回ばかりは頂けない、とウィルオンがミフェリオの心中を察して顔を掌で覆った。たまたま立ち寄った露店でそんな事は有り得ないと二人の護衛も分かっているが、これはそれ以前の問題だ。地位ある者が従者よりも先に未知のものを口にする、と言う行為がそれこそ"有り得ない"ことなのだ。富豪商人でありながらやっと財布の紐をほどいた―――支払ったのは金ではなく水だが―――彼は、自分の立場に対して行動が些か軽率だ。良くも悪くも、色々な感覚が一般人と変わらないのだ。それは恐らく、アルティカが自分と他者に違いがないという根本的な意識によるものだ。故にウィルオンの言う通り、それはまさに"そう言う問題ではない"としか言いようがない。 「(本来ならアルフネスの朝市での軽率な間食も控えて貰いたい所だしな…流石にさっきのは不味いですよ、アルティカ様ー…)」  何度言えば分かる、と痺れを切らして声を荒げ始めたミフェリオを眺めながら、ウィルオンもまた流石に後ろ髪を掻いた。悪かったからと両手を挙げて謝罪するアルティカだが、どうにも自覚が足らない様にも見える。…不味いな、と二度思った。そのまま暫くミフェリオの説教は続いたところで、ウィルオンは喋る事で失いつつあるだろう水分を補給させる為にもとミフェリオの口に水筒を差し込んだ。 「っぐ、」 「まぁほらミフェリオ、ただでさえ暑いんだからこの辺で止めとけ?アルティカ様も、次からは気を付けて下さい?」 「おー…」  その本質は二人の仲裁であり、間に入って笑いかければミフェリオは渋々と言った様子で水筒を受け取っては水を口にする。一方でアルティカはようやっと助けが来たと言わんばかりに瞳でウィルオンに礼を告げた。そんな二人の少年に、ウィルオンはくす、と小さく笑った。  その店主から教わった露店は、市場の中でも隅の方に在る露店だった。人通りは上々。だが売られている品は町の出入り口に並んでいた露店と比べると安値だ。無論、その分品質も劣っているのだろう。品質を見分ける事は出来るが、生憎とアルティカは一級品よりも平凡で質素な品の方が好きだ。 『お兄さんみたいな人はね、きっと気に入ると思うよ。お土産にでも買っていくと良い』  そんなアルティカは、逆にあの店主に見分けられた、らしい。同じ商人である彼に、その本質を見抜かれたのだ。何処からか極僅かに吹き込んできた風が、シャラ、と吊るされていた一つのアミュレットを揺らした。その動きに合わせてアミュレットは厳しい太陽の日差しを反射しては身を輝かせる。何故だろう、その姿は太陽に負けじと大きく翼を広げているように見えた。造りは至ってシンプル。ひし形に成形された一つの宝石だけを用いたそれは、酷く綺麗だった。複数の色を使わず、一つの少し大きめの宝石を成形したそれは不思議と昔から人々の心を惹きつけて止まない形だ。赤、黄、緑―――様々な色をした宝石は決して交じり合う事はなく、けれど決して殺し合わない。 「おや、旅の方かい?」  素朴な美しさに思わず指先を伸ばそうとした時だ、ひょこ、とカウンターの奥から顔を覗かせたのは一人の男だった。シンプル故に他の露店に客を持っていかれるのだろう、カウンターの奥で座って新聞を読んでいたらしい彼はそれを放った。癖の強い前髪の奥で、こんがりと焼けた肌に近い色の瞳が三人を見やり、ウィルオンの手にしていた袋が目に留まったらしい。 「あぁ、パラテッカの匂いがすると思ったら…馬鹿だねえあの親父、ライバルに客を流してどうすんだか」 「え…匂い?」 「分かるさ、この土地に長く住めばね。パラテッカのその甘ったるい匂いは、砂の匂いとは混ざらないからな」  香るか、とアルティカがミフェリオとウィルオンに青い瞳で訴えれば、彼等は流石に首を横に振るった。