第二章 主従

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 案の定、町は混乱に陥っていた。彼らの予想通り、相手は国家主義の者だとウィルオンも断言した。流石に国の正式な兵ではなかったようだが、どう見ても素人ではない動きにウィルオンは確信を抱いた。現在は国家主義の者とエンハルト家の護衛達による争いが勃発しており、未だ収まる気配はないと言う。 「俺なりに貢献してましたら、突然このお嬢ちゃ………坊ちゃんにガン飛ばされましてね」 「昨日の夜からずっとこの辺り一帯を見てたのオメーだろ?鬱陶しいから止めてほしくってな」  長引く混戦が予想される町に戻るという選択肢はまずなく、一同は一先ずその場に腰を落ち着けていた。その戦いの最中、ウィルオンは彼と初めて言葉を交わした。その内容はウィルオンの"透視"能力を止めろとの事だった。よくやる、と今になってリクがウィルオンを誉めれば、彼は当然だろうと言わんばかりに片目を伏せて見せた。 「いやー誰かがアルティカ様にあつーい視線を送ってたもんで。護衛としてはキッチリ牽制させて頂きますよ、そりゃぁ」 「だーから、悪かったっつっただろ?あんまりにも懐かしい名前がくっついた奴が来るって聞いて、つい、なァ」 「………ちょっと待てウィル、って事はまさか」  続いた二人の会話を聞いたアルティカが顔を上げ、ミフェリオが眉を顰めた。答えるように、ウィルオンが頷いて見せた。先日の一件の原因らしい彼を、ウィルオンはアルティカ達と同じくフェナルドとテオドールの名に免じて、一先ず敵と見なすのを保留にしたと言う。こちらに危害を加えるつもりがないとの彼の言葉に、今のところは嘘偽りがあるようには見えないのも事実だ。 「コイツにも言ったけどよ、気に入らなければ殺ってくれて構わねェから」  なるほど、とウィルオンがそれを認めた理由をその言葉から理解した。堪らず、それで良いのかと問えば、彼は肩越しに振り返る。そうでもしなければ頷かないだろうと深紅の瞳が暗に語り、違いない、とアルティカは傍を歩く二人の護衛に複雑そうに沈黙した。 「それにオレとしても、昔の知人の息子を放っておけるほど、根性腐らせた覚えはねェしな」 「…そういや知人って言ってるけど…お前年いくつだよ?俺より年下に見えんだけど?」 「オメーの親父さんと同い年だよ、こう見えてもな」  と言ったところで信じて貰えるとは思って居ないが、とアルティカの問いに答えたリクの言葉に、たっぷり三呼吸。 「―――はぁッ!?」 「ォお、いいねェその反応。オメーらからして見りゃぁ、ただのおっさんだよ、おっさん」  坑道内に三人分の驚愕の声が響き、冗談だろうと言わんばかりにアルティカが食いつけばリクはくつくつと喉で笑った。どう見ても年下の、それも女にしか見えないと言えばよく言われる、と彼は肩をすくめて見せた。その一方でミフェリオは冷静にフェナルドの年齢を思い出し、ウィルオンに限ってはそこから逆算して己との年齢差を確認する。 「(…ちょっと待て、旦那様と同い年…の知人で、リク…リク?どっかで聞いた覚えが、あるような…いや、ないか…?)」 「ンで、坑道内に配置されてた水の入った瓶は手に入ったのか?」  思い出せない、とぐしゃりと前髪を掻き上げたウィルオンに対してようやっと本題に入れる、と言わんばかりにリクが深紅の瞳を持ち上げた。ああ、とその言葉を聞いてようやっと思い出したウィルオンは懐を探ると、一本の水の入った瓶を放った。 「ォお、すげェなオメー。盗賊に向いてるんじゃねェか?」 「どうも」  とてもオレには真似できん、との言葉にウィルオンは実に複雑な気持ちになりながら微苦笑を浮かべた。後に聞く話だが、"透視"を止めることを拒んだウィルオンは代わりにリクの探し求めていたそれを入手することを条件としたのだ。