第二章 主従

8/23
前へ
/161ページ
次へ
 翌日、アルティカは寝苦しさから目を覚ました。室内は魔法道具で気温を調節しているとは言え、慣れない環境だからだろうか。いや、調節されていても暑くて寝苦しかったのだ。そんなアルティカに、朝一で水を差しだしたのは無論ミフェリオだ。高級住宅と言えようこの屋敷でも酷い暑さで、町の方はどんな地獄になっているのかと考えるだけで恐ろしかった。アレフの言う事を聞いておいて良かったと心底安堵したのは、ミフェリオとウィルオンもだった。正直に言ってこの地域の激しい気温差を舐めていた、と三人は揃って反省する事にした。そんな彼らを気遣ってか、朝食はさっぱりとした物が中心に並んだ。最初こそ食欲が湧かなかったが、少しずつ食べれば食欲は取り戻せた。毒見を行ったミフェリオでさえ、こうして暑さを凌いで来たと言うことを舌で感じる程だった。この地域独特の食に対する好みは大きく分かれそうではあるが―――時刻にして、彼らが席を立ったのは朝の九時前後だ。そこからアルフと彼の護衛と共に町の外へ出て、徒歩十分。僅かな時間で顎下に伝ってきた汗を拭ってから、アルティカは目の前に広がったそれに息を呑んだ。  ゾネベック鉱山。ルガラント随一を誇る巨大な鉱山は、その桁違いな広さと深さが最たる武器だ。鉱山への公道は勿論、内部も快適に作業が行えるようにと随時整備していると言う。魔物の類は大丈夫なのかと問えば、アルフは頷いて見せた。以前、シュレリッツに依頼して魔物除けの陣を張って貰ったと言う。しかし鉱山は日々奥へ奥へと掘り進められていく物だ、万一の為に戦闘に長けた者も配置していると言う。流石に鉱山内部は複雑に入り組んでいる為、"透視"で全てを把握しきる事は難しいか、とウィルオンは黒い瞳を眇めた。こればかりはどうしようもない、とウィルオンは一度目を伏せて能力を解いた。いざという時に使えねば、何の意味もない。 「(合間で休んでたとは言え、流石に一晩中使ってたら疲れんな…)」 「(町の工場は見たところ、不自然なところはなかった。食事も特に何もない。…この人を疑うのは無駄か…?)」  周囲を見渡したミフェリオは、アルティカに向けて簡単な説明を始めたアルフの背を見た。片耳を傾ければ、どうやらこの鉱山は早朝から発掘作業を始め、夕方は早めに終えているらしい。一日の中で比較的涼しい早朝に始め、夜は気温が下がり始めた頃には早々と切り上げるのだ。夜になると夜行性の魔物と鉢合わせになる可能性もなくはない。休憩は三時間に一度、水分補給は一時間に一度。無理もない、これだけ過酷な環境では何より労働者の身体を気に掛けなければ作業にならない。成形や製造を担う工場よりも重労働を課せられる鉱山は、言うまでもなく若い男が中心だ。 「鉱山の現場では、工場で働いてる者の二倍近くの人数を上手くローテーションさせて働かせています」 「二倍?」 「ええ。確かに我が町では宝石の価値は低めですが…かと言って、決して需要が無いという訳ではありませんから」 「…そうか。むしろ安価故に、付加価値をつけて販売したり外部へ売る分を考えたら…」  その通り、とアルティカの言葉にアルフは頷き、多くの労働者を見守るように視線を送った。加えてこの鉱山の広さを考えれば、人手はいくらあっても足らないくらいだろう。邪魔にならないように気を配りながら中へと入れば、坑道内は意外にも少し涼しかった。それでも労働者は全身を使って作業を行う為、直ぐに暑さを覚えるだろう。数人の労働者が、何事かと顔を上げた。しかし特に気にする素振りもないまま、彼らは作業に戻る。黙々と作業を続ける彼らは、仕事熱心に見えた。出入口のそこでは坑内運搬されてきた鉱物を、廃棄物と仕分けする作業を担っているようだ。危険性と作業員の邪魔になることを考えると、流石にアルティカとて奥の方を見たい、とは言えなかった。ふ、とアルフが連れてきた護衛のうち一人に目配せをすると、彼は作業員に声をかけると一つの鉱物を手に取って戻ってくる。 「どうぞ」 「ありがとうございます」  工場の方でも試しにと手渡されたサンプル代わりだ。