第二章 主従

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 ふわ、とようやっと地に下ろされたのは人の気配がしない別の鉱山内部だった。突然の事に身体が少し追いつけていないのだろう、ふらついた身をミフェリオが支え、それを頼りにアルティカはバランスを取り戻した。一方でミフェリオはアルティカの身体を確認し、怪我を負っていない事にまず小さく安堵の吐息を漏らした。 「アキ、大丈夫か?」  問いに答えようとして、言葉が出てこなかったらしいアルティカはしっかりと頷くことで答えた。最後にしっかりとバランスを取り戻したことを確認してから手を離し、ミフェリオは剣を鞘に納めて周囲を警戒しながらアルティカの背を優しく押した。坑道の奥へ入るよう促せば、アルティカはそれに従い―――別の採掘所へ繋がっているだろうそこは、先ほどの入り口よりも少し小さめだ。 「ごめん、まだ誰が敵か判別出来ないから…人が多い場所は避けた」 「……ん。分かってる、サンキュ」  今頃また騒ぎが起きているかもしれない先ほどの入り口を思い出しながら、二人は奥へと進んでいく。全員避難しているのか人の気配はせず、採掘道具なども放置されたままだ。少し奥へと進むだけで、じと、とまとわりつくような熱が二人を飲み込んだ。 「顔、見たか?」 「…いや。全員隠してたから」 「…そうか」  途中、水分補給所か少しスペースが空いているところを見つけると、一先ずと言った様子で二人はそちらへと向かう。動きを決める為に話し合う為には、落ち着ける場所が必要だ。ミフェリオがそこに危険がない事を確認してから、頷く。丁度、少し周りの岩石に囲われているようなそこは、入り口からは見えないだろう。 「…町に侵入したって言う、集団か?」 「その可能性は高いとは思うけど…どうかな」  断定はできないと語りながら、ミフェリオは今度は有無を言わせないと言った様子でアルティカに水を差し出した。状況が状況だ、アルティカもまた此処で我儘を言うほど子供じゃない。受け取った水を飲み込めば、少し安堵したミフェリオもまた水を口にした。 「ウィルからの情報が欲しいな。敵の狙いが、この鉱山だという可能性もある」 「同意だな。…となると敵の正体はある程度、目星がつく」  通らなかっただけで喉は乾いていたのだろう、アルティカはミフェリオの言葉に頷きながら空になった水のカップを差し出す。それを指先で軽く弾けば二杯目が注がれるも、彼はそれをまた一気に飲み干す。一度決めれば素直なのに、そこまでが頑固だ。 「この鉱山が誇る豊富な鉱物…資源を狙う他の町村―――国家主義」  そう、決してアルティカは馬鹿でもない。故に青い瞳は敵の正体を的確に予想していた。これだけ豊富な鉱物が採掘できる地だ、国家主義だって流石にディカーラを反国家主義に取られたのは痛手だろう。無論、ディカーラとしては宝石などが売れてくれた方が儲かる。故に国家主義との取引は行われていただろう。反国家主義とて、商業国家である以上そこまで制限する権限は持たない。それだけの力を有さないのだ。ディカーラを治めるアルフの一人息子、ヨハンを連れ去ったという事も相手が国家主義であればそれだけで筋が通る。何かの条件を飲ませるなど、とにかくアルフを無理にでも頷かせるためには実に有効的な存在だ。 「昨日ウィルでさえ取り逃した存在…国家主義に属する者なら、正式な訓練を受けていても可笑しくない。けど」 「…これもどうだろうな。確かにディカーラは豊富な資源を有するが…たかが鉱山町一つの為に、国家主義が動くとは思えねえ」  ミフェリオの言葉を、アルティカが繋げて完成させる。一つ一つ、限られた情報を組み合わせては確認していく。…そう、鉱山を奪われたからと言って、反国家主義に致命傷を与えられる訳でもない。揺さぶりには十分だろうが、些か理由としては弱く感じる。暫しの沈黙が落ちる。仮に正式な訓練を受けた、国家主義の者が動くと言うのであれば、もっと大きく。さらに視野を広げた。 「戦争」  ポツリ、とそれを言葉に成す事を躊躇ったアルティカの代わりに、ミフェリオが呟いた。