その対価としてウィルオンがリクに求めたのはアルティカの保護であり、結果としてリクは坑道内を随分と大胆に突っ切って来た、というのが事の真相だ。 「………ビンゴ。オメー、これなんの麻薬か分かるか?」 「情報料」  瓶の蓋をあけて鼻を近づけた彼は、すん、と少しばかり吸い込むとその匂いを嗅ぎ分けたらしい。嗅ぎ分けられるものなのかとアルティカが思わず首を伸ばして問えば、リクは至って平然とした顔で頷いた。しかしそれが何かまでは分からず、ウィルオンに問いかけたところで返って来た言葉にリクは僅かな沈黙を挟んだ。 「…前言撤回だ。オメー盗賊だろ?」 「さあ?」  抜かりないな、と思ったのは何もリクだけではなかった。あまり自分の前では見せない彼の一面に、ついアルティカは頬を掻いた。しかしウィルオンの求める対価に見合った情報を持ち合わせているだろうか、とリクは困った様子で前髪を掻き上げては唸る。 「そォだな…。………んじゃァ、事が収まるまで比較的安全に過ごせそうな休憩所の位置、ってェのはどうだ?」 「そこまでの案内付きなら考えないこともねーよ?」 「あーハイハイ。ったく、ほんっとテオドールに似て可愛げのねェ連中だなァ」  ウィルオンの言葉にわざとらしく言った彼は、何故だろう不思議と何処か楽しそうに見えた。リクが瓶の蓋を閉めながら立ち上がれば、その動きに合わせて彼の足枷の音が坑道内に響く。続けてアルティカらも各々の速度で立ち上がろうとして―――それを、阻むためだろうか。 「んァ?」 「ん?―――ッ!?」  直後、まるで大地の底から何かが突き上げてきたかのような衝撃が坑道内全体に走った。あまりの衝撃にリクをのぞいた三人がバランスを崩し、その場に再びしゃがみ込んだ。激しい揺れに天井から砂利が滑り落ちては散っていき、凄まじい衝撃にかかわらず平然と直立しているリクが辺りを見渡す。 「地震…っ!?」 「いや、これは」  刹那、リクとウィルオンは前方に、ミフェリオはアルティカを抱えて後方へと跳んだ。間一髪と言った所か、派手な音を立てて直前まで一同が居た地がひび割れ、崩れたのだ。しかしその範囲は彼らが思っていた以上に大きく、崩れて行く瓦礫の隙間から伸びてきたそれは、一体なんだろうか。 「げっ」 「っ!?」  薄闇の中であまりにも的確にウィルオンとミフェリオの足首を掴んだのは、蔦、だろうか?その時ミフェリオが抱えていたアルティカを後方へと荒く放ったのは正しい判断だった、と言うべきだろう。一瞬の沈黙。その間にミフェリオは指先を動かそうとして、間に合わない。恐ろしい程の速度で瓦礫の隙間に引きずり込まれていったのだ。 「ミトっ、ウィ」  荒く放り出されたアルティカが二人の名を呼びかければ、どうやら声を認識するらしい。しゅる、と蜷局を巻いた蔦がアルティカの声を頼りに瓦礫の隙間を伝い走り―――ぱし、とそれを阻んだのは細い指先だった。いつの間に此方側に跳んだのだろう、リクが蔦とアルティカの間に入り込んでいたのだ。 「坊ちゃん、ちィと耳塞いでなァ」  ぐ、と蔦を両手でつかみ直しながら告げた彼の言葉を聞き取ったところで、アルティカはそれを察して咄嗟に両耳を塞いだ。深紅の瞳が崩れゆく瓦礫のその奥底を鋭く見つめながら、ブチ、と決して細くはない蔦を力任せに引き千切った。瞬間、坑道内に響き渡ったのは聞いた事もないような異形の者の叫び声だ。ビリビリと空気を震わせるそれは、激しく腹の底を叩いた。引きちぎられた蔦を庇う様に数本の蔦が飛ぶように振るわれるも、リクはそれを冷静に見極めると受け止めては弾いていく。うち数本を引き千切ってみせれば、異形の者は痛みあまりに身を退く事にしたらしい。利口な判断だ、と深紅の瞳が細められた。ふ、と蔦から香った匂いにリクは鼻を利かせれば、なるほど、と理解する。そこからまた、不可思議な疑問が浮かぶ。しかし難しい事を考えるのは苦手だ。此処で考え込むよりも、今まさに出てきた不可思議な異形の者のあとを追えば良い話だ。