渡されたそれは小さいのに重く、ズシリとアルティカの指に圧を掛けた。まだ硬い岩の中に半分以上埋もれているこれを、一から削って加工し、貴金属や宝石に姿を変えていく。それは決して簡単な話ではなく、多くの過程を丁寧に行うことで成していき、そして一つ一つの過程の精度が最終的な品質に直結していく。 「(相応の価値がある訳だ)」 「―――おぉい、ミユ!水分補給の時間だ、こっちに来い!」  多くの者の手を渡り歩いて市場に出てくる宝石が愛され、相応の価値がつけられる訳を知ったアルティカの思考を、張りのある声が遮った。何事かと顔を上げれば、一人の若い男が一点に向けて片手を大きく振るっていた。傍には言葉通り、水分補給を行う若者たちが数人いた。大きなカゴの中に詰められた瓶を一本取っては、蓋を開けて男たちは水分補給を行っていく。 「…駄目だ、聞いてねえ。まさかアイツ、今日も飲まないつもりなのか?…おーい、ミユってば!」 「このままじゃアイツ、本当に倒れちまうぞ。馬鹿な奴だよ、どうしたってあんなに頑なに…」  めげずに声を掛け続ける男たちの視線の先を辿れば、ふ、とこの場には不似合いな程に細く小さな体を見つけた。素人が見ても場違いだと思うだろう、驚いた事にそこに居たのは一人の少女だった。見間違えかとアルティカだけでなくミフェリオとウィルオンも必要以上に瞬きをしたり、目元を擦ったりした。長いこと洗っていないのだろう深紫の短い髪の下で、男たちの声かけに微塵にも動かない深紅の瞳が淡々と鉱物だけを見つめていた。将来はさぞ美しい女性になるだろう顔立ちは整っているが、無表情だからか凛々しくも見えた。廃棄物と工場に運ぶ物とを仕分けしているらしい少女の手は勿論、アルティカ達よりも大分小さな体は酷く汚れていた。 「…すみません、少々失礼させて頂きます」  酷く申し訳なさそうに、アルフがアルティカに一言だけ残して若者たちとの距離を縮めた。その姿に気付いた若者たちがその名を呼ぶも、相変わらずだ、と彼に助けを求めるように口々に言う。 「ミユ、こちらにおいで」  見て見ぬふりは出来ないだろう、アルフがその名を呼べば仕分けする手が止まった。誰の呼びかけにも答えなかった少女が肩越しに振り返れば、冷たい深紅の瞳がアルフを睨むように見た。ふ、と一番最初にそれに気付いたのはミフェリオだ。皮肉なことに、少女から己と似た"ニオイ"を感じたからだろう。確認するようにウィルオンを一瞥すれば、彼は黒い瞳をそっと伏せた。肯定の意だ。素人では分からないだろう、しかし相応に戦闘経験を積んだ事のある者であれば分かる。故にアルティカがそれに気付いたのは、アルフの指示に従って少女が歩き出した時だ。ジャラ、とその歩みに合わせて長すぎる程の裾からわずかに見えた鎖が、決定的な証拠だった。それは"揺り籠"―――奴隷の証だ。国家主義との境目に在ると言えど、此処は反国家主義に属する地域だ。奴隷制度は禁じられているはずこの地には、居てはいけない存在である事をアルフとて理解している。 「…現場入りしてから、ずっと水を飲んでいないと聞いた。いくら君が常人と比べて強いと言えど、このままでは本当に倒れてしまう。飲みなさい」  その証に、彼は少女を奴隷のように扱うどころか気遣う様に優しく告げた。深紅の瞳が、そっと伏せられた。否、と彼の言葉でさえ拒むように少女は横に頭を振るった。ミユ、とアルフが再度少女の名を呼んだ。そのまま幾度かアルフは少女に根気よく声かけを続けるも、少女は一切応じる事無く、最終的には頭を下げると踵を返してしまう。アルフが伸ばしかけた手は、少女に触れる事はなかった。いや、恐らく触れられないのだ。そして少女は引き続き作業へと戻ってしまい、残されたアルフは酷く肩を落とした。休憩時間はとっているのかと問えば、一人の男が確かに頷いた。休憩時間を取っているだけ、良いと判断すべきなのだろうか。 「………主を失くした"揺り籠"、ですか」 「…ええ…。一週間ほど前、町の近くで倒れていたのを保護したのですが、見ての通り…所有の証である足枷がつけられたままの状態でして」  戻ってきたアルフにアルティカが問えば、彼は嘆かわしいことだ、と目を伏せた。