第二章 主従

12/23
前へ
/161ページ
次へ
 戦闘民族ファエール。一説に、彼らは古き時代にてこの地域で生活していた民族の末裔ではないかと言われている。その真偽が定かではないのか、当の本人であるファエール一族でさえかつての真相を知りえていないからだ。彼らは基本的に、自分達のことを書物に書き残さないのだ。残すとすれば、自らの血、と言ったところか。そんな彼らが仮説でも末裔だと言われるのには、れっきとした理由がある。―――ひゅ、と少年が音速で飛んだ。細い足からは信じられない程の力強く鋭い一撃が誰かの腹部を破壊し、続けて振りかざされた右拳が誰かの頭部を破壊した。急所を守るために着こんでいる鎧は、鋭い剣や刃から身を護る為のものだ。しかしそれを素手で破壊していく様は、不思議、とでも言おうか。動きに合わせて深紫の髪が靡き、その奥で爛々と輝く深紅の瞳は強く、熱く、深く、まるで生命の炎のように揺れている。あるいはその根本に引き継がれてきた戦闘本能か、体内に流れている血の沸騰を表しているのか。それでいて冷静な彼…"武闘家"、リク・ファエールはその"称号"の通りこの国において最も武術に長けている存在と言えよう。  "バルデナットの戦い"では別の"称号所有者"の中でも最も最前線に立ち、戦場を切り開いていったと言う。そんな彼を狙って振りかざされた剣を、あろう事か素手で受け止めた。一歩間違えれば、その指や腕は斬り落とされる。当たり前だ、剣は対象を斬ることを目的に作られたものだ。それを素手で受け止めるなど、普通はしない。しかしリクは下手に盾を持つよりも、素手の方が圧倒的に動きやすい故にそれを持たない。盾による防御力よりも、身軽にして俊敏さを活かした回避の方が性に合っているのだ。それでいて、彼は素手で剣を折って見せた。人並外れた桁違いの力は、恐らくこの国…否この大陸において頂点を誇っていてもおかしくない程だ。とん、とリクがその場を譲るように飛び―――入れ替わるように、不可視の風が牙を剥くとその場に小さな暴風域が生み出される。それを成したがのが、飴色の長い髪の奥から顔をのぞかせた小さな妖精であると信じるには些か時間がかかるだろう。クスクスと笑う小さな妖精は、悪戯好きの風の精霊"シルフィード"だ。そんな彼女の頭を、彼は指先で優しく撫でた。  "召喚士"、ゼノ・ファエール。しばしば魔法や魔術を使う魔導士と比べられる召喚士だが、その違いは明確だ。直接的に四大元素の力を使う魔導士に対して、精霊を通じて間接的に四大元素を扱うのが召喚士である。理論を組み立てて元素を制御する魔導士と違い、召喚士に求められるのは精霊たちとの親密な関係性だ。彼はその"召喚士"の中でも非常に異例と言えよう。ゼノは"異形の者"を召喚するという才を持っているからだ。その存在は少なくともこの世界には存在しない者…即ち、異界の存在だ。名も知らぬ"異形の者"達が住まう異界への門を、ゼノは開くことが出来る。ゼノによって異界より呼び出された獣たちを、"悪魔"と称する者がいれば"神"と称する者もいる。事実、それに近い存在であるとゼノ自身も理解している。彼がそう思う理由は、つい先ほど気を失ったアルティカが良い例だ。そう、通常の人間―――ここではミフェリオやウィルオンのように、心身を鍛え上げている者以外を指す―――では、彼らの放つ気配に耐え切れない。あまりにも強すぎるそれもまた、邪気と呼ぶべきか威圧と呼ぶべきか。"バルデナットの戦い"での彼は"悪魔"を従えていたと言う噂だ。この世界に"異形の者"達を呼び寄せる彼は、国が監視の意味も込めて"称号"を与えたとも言われている。今となってはゼノは反国家主義として国家に反旗を翻したのだから関係のない話だが―――二人の持つその力が、仮説を成り立たせる理由だ。この地域に伝わる伝承の最後、この地域にオアシス…"生命の水"を与えた"黄金の王"が気まぐれに少年少女にも力を与えたと考えられているのだ。  