故にリクは瓦礫と共に身を退いて行った異形の者を気配で追いながら、聞き苦しい悲鳴が収まってきたタイミングで口を開く。今この場に自分一人しか残っていないとすれば、迷うことなく瓦礫の中に飛び込んで行くのだが、そうもいかない。 「坊ちゃん、一先ず」  とにかくこの場から離すべき存在が傍に居ては、と振り返ろうとして―――バ、とそれを遮ったのは少し大きく靡いた質の良い衣服だった。その狭間に見えた青い瞳は、生意気なくらいに一切の迷いのない。その瞳を、リクは昔何処かで見た覚えがあった。瓦礫の中へ飛び込んでいった少年を見送って、二回ほど瞬きをする。驚きのあまり動けないまま、一呼吸。 「―――ははッ、本当、アイツにそっくりだなァ」  今頃くしゃみでもしているだろうか、かつての知人を思い出しながらリクもまた足枷の鎖を鳴らしながら瓦礫と共に穴の中へと飛び込んだ。  その穴は思っていた以上に浅く、構える間もなくミフェリオとウィルオンは硬い大地に激しく叩きつけられた。べちゃ、と衝撃で弾けたのは少し粘性のある水のような何かだ。酷く体が軋み、痛みを堪える為に奥歯を噛みしめた。抜剣は、ミフェリオの方が僅かばかりに早かった。足首を掴んでいた蔦を斬り捨てるも、その数が尋常じゃない。 「ミフェリオッ、こっちだ!で、"風"!!」 「―――ッ、"旋風壁(ウィンドウォール)"!!」  ウィルオンの声を頼りに跳んだ先で、ミフェリオはその指示に従って左腕を振りかざした。ビュオ、と吹き抜けてきた風が壁と成りて二人を囲い、彼らを捉えようとしていた蔦たちが悲鳴を上げては切り刻まれていく。 「"風球弾(ウィンドボール)"!」 「"聖なる光(ホーリーライト)"!」  旋風壁ごとまとめて喰らおうと満開に開かれた花に対して、二人は迷うことなく各々の魔法を放った。風球弾が全ての花を切り裂いては散らせ、残った中心部に刃として形を成した光が突き刺さる。僅かばかりの沈黙と共に動きを止めたその隙を逃すほど、彼らは甘くもなければ優しくもない。ス、と音もなく振るわれた彼らの長剣は、巨大な花を模したかのような異形の者を正面から三等分にした。そのサイズは長身の人間を三人はまとめて喰らえる程だろうか?休む間もなく、やけに粘性のある水を蹴っては跳んだ。 「(なんだ、この魔物?花…っ?)」 「(新種?だとしても、なんだってこんな所に)」  二人を喰らおうと飛びかかってきていたもう一体が、狙いを外して派手な音を立ててそこで倒れ込んだ。ウィルオンの瞳が瞬きを忘れ、周囲を"視る"。広い広い空間に、埋め尽くされるほどの花、花、花。その数は二桁どころか三桁に上るかもしれない。逃げ道、と呼べそうなのは自分達が落ちてきた穴くらいか。花は大人しく土に根を張って居ろ、と言わんばかりにミフェリオが再び風球弾を飛ばし、ウィルオンもまた長剣を振るっていく。離れ離れにならないよう、けれど下手にまとまり過ぎて二人揃って丸のみされないように。 「(ッ、アキ)」  眼前の異形の者ではない、他の存在を考えたからだろうか。ズ、と足場の悪いそれに不覚にも右足を取られたのはミフェリオだ。いら、とこの空間に浸るようにして広がっている粘性のある水を睨みながら身を翻した時だ、パラ、と頭上から振って来たのは雨だろうか。否、違う。ス、と微かばかりに澄み渡る独特の神聖な空気は―――聖水、だ。 「―――"お告げの鐘(エンジェラス)"!!」  高らかな聖なる鐘の音が、その空間に響き渡った。魔法とは違った、法力による防壁が歪な蔦を食い止めた。僅かばかりに聖水を散らしながらそこに着地したのはアルティカであり、彼は粘性のある水に一瞬、バランスを崩しかける。しかし聖水が溶け込んだ事により、粘性が幾分か和らいだらしくアルティカは直ぐにバランスを取り戻した。 「っと…!ミト、ウィル、だいじょ」 「―――馬鹿ッ、なんで来た!?」  