様々な理由から、主を失くす"揺り籠"は多いと言われている。それは不慮の事故だったり、貴族であれば暗殺だったりと幅広い。基本的に主が失われれば当然、所有者を失くした奴隷たちは一時的に自由と成る。例えばそこに代わりと成る身内や血縁者など、持ち主から遺産相続の権利を与えられている者が居れば自動的に奴隷達もそれが適用される。しかし、中には所有権が酷く複雑化してしまう奴隷も居る。あの少女こそ、良い例と言えよう。そう、多くの奴隷たちは主から所有の証として鎖などを与えられる事は今や一般常識だ。だが、質の高い奴隷となると主から与えられた所有の証を第三者に壊されぬようにする。己が主の所有物であり、私財である事を理解しているからだ。私財窃盗を防ぐ為に、与えられた証を守ろうとするのだ。そんな奴隷が、様々な理由から証を外される前に主を失くせば、言うまでもない。 「元闘技奴隷だったようして、鎖を外そうにも…」 「(…闘技に限らず、質の高い"揺り籠"は主以外が証を外そうとする素振りを見せるだけで、スイッチが入る…んだっけか)」  主を失ってもなお、主に従おうとする"揺り籠"は見ていて非常に心苦しいものだ、とアルフは息を吐き出した。保護されたこと自体には感謝している故に、彼女はこうして鉱山で働くことを受け入れたのだろう。その点を見る限り、既に主が失われている事は理解しているはずだ。だが"揺り籠"として生きてきた故に、それに縛られている。常に主に、買い主に縛られ続ける生き方しか知らないのだ。故に少女は、たった一滴の水でさえ飲まない。その水は主から与えられた物ではないこと以上に、水を飲む事を主に許されていないからだ。 「…食事は?いくら"揺り籠"でも、人間に変わりはねぇだろ。…まさか、それも…?」 「…少なくとも、私達が出した物には一度でも手を伸ばした事はありませんね。恐らく…」 「休憩時間や仕事が終わると一人で何処かへ行ってるから…自分で仕留めた獲物で食い繋いでるんじゃないですか?」  アルティカが問えば、アルフと一人の若者が言葉を繋げて完成させる。過酷な環境と言えど、周辺を縄張りとする動物は存在する。決してその数は多くないと言えるが、闘技奴隷だったのであれば動物を仕留めるなど簡単だろう。 「近々、上層部に協力を申請するつもりではありますが…あの様子を見ると、難しいでしょうね」  そうだろうな、とアルフの言葉に同意する言葉は喉の奥に消えて行った。青い瞳が歪められ、思考する。闘技奴隷となると、普通のそれとは訳が違って非常に戦闘能力が高い場合が多い。それでいて、一度戦闘になると止めるのにも苦労する者も多いと言う。戦う為だけに生み出された存在だ、無理もない。 「(それでも多分…ウィルか、ミトなら…―――…いや、)」  それはアルティカ自身のわがままだ。その為に彼らに戦わせると言うのは、どうしてもアルティカの中では良しとは判断出来なかった。故に青い瞳は少女から逃げるように逸らされた。そう、アルフも上層部に協力を仰ぐと言っている。今此処で無理に自分が命じたところで、早いか遅いかだ。むしろ上層部に託した方が、正式な対処法を心得ている。 「(俺がやるなんて言ったら、二人が黙ってる訳ねぇし)」  アルティカとて武術に自信がないという訳ではないが、戦闘に特化した存在が相手では流石に迂闊に挑めない。…と言うよりもそれ以前の問題だ、とアルティカは傍に居る護衛二人を肩越しに見た。その視線に気付いたのだろうミフェリオの茶色の瞳がアルティカの青い瞳を見て、そっと目を伏せた。アルティカがそれを望むなら、厭う事はない。そうミフェリオが語る一方で、ふ、とウィルオンはその瞳で何処か遠くを"視た"。それに何事かと問おうとした時だ、慌ただしい足音が鉱山の入り口から響いてきた。 「アルフ様っ、アルフ様ーっ!!」 「…何事だ?騒々しい」 「た、大変ですっ!お屋敷に正体不明の集団が侵入し、ヨハン様がっ!」  途端、アルフの顔から血の気が引いた。その名は確か、彼の一人息子の名だ。その言葉を聞いて青ざめない親は先ず居ないだろう、アルフは転がり込んできた者との距離を急ぎ足で埋めた。 