例えば仮に、国家主義の目的が反国家主義との戦争を引き起こす事だとすれば、どうだろうか。金による戦争ではなく、本当の武力による戦争―――となれば、必要なのは武具であり、その原材料は。 「………鉄。大量の武器を作るためには、大量の鉱物が必要となりその価値が沸騰する。此処までは良い、多分、八割合ってると考えても良い」 「うん、俺もそう思う。問題はこの後、俺達がどう行動するべきかハッキリと分かれる、不透明な部分」  アルフ・エンハルト。その名を二人は敢えて口にしなくても、互いの顔を見合わせる事で確認し合った。息子が連れ浚われたと聞いて、直ぐに動いた彼を見る限りどこにでもいる優しい父親に見えたが、どうしても純粋にそう見えないのには原因がある。 「…可笑しいだろ。昨日、なんであの人はミトとウィルが反応した侵入者に、一切の対応をしなかった?自分の屋敷だぞ、普通は不審がる」  俺だったら自分の部屋であんなことが起きれば、間違いなくミフェリオの名を呼ぶ、とアルティカは腕を組んだ。後に対応した素振りもなく、ではアルティカ達と分かれた後に指示を与えたのだろうか。いいや、それでは遅すぎる。 「そもそも、だ。俺が舐められてるって事なら別に構いやしないが…そのヨハンとやらも、なんで俺が来た時に顔を見せなかった?」  自分なら、あるいは自分が尊敬して止まない父ならば。他の街から遠方遥々やってきた客人が来たら、間違いなく顔を出す。それは富豪だとか商人だとか、関係ない。一般家庭でだって普通に行う事であり、礼儀だ。それが軽い挨拶さえ、無かった。 「それと。…俺から言わせてみれば、いくら屋敷内と言えどアキを案内する時に自分の護衛を付けていなかったのも納得いかない」 「ああ…おまけに、あんな事があったら流石に俺だって一人や二人呼ぶ」  屋敷内だから安心していたとしても、その後に侵入者らしき影を捉えた時の対応が更に可笑しい反応と言える。あんなことがあれば、護衛の一人や二人を直ぐに呼んで傍につけるはずだ。それが出来ない程、立場に自覚がないようにも見えない。例え仮にそうだったとしたら、正直に言ってただの阿呆だ。そう、総じて彼は不透明な部分が多すぎる。 「決定的なのは、仮に敵の正体が本当に国家主義だったとしたら―――なんでさっき、俺はその連中に狙われた?」  まさか鉱山に在る休憩所に、富豪商人の息子がいるなどと言う情報を簡単に掴めるだろうか。答えは、否だ。町で騒動が起き始めたのは、ほんの三十分…いや今現在からおおよそ一時間前だ。そんな短時間で、そこまでの情報が流れるとは思えない。故に弾き出される答えは、事前に知っていた、と言う答えだ。誰かが教えたと更に仮定を重ねるとすれば、その先は一つしかない。 「"反国家主義"に属する者の中でも、特に強い権力と発言力を持つ"フェナルド・キルスカ"の息子だから、だ」  自分につける護衛さえ削ってまで何かをさせていたと言うのであれば、さて、むしろ何を指示していたのか此方が聞きたいくらいだ。刹那、更に思考を深める二人を阻んだのは坑道に響き渡って来た激しい衝撃と音だ。ぐら、と鉱山全体が揺れたかのような衝撃だ。崩れそうになったバランスを必死に保つ一方で、ミフェリオが衝撃が伝わって来た方角を睨み見ながら剣の柄を握った。 「(…違う、さっきの入り口の方角じゃない…?)」  少しの間を置いて、また衝撃が走る。二度、三度、と一定間隔をあけて響くそれは、まるで逆の方角だ。何か巨大な生物が坑道を突き抜けて来ているのだろうか、走ってくる衝撃に天井から砂利が降り注いでくる。 「アキ、こっち」  まだその距離は遠いと言えよう、流石にこちらの気配を掴まれる事はないだろう。その前にとミフェリオはアルティカの手を引っ張ってその距離を測るように坑道の奥へと進み、丁度良い箇所を見定めて身を隠した。ミフェリオがアルティカを背に押し込める形で二人は息を潜め、響く衝撃音に耳を傾ける。 「(…魔物…じゃない、人間…?………人間!?)」  当然先にその正体を読み取ったのはミフェリオであり、しかし思わず自分を疑ったのも無理はない。激しい衝撃音の後に響くそれは、間違いなく巨大な岩石がガラガラと崩れゆく音だ。