第二章 主従

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 結局、その日アルティカが購入したものはパラテッカの実と五つのアミュレットのみだ。裕福な生活をしている者の買い物とは思えない、とアルティカは自分でも常々思っている。決して、他に心惹かれる商品がなかったという訳ではない。それでも対価を払わないという事は、自分の中に何かしらの基準がある、のだと思う。良い風に言うのであれば直感、悪い風…と言うよりも本当の所は単純な好みだろう。少し考えて、気付く。恐らく自分は、商品そのもの以上にその奥に居る人物を見ている、のだと思う。悪い癖だ、と自分で思う。どれだけ商品が素晴らしく良いものでも、それを手に取って売る者に対する印象で買い物をしている、と言う事だ。 「(商人としては駄目だな、真っ直ぐ商品を見てない証だ。…けど、)」  それでも大半の場合、商品にそれは滲み出ているものだ。良いと思った商品には、同じように良いと思える人が居る。逆も然り、という場合が多い。故にアルティカは宝石を好まないのかもしれない、と自分で考えた。宝石や高級品に近づきたくないと思うその根本は、宝石や高級品越しに見える誰かと近づきたくないからだろう。 「(そういや、あの子…アルフネスの第三区画に居た女の子、元気にしてっかな)」  だというのに、自分の髪を糸代わりにして刺繍を売っていた女の子の刺繍はあっさり買うのだから、自分はきっと素直な人間なのだろう。更に二呼吸ほどかけて顔は浮かぶ彼女の名を思い出そうとするも、思い出せない。諦めてミフェリオに問おうとして、ふ、と浮かび上がる。レナ。そう、確か彼女はそんな名前だったはず。商売に関わることならちゃんと覚えているし、思い出せるのだけれど。 「―――ここから先は、エンハルト様のご領地だ。なにか用か?」  カシャン、と響いた音で意識を呼び戻された。音源を辿って視線を移せば、二本の槍が門を塞ぐように交差していた。見張りの者だろう、この炎天下で長時間も此処に立っていなければならない彼らは非常に辛い仕事だろうに。それとも慣れているのだろうか、などと思考しながらアルティカは半歩ほど身を退けば、逆にミフェリオが半歩ほど足を進めた。見張りとは門を潜る者を選別する者だ。顔を見せた方が良いだろうとフードに手をかける。しかしそれをやんわりと止めたのはウィルオンであり、漆黒の瞳を見ればこの気温でフードを脱ぐのは頂けない、とその瞳は語っていた。確かに、この地に初めて来る自分では迂闊にフードを脱げば直ぐにバテるかもしれないが。短時間でも駄目か、と極僅かに息を吐き出した。一方ミフェリオはその間に二人の見張りの内、一人に一通の手紙を手渡す。この領地に住まう、エンハルトからの手紙だ。酷く訝しそうに顔を歪めた彼だったが、その手紙を広げた途端に彼は驚いたように目を見開いては、手紙と一同を幾度か交互に見た。 「…大変失礼致しました。まさか、このような形で直々においでになるとは…お申し付けくだされば、お迎えに上がりましたのに」 「いや、そう言うのは苦手でな。先に連絡を入れておけば良かった、驚かせて悪い」  突然、見るからに他所から来た三人組が近づいてくれば門を任されている者達であれば警戒しない訳がない。とんでもない、と言いながら彼はもう一人の見張りに目配せをしながら、手紙をミフェリオに返す。正式な客人だと判断してくれたのだろう、二人の見張りはぴったりと息を合わせて両開きの門を押し開いた。 「僭越ながら、お屋敷までご案内させて頂きます」 「………あぁ、頼む」  いや、と言いかけた言葉を飲み込んだ。自分の領地を自分勝手に歩き回られるのは、誰だって快く思わないだろう。ここで仮にアルティカが断れば、後に彼らがお咎めを受ける可能性もある。一人の見張りに続けて、まずミフェリオが領地内へと入り、続けてアルティカとウィルオンが続いた。と、同時に目の前に広がった光景に流石にミフェリオとウィルオンもまた少し驚いたように目を丸め、眉を顰めた。