しかし男は分かるらしい、目を伏せてその香りを楽しむように鼻で空気を吸っては、口から吐き出す。 「まぁ、確かにあんたらみたいな旅人は向こうで売ってる、いかにもなアクセサリーなアミュレットより、」  言いながら男はアミュレットが並ぶ棚や、吊るしてあるそれらを見渡すと、一つを手に取った。チャラ、と軽い音を立てて吊るされていたそれを、アルティカの瞳の横に並べて見やる。 「こういうシンプルな方が、似合ってるわな。………うん、これだな。良い色してんな、あんたの目」  アルティカの青い瞳の横で、深い青色の宝石が埋め込まれたアミュレットが揺れた。言われて瞬きをしたアルティカに、男は語る。目はその人物の全てを物語る象徴であり、そこに宿る色はその人物の色である、と。故にアミュレットに用いる宝石の色を、自分の目に近しい色にするのがこの地域では流行っているという。 「アミュレットは護符…魔除けの象徴。自分の色に近しい色を選ぶと、アミュレットの効果が増してより多くの悪魔から護ってくれる、なんてな」 「へぇ…」 「どうだい、旅のお守りに一個や二個。どんな人間だって、心の拠り所は必要なもんだろ?」  女性には人気が高そうな宣伝文句を聞きながら、アルティカは男の指先からそのアミュレットを手に取った。旅人ではないのだが、こういうのを持ち歩くのも悪くはないだろう。お守りや護符と言った物は、身に着けて歩く事でその効力を増すとも言う。ふ、と値札をひっくり返してみる。向こうのと比べればとても手頃な値段だが、少し迷う。こういった類はつい財布の紐が緩くなる自覚がある。折角あの店主が紹介してくれた露店だ。見事にアルティカの好みを掴んでいる…のも、なんだか少し悔しい。二呼吸ほど考え込んだアルティカは、一度そのアミュレットを店主に返した。おや、と男が肩をすくめる。しかしアルティカは別の色を選ぶために返したらしい、露店に飾られているアミュレットを見渡していく。 「あれ」 「ん?………これか?」 「ああ、それ」  店の奥の方を細い指先が指し、店主が確認してからそれを手に取る。ミフェリオとウィルオンが、宝石の色を見て各々の笑みをこぼした。品定めをするように受け取ったそれをアルティカの青い瞳がじっくりと見やり、購入の意思を見せるように持ち上げた。 「銀貨五枚、あるいは水をこの瓶で三本分だよ」 「その前に一つ聞きてぇんだけど、コレ、法術も魔術も施されてないよな?」 「ん?…あぁ、そうだな、大事なことを言い忘れていたな。ここの商品は全部、特殊な加工はされてないよ」  他のと違って一切の術の掛かっていない物だ、と少し申し訳なさそうに言う店主に、いや、とアルティカはむしろ口元を緩ませた。何も掛かっていない方が好都合なのだというアルティカは、ミフェリオを一瞥するとそのアミュレットを水で買う事にした。 「まいど。………一個で良いのかい?」 「いや、ちょっと待ってくれ。ミト、次俺にも水」 「ん」  誰かへのお土産だろうかと考えながら店主が問えば、アルティカはそのままミフェリオの名を呼ぶ。あっという間に瓶に満たされていく水に驚きながら、何事かと店主が首を傾げる。呪文の一つさえ呟かずに水魔法を扱うミフェリオを見て、店主は買い物したい放題だろうに、なんてことを考えた。そんな彼にアルティカが要求したのは、掌が少し濡れる程度の水だ。飲み水にも満たないそれでも、この辺りでは貴重と言えよう。呼吸を整えてから、アルティカはそっと目を伏せて水を握りしめてから、抱くように胸元に寄せた。―――ス、と熱気に包まれた空気が少しばかり冷えたのを感じた。空気が澄んだものに変わったのだ。 「………?」  