それこそ強力な魔法を叩きつけているかのような音だが、魔力の波動も感じられない。と成ればまさか金槌で叩き壊しているのだろうか。―――ドゴ、と派手な音を立てて同じ空間に存在していた壁が壊れたのを感じた。ガラガラと岩石が崩れていく音が響き、ミフェリオはそっと心の中で数字を数えた。これまでピッタリ一定の秒数で続いていたそれが止まれば、迷わずに斬り捨てるべきだ、と考えたからだ。 「オイ」  瞬間、ミフェリオはそのカウントさえ斬り捨てた。少し離れた所から響いた声に、音もなくミフェリオは跳び坑道の薄闇の中で長剣が鈍く反射した。その時、ミフェリオは不思議な感覚がした。跳びすぎたのだろうか、ふわ、と微かな浮遊感を感じたのだ。―――いや、違う。受け流された上で、逆に体を持ち上げられたのだと気付いたのは、派手な音を立てて壁に叩きつけられてからだった。一度、肺の中の空気が全て吐き出される。それでもミフェリオは声を漏らすことなく、その音を聞いたところでやっとアルティカは気付いた。彼の口がミフェリオの名を呼ぶ前に、再び振るわれたその長剣をその存在は大胆にも素手で受け止めた。パシッ、とまるで場違いな音が聞こえた。 「………あぁ、やっぱりオメートルスカ家の人間か。警戒する気持ちは尤もだが、話を聞いてくれねェか」  気付けば腹部に滑り込んでいた拳が寸止めされており、そんなミフェリオの視界に映り込んだのは綺麗な深紅の瞳だった。細い指先が掴んだ剣先を少し引っ張れば、その長剣を知っているのか、動きに合わせて揺れた深紫の髪は短く。 「…ッ、お前…!?」 「よォ、さっきぶり。オメーテオドールのガキか?…知らねェけど、アイツの教えを受けてンなら馬鹿じゃあねェだろ?」 「ミトっ!!」  ようやっとアルティカの声が響いた時、その人物―――見覚えのある少女は、肩越しにアルティカを見やった。 「…へェ、顔は結構フェナルドに似てるんだな。…オメーもアイツのガキなら、利口な判断してくれねェか?」  ジャラ、と変わらずその両足に取り付けられたままの足枷が動きに合わせて身を揺らし、坑道内に音を響かせた。  女にしては低めの、男にしては高めの声を持った少女は、隣に立つとよりその小柄さが顕著になった。ガラ、とつい先ほどまでアルティカ達が居た水分補給所に転がっていたカゴを転がした彼女は、小さく舌打ちをした。 「チッ、此処も綺麗にやられてやがる…めんどくせェなぁ…」  本来であれば限界まで水の入った瓶が詰められているのだろうが、今となってはその跡形もない。避難する際に労働者たちが持って行ったのだろうか、少女は愚痴を零しながらカゴを放った。 「えっと…リク、だっけか?お前、一体何者だよ?」 「んァ?…元闘技奴隷でこの町の心優しい領主に保護された女、っていう設定の通行人」 「………斬るぞ」 「冗談に決まってンだろ、テオドールそっくりで頭のかてェ護衛だな。ちったァ笑えよ」 「いや笑えねぇよ」  ミユ改めリクという名を名乗った少女の言葉にミフェリオが剣の柄を掴めば、深紅の瞳が呆れたように歪む。しかしこの状況で冗談を飛ばす彼女が悪いだろう、アルティカが目を眇めればようやっと理解したのか少女は小さな肩をすくめた。 「まァ、オレにも事情があンだよ。今は互いに無害同士って事で目を瞑ってくれねェか。あれなら腕か足の一本や二本くらいならくれてやるからよ」 「いらねぇよ、馬鹿か!」 「おっと、声がでけーよアルティカ坊ちゃんよ」  常識からかけ離れている発言にアルティカが声を荒げるのも無理はないが、それは頂けないと言った様子で少女は口元で人差し指を立てた。先ほど壁を破壊してきた奴に言われたくないと言えば、それもそうか、と彼女は自分の行いを思い出しては後ろ髪を掻いた。発言を聞く限り、どうやら彼女はフェナルドとテオドールの事を知っているらしいが、それを聞いても彼女は知人である、としか答えなかった。 「オメーら、此処に来るまでに坑道内に配置されてた水の入った瓶、持ってたりしねェ?」 「…いや、持ってないな。…喉乾いてんのか?」 「うんにゃ。別に喉が渇いてる訳じゃねェよ」  聞いた言葉が確かであれば、彼女は此処に来てから一度でも水を口にしていないと言っていた。