確かに、彼らの力は通常の人間が習得しようと思っても出来るものではなく、かといって"固有能力"とはまた違う異質であると言われている。さらに余談として特徴的な点をあげるとすれば、基本的にファエール一族には性別の概念がない事だろう。自由に選べると言っても正しいだろうか、彼らは自分の性別を自分で決める傾向にある。故に、性別を選ばずにその概念から外れる者もいる。性別が自由故に、結婚の自由も当然と言えば当然で、ファエール一族では同性結婚も認められている…と言うよりかは、当たり前な事だ。以上の事から、拠点を持たずに各地を転々と移動しながら生活を営む彼らはこの大陸においても異質な存在と言える。昔から彼らに対する法の適用範囲など議論は絶えず、互いに疎遠し合う事も度々ある。そんな彼らが"バルデナットの戦い"に参戦した理由は、彼らからしてみればなんでもない理由で―――不意に、リクはその場で足を止めた。どうやら片付いたらしく、パキ、と最後の一本だろう剣を素手で折っては切っ先を放った。ふぅ、と息を吐きだしては両手を腰に当てた。まるで見計らったかのように、坑道の外から響いてきたのは歓声か。やれやれと言った様子で肩を揉み解すリクに、ゼノが薄く笑って見せた。 「ご苦労様、リク」 「ん。まァ、たまには動かないとな」  違いない、とリクの言葉にゼノが微苦笑を浮かべ―――響く歓声に何事かと顔を上げたミフェリオを、彼らは優しく見やった。 「さぁ、とりあえず一度ボク達のテントへ行こうか。キミ達に何かあったら、ボク達がフェナルド達にどやされそうだからね」  先ほどそんな彼らを"反国家主義の化け物"と称していた誰かが居た気がしたが、違いない、と思ってしまったのは感覚が鈍っている指先に気付いた為だ。それを拭い払うようにミフェリオは指先を握りしめ、支えていたアルティカの身を抱き寄せた。  ファエール一族のキャンプ地は、ディカーラから北東へ三十分ほどの位置に在った。一見そこは何もない乾いた大地に見えたが、驚いた事に砂の狭間に隠れるように存在していた。原理を聞けば、ゼノは大地の精霊"ノーム"の力を借りていると語った。精霊と共に生きている彼等にとっては、当然の事だと言えよう。ゼノが召喚した風の精霊"シルフィード"の風に導かれて一瞬。そこへと辿り着けば、あっという間にゼノとリクは一族に囲まれて行った。どうやら一族が扱う言語は国内で普及されているそれと違うらしく、内容の半分以上は意味を理解して聞き取る事が出来なかった。それでも随分と多くの者が二人の少年の安否を心配していた事は、その身振りや様子を見れば分かるものだった。反国家主義を支える三本柱のうち、一本。"称号所持者"である彼らがその地位に在るのは、当然と言えば当然の事だ。"称号"は国から彼らに与えられたものだ、国家に反旗を翻したところでそれはもう剥奪、あるいは返還されたも同義だ。それでも彼らが今も"称号所持者"として称えられるのは、やはり"バルデナットの戦い"での功績があまりにも大きいからだ。 「それにしたって、ひでェ話だったな」 「そうだねぇ…自分の子供どころか、他人の子供まで売ろうとする親が居るんじゃ本当、世も末だよ」  そんな彼らが一息吐きながら嘆くほどに、事の真相は酷い話だった。違いない、と傍でウィルオンが目を伏せた。少々久しいだろう動きやすそうな民族衣装に身を包んだリクに対し、ゼノは案の定服が汚れたと新しい衣服へ着替えていた。聞くとゼノは決して民族衣装を嫌っている訳ではなく、単純に外部から取り入れた衣服の方が可愛くて好みだと言う。一方でリクは民族衣装の方が落ち着くらしく、靴を嫌い、素足で居る方が楽だと言う。当然そんなリクにゼノは勿体ないと幾度も嘆いているらしいが、こればかりは彼自身の好みだ。今回は流石に少し疲れたらしいリクが首の後ろに手をあて、息を吐き出した。 「まァ、戦略的に考えれば有効的な手とも言えるけどな」 「…リク、それフェナルドの前で言ってごらん?」 