ミフェリオであれば、今の間で三つは魔法を使えただろうにそれを全て投げ捨てて彼は声を荒げた。それに驚いたのは他ならぬアルティカであり、彼はびくり、とミフェリオの声に肩を震わせた。 「お前が自分から飛びこまない限り落ちる訳がないっ、ちゃんとそれだけの距離に」 「後にしろ馬鹿野郎、先に戻れッ!!」  優先すべき順序を考えろ、とそんなミフェリオも含めて、今回ばかりは声を荒げたのはウィルオンだ。その声にミフェリオは我に返ると同時に、荒く加減を忘れた指先でアルティカの腕を掴み、引っ張った。瞬間、二人はその姿を消し―――入れ替わるようにその場に着地したのは、リクだ。少し驚いたように深紅の瞳が丸められる。だが直ぐにそれを見抜き、先ほどアルティカが落下しなかった理由を知る。そう言う事か、と深紅の瞳がウィルオンを見た。ザ、と荒々しく長剣を振るった彼は幾体目か、巨大な花を斬り捨てた。赤の他人が見ても分かる、黒い瞳は酷く機嫌が悪い。若いねェ、と口元が緩む。その分、自分が年を食ったわけだ、なんてことを考える。 「―――キュナエバナ」 「あァ、やっぱりあの気味悪ィ色した花か」  しかし、先にこの場を離脱した少年二人よりは大人と言えよう彼は、直ぐに感情を何処か奥深くへ収めた。その植物の名を、リクもまた何処かで聞いた覚えがある。いや、どちらかと言えば彼は匂いで覚えていたと言うのが正しいか。キュナエバナ。その花は日光を嫌い、蒸し暑い洞窟の奥などで咲く肉食植物だ。基本、小さな虫などを食べて成長する。獲物を喰らい消化する時に出てくる蜜は、獲物を逃がさない為に身体の感覚を鈍らせる作用を持つと言う。医学において、その作用を逆手にとって利用する場合もある。蜜の濃度を薄め調節する事で、麻酔代わりにするのだ。しかしいくら肉食と言えど、その花が人を喰らうほどの大きさに育ったなどと言う話は聞いた事がない。 「(さァて、本格的にややこしい事になってやがンなァ。流石に此処から先は、オレじゃ手に負えねェわ)」  キュナエバナは成長したとしても、精々男性の掌のサイズが限界だ。思考しながら、幾度目か跳ぶ。そう、自然的な成長ではありえない話だ。故に、この世で最も賢い生き物―――人間が手を加えなければ、有り得ない。蜜が混ぜ込まれていた水よりも、今目の前に広がる空間こそが何よりの証拠になるだろう。 「とりあえず一匹引っこ抜いて、サンプル持ち帰って専門家に分析を頼むかねェ」 「………んっ?」  ぽつ、と呟かれた声を聞いたウィルオンは思わずと言った様子で振り返る。ひょい、と幾度目かリクが蔦を避ける様子が見えた。動きに合わせてジャラジャラと響く足枷は、思えば何時になったら取るのだろう。話を聞く限り、彼は闘技奴隷ではない、のだろう。 「坊主、オメー足に自信あるみてェだし…自力で帰れんだろ?」 「え?…あー、まぁ、そーだな…?」 「んじゃァ、もう帰って良いぜ。あ、でも情報料はちゃんと払うから安心してくれ」  最悪トルスカ家に送ればいいのだろう、とぴらぴらと手を振るった彼はどちらかと言えば帰れ、と言っている。故にウィルオンは眉を顰める。それもそうだ、この空間を埋め尽くしている花々は、それこそ軍一つくらいの戦力は欲しい。 「………え、いや、まさかお前、一人でここ片付けるつもりか?」 「ン?そォだけど?」 「は!?いやいや、お前のこと何にも知らないけど、流石にそれは」 「あァ、分かった、言い方変えるわ」  トン、とこれまで避ける事しかしてこなかった彼が、ついにその足を止めた。爪先で軽く大地を突いては、一度その感覚を確かめて。 「―――邪魔だから大人しくお帰りやがれよ。オメーは通行人の心配より、坊ちゃんの心配した方が良いんじゃねェの?」  トン、と次に自らを縛っていた足枷を突けば、バキャ、と派手な音を立てて鎖が断ち切られた。
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