「ヨハンがどうした!?」 「それが、連れ浚われてしまい…!捜索しようにも、侵入してきた集団が異様な程に強く…!」 「―――ウィル!!」  瞬間、アルティカは迷わずにウィルオンの名を呼んだ。それを合図に彼は黒い瞳を瞬かせ、改めてその町を遥か高くから見下ろした。響いた声にアルフが驚いたように振り返り、そんな彼にアルティカは一歩を踏み出した。 「戻るぞ、急げばまだ間に合うはず!」 「…っ…いけません、アルティカ殿は此処に残って下さい!」 「そんなこと言ってる場合か、手遅れになる前に」 「―――アルティカ様」  ス、とそれを柔らかく、けれど強く止めたのは細い指先だった。静かな声がその名を呼べば、不思議と意識を惹き込まれた。見やればミフェリオの静かな瞳がアルティカを見ており、その瞳は浮かんでいた言葉と声を全て吸い込んだ。 「…エンハルト様のお立場を、ご考慮下さい。アルティカ様は、ご自分の屋敷に招いた客人を危険に晒したいとお考えになりますか?」 「……ッ…!」 「それでもアルティカ様が望むのであれば、俺かウィルがエンハルト様にお力添え致します。…どうか、ご理解下さい」  お前が行ってどうする、とその瞳は暗に強く語っていた。彼の言う事が尤もだろう、アルフは全てを代弁してくれた彼を見て口を閉ざした。そして理解を求めるようにアルフはアルティカを見やり―――ぐ、とアルティカは奥歯を噛みしめ、軽く拳を握りしめた。 「…ッ、ウィル!」 「かしこまりました」  三秒ほどの思考の末、アルティカは彼らが容認するだろう一つの結論を弾きだした。その命に応え従ったのはウィルオンであり、その直後に彼は姿を消した。一呼吸程置いてから、アルフはそっと会釈をした。 「アルティカ殿を休憩所へご案内しろ。…一度作業を中止し、奥の方に居る者達は全員入り口へ呼び戻せ!警備を固めろ!」 「はっ!」 「………アルティカ様、こちらへ」  そしてアルフは指示を出しながら急ぎ足で歩き出し、残されたアルティカは命を受けた青年に名を呼ばれるも、返事をする声さえ出てこなかった。  鉱山の入り口は、一時的な混乱に見舞われた。町に賊が入ったと言う認識で大方間違っていないだろう、多くの者が帰宅を望んだ。当たり前だ、町には彼らの大切な家族が住んでいる。しかし今此処で彼らを帰宅させれば、混乱していると予想される町は更に混乱する。休憩所の外で警備の者と労働者たちの衝突は、三十分以上は続いただろう。与えられた一室は、決して質は良いとは言えなかった。それでも外での待機を命じられた多くの労働者よりかは、ずっと快適だろう。部屋の中心で、アルティカはずっと窓から外を見ていた。姿勢を少し変えれば、ギ、と少し古びてきた椅子が軋んだ音が響いた。ミフェリオが差し出した水を、彼は一口も飲んでいないままだ。いくら彼とて、流石に喉を通らないのだろう。しかし気温は徐々に上がりつつあるし、流石にこんな所に気温を調節する魔法道具はない。 「………アキ、水を飲もう?」  幾度目か、ミフェリオは心配からアルティカに声を掛けた。恐る恐ると言った様子で、細い指先が新しい水を差し出した。呼びかけに、アルティカは答えない。それどころか視線さえ動かす気配もなく、ただただ、彼は外を見ているだけだ。 「…アキ、朝食の時に飲んでから、もうずっと」 「悪ィけど。………後で、ちゃんと飲むから、」  それでも彼は、その水を決して要らないとは言わなかった。いいや、言えないのだ。彼は、アルティカはそう言う人物だ。最後まで言葉は紡がれず、結局二人の間には重たい沈黙が落ちては沈んでいった。照り付ける日差しが、何処か恨めしい程に眩しくなってきた。何処か力の抜けて行った肩を少し持ち上げて、アルティカは頬杖をついた。頭が重たいのだろう。そんな彼にミフェリオはそっと身を退いて、視線を追うように窓の外を見た。ウィルオンと同じような目を持っていれば、此処からでも町の様子が見えたのだろうか。しかし生憎、ミフェリオはウィルオンのような目を持たない。透視魔法を扱う事は出来るが、あれは彼の目のように使うのは酷く難しい。