「あいつならオレが言う前に、自分でそう言うだろうよ」  …違いない、とウィルオンは二度そう思った。皮肉にも、彼がそう言う様が目に浮かんでしまった。この国で行われている人身売買は、なにも"揺り籠"に限った話ではない、と言う事だ。それこそ一歩間違えれば"揺り籠"よりもずっと悪質で、発見する事や防ぐ事が難しいと言える。 「(そりゃ、そうだな。キルスカ家の次期当主なんて…そんなの国家主義に引き渡したら、一発で戦争が起こる)」  冷静に考えてみれば当たり前な話ばかりだ、とウィルオンは一人思考する。恐らく戦争を望んだのは、アルフ自身だ。ディカーラを治めるエンハルト家の人間として、更なる富と権力を求めたのだろう。その強欲さには、正直恐れさえ覚えた。今頃ディカーラではゼノ達が動かした一族と、反国家主義の上層部に求めた救援によって鎮圧化され、捕縛した国家主義の者達を取り調べている頃だろう。 「けど分かんねェな。今回の件、フェナルドの奴は知らなかったのか?」 「…そう…だねぇ…。…ボクとしては正直、それ以前にこんな東寄りにフラフラ行かせたって事自体に物申したいところだけど…」  しかし不可解だ、と目を眇めたのはリクだ。そう、事が片付いた今だからこそ浮かび上がる最大の疑問だ。釣られるようにゼノが少し考え込むように沈黙を挟んでから、黄色の瞳でウィルオンを見上げると、手すりの上で頬杖をついて小首を傾げて見せた。 「…キミは、どう思う?今のフェナルドとテオドールについては、ボク達よりキミ達の方が詳しいでしょ?」 「…そう、ですね…」  前回のヘブリッチの件は百歩譲るとしても、と指摘したゼノにウィルオンは一度驚いたように目を丸める。しかしゼノの立場を考えれば、その辺りの情報を耳にしていない方がおかしい。今回の件にしても彼らはウィルオン等より圧倒的に早い段階でアルフの情報を掴んでいた為に、防げたことだ。  "…いえ、フェナルド様。アルティカ様へは私ではなくウィルオンをお付け下さい"  彼らが居なければ、どうなっていた事か。そう考える思考の奥で見え隠れするのは、たった一人だ。―――そう、そうだ。最初から考えてみれば"そう"なのだ。例えば今此処に、自分ではなく彼が居たのであれば。 「(恐らく、アルフは動かなかった。アイツだけじゃない、情報を聞いて潜伏してた国家主義の連中も、だ)」  この町にやってくるキルスカ家の次期当主に付けられた護衛が彼だと知れば、恐らく今回の件は起きなかった。彼のその名一つでどれだけ多くの者が血相を変えて逃げるかを、多かれ少なかれウィルオンは知っている。きっと自分が知らないだけで、彼の名は多くの存在を無条件に動かす力を持っている。それだけの事を、彼は成してきたのだから。 「恐れながら。………炙り出し、かと」 「………なるほど。前回と同じ芋づる形式…で、どっちが竿を握ったか、かな?」 「あ?芋?」 「…リク、ボクはキミのカッコよくて可愛くてとっても強くて、なのにちょっとお頭が悪いところ、本当に好きだよ」 「オメーそれ褒めてンのか?」  心から褒めている、とのゼノの言葉にリクは更に顔を顰めては、難しい話は専門外だ、と頭の後ろで両手を組んだ。一方でウィルオンの言葉を正確に理解したゼノは、なるほど、と肩をすくめては微苦笑を浮かべた。 「そうだね、アイツなら…ボク達にもしっかり目を光らせてるだろうしね」 「はい。…それに、フェナルド様の御耳に入ることを管理しているのは…まぁ、あの方しか居ませんから」 「馬鹿だねぇ、アイツ。こっぴどく怒られるだろうに…そこまでしたのは、お勉強の為、って考えるのが妥当かな?」 「………恐らくは」  あるいはフェナルド自身も今回の件は知っていて、それでも質の向上の為に認めたのか―――現段階では、定かではない。ウィルオンが考えるに、フェナルド自身も何かしらの予感は感じながらもテオドールの意見を取り入れた、と言ったところだ。彼がそれを認めたのはテオドールを信頼しているから、だろう。そんなテオドールが今回、そうしたのは。 