ここ数日、目にする機会がなかった美しい花々が庭を覆い尽くしていたのだ。この厳しい炎天下で、凛々しく花々は咲き誇っていた。毎日その手入れをして世話をする庭師はさぞ重労働だろう…いいや、違う。 「(門を一枚超えた先では水が金代わりだっていうのに、随分だな)」  さぞ良い生活をしているらしい屋敷の主に、途端にアルティカは会う気力がなくなっていくのを感じた。花を育てる事で自分達の財力と権力を示しているのだろうが、それにしたって随分と残酷な示し方だ。町に住まう下々の者に水を分け与える水はなく、花にあげる水はあるとでも言いたいのだろうか。 「(…いや。貧困者から見えれば、俺だって大差ないんだろうな)」  自分の屋敷を忘れたわけではないだろう、と照り付ける太陽に言われたような気がした。アルティカが何と言おうとも、彼も上流階級者である事に変わりはない。そう、いくらアルティカが歩み寄ろうとしても、彼らはそう言う目でアルティカを見る。彼は、アルティカは自分とは違うのだ、と。それが少し寂しくもあるのだろう、しかしどうしようもない事だ。人間は皆、天を仰げば天しか見えない。その先にある更に高い天も含めて、天は天でしかない。人は、己の目で見える範囲でしか物事をはかることしか出来ない。―――ふ、と横目に見えたそれにミフェリオが僅かばかりに視線を動かした。 「(噴水、か。…駄目だな、この手の馬鹿はアキが一番嫌うタイプだ)」 「(ん~…確かに噴水はお屋敷にもある、が…この町でこれは、ちょっとばかし頂けねーな…)」  少し離れた所に一定間隔をあけて並ぶ噴水を確認したところで、二人の従者も流石に気力を削がれた。この町における噴水など、まさに金を流し捨てていると同義だということは余所者でも分かるからだ。流石に水音でアルティカも気付いているだろうが、彼は見ない事に決めたらしく青い瞳をそっと伏せた。歩くこと三分ほどで到達した屋敷は、キルスカ家のそれとは造りがまるで違った。と言うよりも東寄りに位置する町だ、西に位置するアルフネスとは建築技術が違うのだ。そもそも、この地域は特に他と比べても環境の違いが顕著だ。この地域に適した高級住宅の造りだろう。玄関だろうそこに辿り着けば、一同の訪問を受けてか丁度その扉は開かれた。ふわ、と香ったのは何の香りだろうか。顔を覗かせたのはこの地域での正装だろう、少し変わった衣服に身を包んだ数人の女たちだ。この屋敷に仕えている者だろう、深々と頭を下げた彼女達を見て此処まで共に来てくれた見張りが一歩身を退き、軽く会釈をした。 「ご苦労さん」 「えっ?」 「え?」  そんな彼に何気なく投げかけた言葉に、彼は酷く驚いたように顔を上げては目を見開いた。むしろ何事かと驚いたのはアルティカの方であり、しかし彼は戸惑う様に視線を泳がせるとフードを手繰り寄せてはその顔を隠した。改めてと言った様子で会釈した彼はそのまま踵を返すと、早々と持ち場へ戻るように小走りでまた庭を駆けて行く。 「………俺なんか不味いこと言った?」 「いえ、恐らく労いの言葉を掛けられ慣れていないんでしょう。そういう文化なのか教育方針なのかは、分かりませんが」  思わずアルティカが小声でウィルオンに問えば、彼は何処か親近感がわくのだろう目を細めながら答えた。なるほど、と納得する一方でこんな炎天下では労いの言葉の一つや二つなくてはやってけないだろうに、と目を眇めた。あっという間に遠くなっていく姿を見送るアルティカの背をウィルオンがそっと押せば、青い瞳は緩やかに前方に視線を戻した。 「―――おお、これはこれは!ようこそ、おいで下さいました!」  扉を潜り抜けたその先で響いた声に釣られるように視線を上げれば、丁度来たばかりらしい一人の男が居た。二階部分へ繋がっている短い階段を急ぎ足で降りてきた男を一目見てから、ミフェリオはその場をアルティカに譲った。 「こんにちは、失礼致します。…貴殿が、エンハルト殿ですか?」 「あぁ、はい!私がエンハルトでございます。