故に問うも彼女はそれを否定し、むしろちっとも喉は乾いていないと肩をすくめて見せた。その答えから考えられるのは彼女も水魔法が使えるのか、それとも長期間水がなくても耐えられるということだろうか。 「………あの水が、なに?」 「麻薬だよ。オレの鼻で嗅ぎ分けらんねェくらいだから、スンゲー極微量だろうがな」 「まや………なん、なに、は?鼻?」  その事を問うよりもとミフェリオが聞けば彼女は踵を返しながら答えるも、重要な単語が後に続いた言葉で埋もれてしまう。故にどちらに反応すべきか分からなくなったアルティカは軽い混乱に陥り、そんな彼に落ち着け、とミフェリオがその肩を撫でた。 「麻薬って…あの水の中にか?」 「ああ。物的証拠として確保しておきたかったんだがな、すっかり忘れてた。アレがなきゃ麻薬の種類も分かりゃしねェ」  一度その点には触れることを諦めたのは、賢明な判断だったのかもしれない。少し歩いた先で少女はミフェリオの問いに答えながら肩越しに振り返り、その深紅の瞳でついてくるよう訴えてきた。それにアルティカはミフェリオと顔を見合わせ、暫しの思考の後それに従う事にした。利口な奴は好きだ、と少女が口元を緩ませた。 「…なんでそんな事…」 「奥の採掘所で働いてる連中を見かける事があったら、爪を見てみな。ボロボロだぜ、麻薬中毒者にはお約束の症状だ」  鉱山での労働故に手が荒れているだけだと思い込んでいるだろうが、と少女は語りながら坑道の奥へと進んでいく。症状としては深刻な症状は現れていない様子だが、と少し大きな瓦礫をひょい、と軽々しく乗り越える。動きに合わせて足枷と鎖が鳴り響き、続けてミフェリオが足音もなく飛び越えてからアルティカに手を伸ばす。 「さほど強いヤクじゃねェのは確かだが…まァ、大方疲労を感じさせないような…感覚を鈍らせるモンじゃねェかと睨んでる」 「感覚を、鈍らせる…?」  少し迷ってからその手を借りてアルティカが瓦礫を超え、彼女の言葉を復唱する。と、その先でぽっかりと広がった空間に出た。キョロ、と辺りを見渡した深紅の瞳が細められると、幾つか分岐していた道のうち一つを迷うことなく選んだ。何処へ向かっているのかと問えば、彼女は待ち合わせ場所、とだけ告げる。果たして、誰との待ち合わせだろうか。 「………麻薬で疲労を誤魔化して、男たちに労働を強いている………?」 「…ォお、なるほど、そう言う事か」  ミフェリオの言葉に彼女は目を丸めて納得したように肩越しに振り返る。天才か、とでも言わんばかりの瞳だ。どうにも掴めない彼女にミフェリオは目を眇め、アルティカと顔を見合わせるも良く分からない、と彼は諦めたように肩をすくめた。しかし考えて見れば筋は通るだろう、あれだけ多くの者を中毒状態にさせれば必然的に作業の回転率が上がる。しかし厳しい労働だ、中には辞める事を考える者だっている。それは年だったり、体力の限界だったり、様々だろう。それを中毒症状で食い止めれば、離職を防ぐことにもなる。水に含ませたのは、水分補給を理由にすれば至極普通の事だからだ。離れようと思っても無意識に体があの水…否、水に含まれている麻薬成分を欲しがるのだろう。 「…ところで、なんだっけ…あーっと…」  不意に、何処からか差し込む日差しに目が眩んだ。そちらを見れば曲がり角を曲がった先に、輝かしい日差しを見つける。しかし外に繋がっている訳ではなく、上部に少し大きめの穴が空いていた。そこに辿り着くと彼女は片手でひさしを作り、目を細めて穴を見上げた。 「ウィルオン、だっけか?なんかオメー毒とか麻薬とかに詳しそうな顔してっけど、知らねェの?」 「あのなーお嬢ちゃん、人を外見で判断しちゃいけませんってお母さんに教わらなかったか?」 「………オレは男だよ、さっきから"オレ"っつってんだろ?人を外見で判断するなって、テオドールから教わらなかったか?」 「えっ」  ザ、とその穴から滑り落ちてきたらしいウィルオンが着地を成功させたものの、驚きの事実に足元を取られたらしくその場で足を滑らせた。
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