精々、魔法や魔術で姿を隠している者を肉眼で見える範囲で見つけ、その姿を暴くことくらいしか出来ない。"固有能力"と魔法では、根本的な性能が違いすぎる。痛いほどの静かな沈黙が、どれだけ流れただろうか。 「なぁ、ミト」 「………なに?」  ぽつ、と呟かれた声はこの部屋が沈黙に包まれてなければ聞き取れないほどに小さな声だった。あまりにも小さすぎる声は、感情が読み取れなかった。それでも不思議と、どんな表情をしているのか分かる気がした。 「正しさって、なんだろうな」  ずしり、と何処か重たい何かを感じた。その重さは、きっとアルティカの発した"言葉"の重さだ。見えない青い瞳はもしかしたら、それをずっと考えていたのかもしれない。事が起きてからではない、もっとずっと前からだ。 「俺は今、正しいことをしているのか?」  ヘブリッチに赴いた時から、ずっと、だ。頬杖を止め、頑なに動かそうとしなかった視線を、前方に戻しては虚空を見つめる。ウィルオンを協力に向かわせ、ミフェリオを傍に置いて、自分は安全な場所で事態の収束を待つ。それは果たして、正しい事なのだろうか。 「…いや。正しいんだろうな、お前達を従わせる、主人としては」  答えは、正しい、だ。二人の従者とて、主人が危険性の高い混乱している地に行かれては困るだろう。それならば安全な場所でじっと大人しくしてくれていた方がミフェリオも、そして現地に向かったウィルオンも気持ちが楽だ。これが最善であり、正しい。それはアルティカとて分かっている。理解している。故に彼はそうしたのだ。 「けどこれは、"人間"として"正しいこと"と言えるのか?」  しかし彼は…彼らは主人である前に、そして従者である前に一人の人間だ。青い瞳が、考え込むように伏せられた。一呼吸程して、ふる、と彼は頭を横に振るった。少なくともアルティカは、それが正しい事だとはどうしても思えないのだ。 「俺が今此処で、あの町の力に成りたいと言ったら、それは…。………それは"間違ったこと"なのか?」  ヘブリッチの一件から、ずっとずっと、そんな事を考えて―――刹那。ミフェリオは音もなく抜剣した。長剣がまず最初に真っ二つにしたのは、派手な音を立てて部屋の中心にまで飛んできた扉だ。次いでミフェリオの剣はその奥から斬りかかって来た男の首を容赦なく切り落とし、それがアルティカの視界に入らぬようにと扉の下部を蹴り上げ、男に叩きつけた。しかし青い瞳がそちらを認識するよりも早く、ミフェリオは二人目の首を斬り落としては、そのままの勢いで飛んできた矢を斬った。そして名を呼ぼうとしたアルティカの口を指先で塞ぎ、軽くその身を押し退けてからミフェリオは窓の外へと剣先を向け。 「"魔法打撃(マジックストライク)"」  必要最低限の呪文だけを呟いた彼の命令に従い、ヴン、と剣先に現れた魔力の塊が窓の外から侵入しようとしていた誰かを容赦なく貫いた。  魔法学において、その呪文は基本中の基本でありながら高位の魔導士でさえ用いるシンプルな魔法だ。自身の魔力の塊を飛ばす。ただそれだけの魔法に違いはないが、その威力は術者の魔力の強さがそのまま出るのだ。特にハッキリと相手が分からない状況では、どの属性にも属さない―――無属性に属する"魔法打撃"は、非常に有効的な手だ。この世には特定の属性が利かない魔物すらいるのだ、人間が相手でも同じ事で、個々には得意不得意がある。故にミフェリオがその魔法を使ったのは、間違いなく正しい判断だったと言えよう。ガタ、と少し派手な音を立ててアルティカが座っていた椅子が倒れた。 「っミト、」 「黙って、少し飛ぶぞ!」  共にバランスを崩して倒れそうになったアルティカをミフェリオは少し強引に手繰り寄せては、抱き上げた。突然の衝撃に舌を噛まぬように口を閉ざした瞬間、ひゅ、と頬に感じたのは熱いくらいの風だ。一瞬のうちに窓から外に出た、のだろうか。重力に従って落ちる、その狭間でミフェリオは再び剣先で狙いを定め―――最後の一つだった魔力の塊が、窓から身を乗り出そうとした最後の一人を仕留めた。
/161ページ

最初のコメントを投稿しよう!

135人が本棚に入れています
本棚に追加