遠方はるばる、このような地にまでご足労いただきまして…本当にありがとうございます」 「いえ、とんでもない。初めて来る地でしたので、心待ちにして………っと、失礼」  急ぎ足で距離を縮められたからか、アルティカは少し遅れてフードを脱いだ。流石に屋内である事を除いても許されるだろう。それを合図にミフェリオとウィルオンもフードを脱ぎ、アルティカはそっと右手を差し出した。 「初めまして、アルティカ・キルスカです。此度はお招きいただき、ありがとうございます」 「アルフ・エンハルトでございます、お会い出来て光栄です」 「(いや、光栄って。王族じゃあるまいし)」  我ながら考えてることと言ってることを完璧に分けられる所だけは褒めてやりたい、とアルティカは常々思っている。何度聞いても自分の敬語は慣れないだろうウィルオンを後目で見やれば、案の定、彼は込み上げる笑いを悟られないように少し顔を俯かせていた。随分と腰の低い人だというのが第一印象になりかけたところで、此処に至るまでに届いた手紙の数を思い出してそれを撤回した。 「一先ず、お疲れでしょう。どうぞ、此方へ」  しかし純粋に嬉しそうに手を握り返してくれる彼は、少なくとも悪い印象は抱けなかった。  アルフ・エンハルト。このディカーラを治める領主でもある彼は、この町の生命の源であるオアシスを所有する富豪だ。ディカーラの象徴であるそのオアシスを独占する彼に逆らえる者は、少なくともこの町には居ないだろう。本来であれば皆で平等に共有すべき貴重な水源だろうが、後に聞く話によると水の奪い合いによる暴動を防ぐ為にこの形を取ったらしい。生命の危機に晒された人間と言うのは、酷く凶暴になる。生存本能が働くのだ、無理もない。それによって傷つけ合うくらいならば、なるほど、少し強引でも一人が管理してしっかりと平等に分け合った方が良い。その考えには大いに賛成だ。何せ水が金になるような地域だ、金の奪い合い以上に醜い争いはないだろう。 「(その金を、本当に平等に分け合ってるならな)」  数分前にさも当然のようにグラスに注がれた水を横目で見ながら、アルティカはそんな事を考えた。魔法道具の類を使用しているのか、屋敷内は涼しく過ごしやすい気温に調節されていた。頻繁に出入りをしていたら外との温度差で体調を崩す可能性だってあり得るだろう。 「以上が大方の説明になります。…如何でしょう?」 「…申し訳ない。今すぐこの場では、ちょっと」 「はは、それもそうですね。すみません」  総じて、悪い話ではないという事は明らかだった。むしろ、いわゆる"うまい話"と言えるだろう。だからと言って直ぐに簡単に契約を結ぶような阿呆はまず居ない。故に微苦笑で濁せば、違いない、と彼もまた笑った。ふ、と青い瞳がグラスからテーブルの上に広げられたいくつかの宝石に移される。言うほど遠ざけるべき商品ではないのかもしれない。 「(俺の取引先にも、宝石を扱ってるトコはあるしな…とは言え、そもそもこの町への交通がいまいち整ってないのが難点だな)」  仮に取引する事になったら、まず最初に浮上する問題点が最たる難点だ。この環境下では公道を整えるのにも一苦労するだろうし、実際に野盗を見かけた事実もある。治安が悪いのは何処へ行ってもそうだが、特に宝石など取引の為に持ち運ぼうと思えば相応の護衛が必要となる。様々なメリットとデメリット、その二つを天秤にかけながら思考する。宝石そのものへの文句はない。ルガラント随一と謳われる鉱山町だけあって、他の地域と比べても飛び抜けて品質が良い。無論、値段もだが。しかし多くの富豪に愛されて止まない理由は、実際に目にしたことで十二分に理解出来た。 「悩んでおられる顔ですね」 「はは…お恥ずかしながら、これまで一級品を取り扱ったことはあまりないものでして」 「おや、そうなのですか?」  むしろ一般的に露店に並んでいる品の方が取り扱っている、と言う言葉は流石に飲み込んだ。説明の為に手渡された書類を整えながら、これまでずっと引っかかっていた言葉を脳裏で形にする。 