「と言う事は、随分と信頼されてるんだねぇ、キミ?」 「…いえ。お二人が動いておられたのを知ってのことでしょう」  自分達の事を信頼しているからか―――否。それは絶対的に否である事を、ウィルオンは知っている。おや、と言った様子でゼノが驚いたように目を丸めると、頬杖を止めて少しだけ身を乗り出した。 「…キミ、ウィルオン…だっけ?」 「? はい、ウィルオンと申します」  名を確認されたところでウィルオンは釣られて目を丸め、頷き応える。するとゼノは二回ほど口の中で名を復唱する。初めて聞く名だ、と微笑んだ彼は改めてその名を覚えてくれたらしい。 「なんだか落ち込んでる様子だけど…自信持ちなよ。キミが居なければ、あの子はもっと大変な目に遭っていたよ」 「…それはオレも保証する。専属護衛つったって、人間がやる事だ。いくら"透視"持ちでも限界はあるしなァ…」 「…―――………はい?」  不覚にも一瞬、思考が止まった。たっぷり二呼吸の沈黙を挟んで、その間に三回は瞬きをしただろうか。間抜けなウィルオンの言葉と顔、なによりその反応にゼノとリクもまた顔を見合わせて、二呼吸。 「ちょ…ちょっとリク、なに言ってるの?あの子の専属護衛はあの赤髪の子でしょ?」 「は?あっちがあの坊ちゃんの専属護衛だったら、オレはテオドールの人選疑うけど?」 「いやいや違うって、リク。"だから"、でしょ?」 「はァ?」  どうやら三人の間でたどり着いた答えが違うらしく、三人の間に軽い混乱が生じる。しかしそれに焦りを覚えたのはウィルオンの方であり、自分の思考が至らないのだろう、人差し指をこめかみにあてる。ゼノとリク、その両者がたどり着いている答え………特にゼノのそれが見えてこない。 「え、ええと…恐れながら申し上げますが、俺はアルティカ様の専属護衛ではありませんよ…?」 「………ハ?冗談だろ、オメーあんだけ動けるのにか?」 「い、いや、むしろ専属護衛ではないからこそ、俺は大きく動けると申しますか…」  一先ず、と言った様子でウィルオンがリクに言えば、あぁ、と彼はその言葉で納得した。そう言う事かと口元に指先を当てた彼だが、なんとなくリクが飲み込んだ言葉は予想がつく。その言葉を純粋に褒め言葉として受け止められれば、此方としても嬉しいのだが―――ふ、とゼノが微苦笑を浮かべた。 「そう言う事。あの子を育てる為に、フォロー役としてウィルオンをつけたんでしょ」  ぷつ、と今度こそウィルオンは思考が止まったのを感じた。それも一瞬ではなく、完全に、だ。その時感じたのは、なんだろうか。完全に止まった自分の中で音もなく浮き上がって来たそれは、決して悲しみではない。悔しさでもなければ、怒りでもなく、かと言って喜びでもなければ、嬉しさでもない。いくつもの感情が入り混じった、複雑な。 「………ふぅ…ん。あのテオドールがねぇ…」 「ね、珍しいよね」  年を食って変わったのだろうか、と何処か楽しげに話すゼノの声とリクの声が、響いては通り抜けていく。それは…それを、彼からの信頼であると、とっても良いのだろうか。恐らく、良い、のだと思う。けれどそう、ゼノの言う通り"だから"、だ。ウィルオンはアルティカの専属護衛ではない、"だから"こそ。 「(あの二人の問題点を、互いに自覚させるため、だとしたら。…フォロー役は、絶対に必要になる)」  そこを彼が務めても良かっただろう、それでも自分に託したと言う事は、恐らくウィルオン自身を育てる為で。 「(……あー………そう言う事、か)」  否。それだけではない、と確信を得たところでウィルオンは再び思考が動き出したのを感じた。ゼノの言葉通り、どうやら自分は自分で思って居る以上に彼に信頼されているらしい、と思っても良いのだと理解した。酷く複雑な感情が胸を満たしていくのにつられて、その時ウィルオンが顔に浮かべたのは何処か少し哀しそうな微苦笑だった。
/161ページ

最初のコメントを投稿しよう!

135人が本棚に入れています
本棚に追加