一呼吸ほどしてから、店主もまたそれに気付いたらしい。故に驚いたように少し息を呑んでは、その様子を見守る。どうやらその予想は当たっているらしい、アルティカはそのまま胸に抱いた水滴を購入したばかりのアミュレットに降り注ぐ。ピチャン、と到底聞こえるはずのない水音が聞こえた気がした。ぱち、と青い瞳が驚いたように瞬きしながら開かれた。 「あっ、出来た」 「おぉ、珍しいですね!」 「うるっせえな、珍しい言うな!」  率直なウィルオンの感想にアルティカは自分でも思ったことだが、と口元を尖らせながら彼を睨んだ。すみません、と後ろ髪を掻いた彼だが珍しいと思ったのはミフェリオも同じ事だろう。と、アルティカはアミュレットを店主に差し出す。何事か、と男の目の前で揺れたアミュレットに埋め込まれていた黄色の宝石が、美しく輝いた。少しばかり濡れているそれを思わず受け取れば、そこに宿った聖なる力に店主は驚いたように息を呑んだ。アミュレットを見下ろし確認してから、顔を上げれば青い瞳が何かを訴えるように笑っていた。は、と二度、驚かされた。 「………あんた、もしかして商人か?」 「正解。俺の言いたい事、分かるだろ?」 「こりゃたまげた。法術を扱える商人たぁ、珍しいな。………それで、何個欲しいんだ?」  同じ世界で生きる商人だと最初から分かっていれば油断しなかったのだが、と言い訳を言いながら問う。するとアルティカは迷うことなく五本の指を立てたものだから、店主はあまりの驚きから転げそうになった。 「い、五つだぁっ?オイオイ、確かな法術であることは認めるが…それだけの付与価値があるようには」 「いいや、ある。この町で最も贅沢な高級品は、水じゃない」  頑として、と言った様子でアルティカはそんな店主に言い放った。商人ならば、その価値が分かるはずだと。眉を顰めた店主に対し、アルティカは左手―――先ほど、水を握った事でまだ少し濡れている指先を持ち上げて見せた。 「聖水だ。元々の水が此処まで貴重なんだ、聖水を作る為にまわす水がある奴なんて極一握りのはず」  それこそ町に在るかは知らないが、聖堂などがあったとしても見る限りではとても聖水だなんて一般的に売られてるとは思えない。どうしても必要な時に、その都度作られると考えるのが妥当だ。この街に住まう聖職者とて人間だ、聖水よりも飲み水の方がまず必要だ。故に、この町に限らずこの地域では聖水は水をも上回る高級品である、と青い瞳は見抜いた。 「だからこの町では魔術の施された商品よりも、法術の施された品の方が割高だ。魔法道具は別枠とするけど…店によっては桁が違う場所もあった」  立ち並ぶ商店から、その事を読み取ったのだ。魔術は魔力さえあれば扱え、アミュレットなどに加護を施す事が出来る。それだけで半永久的に加護を受けられるのに対し、法術はそうじゃない。法術は祈りの力で加護を施すことになる。だが、それは飽くまで祈りを捧げた一時の法力によるものでしかない。そう、早ければ三日もすれば効力が切れてしまう。故に多くの人々は、物品に法術を施す時は必ず聖水を用いる。聖水の力を借りて、飛躍的にその効力を高めるのだ。事実、聖水を用いて法術を扱うとその効力は倍以上になる場合もある。僅かに聖水が残る掌を、アルティカはわざとらしく広げて見せた。 「…俺の商人としての目に狂いがなければ、今そのアミュレットには付与価値に加えて、今後の効果も考えれば金貨三枚の価値がある」  ぐ、と広げた掌を握りしめたアルティカに店主は三呼吸ほど沈黙し―――素直に負けを認めた彼は、とても綺麗な黄色の瞳をしていた。
/161ページ

最初のコメントを投稿しよう!

135人が本棚に入れています
本棚に追加