「ええ。ですから、幾度かお話を頂けて嬉しかったのですが…正直なところ、これほど品質の良い商品は私より、私の父に持ちかけた方が良いのでは?」 「………なるほど。なかなかお返事を頂けなかったのは、その為ですか?」 「失礼。こう見えて意外と小心者でして」  ひょい、とわざとらしく肩をすくめて見せれば、意外にも彼は気さくに笑った。高級故に慎重になるのも無理はないと言う彼の目の前で、アルティカの言葉に吹き出さなかった後ろの二人はそれだけで褒められるだろう。だがアルティカの言う事が尤もだ。これほどに質の高い品となると、アルティカより彼の父、フェナルドに商談を持ちかけた方が良い。彼はアルティカより遥か上を行く商人だ、その分交渉は難しいだろうが取引先として契約を結べれば得る物も大きい。だがルガラント随一を誇る町で採掘され加工された芸術品は、フェナルドとてその価値を認めるだろう。 「…確かに、そうでしょう。ですが、私は単純に貴方と…アルティカ殿と取引がしたいと、そう思っただけですよ」 「………勘ですか?」 「ええ、そうですね、勘です」  少しからかう様に言えば、彼は緩やかに微笑んで見せた。商人なら誰もが持っている、自分の勘だ、と彼は語った。何故だろう、複雑でありながらも何処か少し嬉しかった。故にアルティカは口元を緩めて、目を細めた。青い瞳に映るのは、金の力を象徴する色鮮やかで美しい宝石だ。これまで避けてきた輝きの奥に見えるそれが、少し見えてきた気がした。 「さて。では…確か製造過程と鉱山をご覧になりたいとの事でしたね?」 「あ、はい。あまり宝石には触れた事がないので、気になってしまって」 「ええ、ええ、構いません。しかし、鉱山はどうしても少しまたご足労を頂く事になりますが…」  部屋で椅子に座って話せる事など、限られている。故に彼の言葉にアルティカは少し感じていたらしい眠気を忘れた。鉱山はともかく製造を担う工場は近くにあるのだろう、立ち上がる素振りを見せた彼にアルティカが退室する前にとグラスに手を伸ばす。 「それは勿論。お時間が掛かるようでしたら、今日でなくても」 「―――失礼致します」  するり、とそのグラスが引っこ抜かれたところで、アルティカは一瞬思考が止まった。聞き間違えのないミフェリオの声に肩越しに振り返れば、彼がグラスに注がれていた水を少量口に含んだ。時間にして三秒ほど舌先で確認してから、ミフェリオは喉を鳴らしてそれを飲み込んだ。 「…失礼致しました」  水が安全なものと判断したのだろう、ミフェリオは変わらぬ顔でグラスをアルティカの指先に戻す。あまりにも自然な動きに驚いたのはむしろアルティカの方であり、しかし少し曲げた上体を戻す直前、茶色の瞳がアルティカを見た。商談に夢中で忘れてただろ、との訴えにアルティカは逃げるように視線を逸らし、苦笑を浮かべた。 「…あー…失礼。その、ちょっと心配性な者で」 「…あぁ、いえいえ。先に試飲をお渡しすれば良かったですね」 「いえ、お構いなく…」  間が持たない、と誤魔化すように許可が出た水を口にすれば、すぅ、と透き通るようなそれに目を丸めた。これまで飲んできた水とは質が違う、と言うのが素人でも分かる程の水に驚いたのだ。そんなアルティカを見てか、彼は小さく微笑んで見せた。 「我が町が誇る象徴、オアシスの原水です。西の水とはまた少し違った味がするでしょう?」 「…美味しいです。なんか…こう…透き通ってる、って言うか」  なんと言えば良いのだろうか、アルティカは思わずグラス越しに水を眺めては試しに鼻を近づけてみる。西の水とは違った香りが、僅かばかりにした。この町独特の香りか、砂の香りか、それとも。 「そうだ。折角ですし、ご覧になられますか?」 「へ?」  率直なアルティカの感想に心動かされたのだろう男の言葉に顔を上げれば、彼はにこりと笑って見せた。
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