第二章 主従

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 翌日の事だ。不思議な事に、アルティカは極自然に心地良い目覚めを迎えた。ディカーラでは寝苦しさから目を覚ましたというのに、不思議だった。それもまた、精霊の加護だろうか。…いいや、恐らくそれだけが理由ではない。ふ、と開かれた青い瞳が二回ほど瞬きをしながら、そんな事を考えた。寝返りをうってから、もぞ、と布団の中で身を縮める。すっきりした目覚め故に、眠気はない。だが酷く心地良いそれに、まだ少し浸っていたいのだ。身を縮めた事で寄せた両腕に気付き、指先を布団から出す。そこに触れた熱は、もうない。だと言うのに少し温かく感じるのは気の所為、と言う事にしておこう。ふ、と緩く口元を緩めてからアルティカは指先を抱くように引き寄せ、再び目を伏せた。そんな少年が身を起こしてちゃんと起床したのは、それから一時間後の事だった。アルティカは外で一足先に待機していたミフェリオと顔を合わせると、なんの理由もないのに不思議と笑みが零れた。その様子を見て満足しながら片手をあげて挨拶を交わしたウィルオンに連れられ、アルティカはキャンプ地の中心へと導かれた。一際大きな天幕の最奥に居たのは、反国家主義に属するファエール一族を率いる男だ。 「やぁ、おはよう!昨夜は眠れたかい?体は大丈夫?」  いや、女と表現するのが彼等からしてみれば正しいだろうゼノは、アルティカを一目見ると目を輝かせた。しかしアルティカは二人の素性を知る前に、ゼノが召喚した異形の者達の力に耐え切れずに気を失って以来だ。 「おはようございます、えっと…」 「ん?…ああ、まずは改めて自己紹介からかな」  事前に簡単にミフェリオ達から話は聞いているが、今一名前と顔が一致しない。その事を察したゼノは一度、手にしていた書類を傍に居た男にペンと共に押し付けては下がらせる。国から一歩退いた位置に居る一族だが、反国家主義に属している以上、一族の長である彼女は多忙なのだろう。 「初めまして、ボクはゼノ・ファエール。反国家主義に属するファエール一族を率いている長だよ。で、こっちがボクの護衛の…」 「リクだ、リク・ファエール。昨日は悪ィな、うちの主人が考えなしに色々召喚しやがったもんで」  うぐ、とリクの言葉にゼノは言葉を詰まらせた。主人の面子を守る気はないのかと視線で訴えるが、そもそも彼はそう言った気遣いは出来ない。その事を誰よりもゼノ自身が知っている故に、正論に違いない言葉に彼は申し訳なさそうに肩を落とした。 「ごめんね、ボクの所為で…」 「い、いや、とんでもない」  ミフェリオ達から聞いていた話と名を、実際に言葉を発する彼の顔と照らし合わせてアルティカはそれを記憶する。立場的には彼らはアルティカの父、フェナルドと同位に位置するだろう人物たちだ。そんな彼らに謝罪されては、逆に息が詰まる。 「…俺はアルティカ、アルティカ・キルスカ。この度は助けて下さって、本当にありがとうございました」  故にアルティカは話題を戻すために自分の名を名乗り、ミフェリオとウィルオンにもそれを促す。それに従って彼らも各々の名を名乗ってから、二人に頭を下げる事で感謝の意を示した。それを見たゼノが一呼吸程、間を置いた。 「………キミ、本当にあのフェナルドの息子?」 「はい?」 「吃驚だろ、オレも最初はマジで疑った」  続いた言葉に何事かと今度はアルティカが目を丸め、首を傾げる。確かに、今此処で彼の息子で在る事を証明しろと言われても困るが。信じられないと言った様子で指先で口元を隠したゼノと、その心中を察したリクの様子を見る限りどうも少し違う。 「え…だ、だってあのフェナルドの子供がこんなに愛想が良いなんて、疑うレベルでしょ…?」 「気持ちは分からなくねェが、真顔で言うのは止めてやれ、失礼だぞ」 「あっ、そうだよね、ごめん!?」  彼らが驚いている理由が分かるかとアルティカがウィルオンを一瞥するも、今回ばかりは彼も分からない、と僅かに首を横に振るった。一方でリクの言葉にゼノは慌てて両手をあげては、微苦笑を浮かべて頬を掻いた。 「実を言うとフェナルド…キミのお父さんと最初会った時は、ボク達には名前を教えてくれなかったくらい、愛想が悪かったんだよね」 「え?おや………父上が?」 「あ、キミのお父さんの事を悪く言ってる訳じゃないよ。時代が時代だったから、ね…」  気を悪くさせたらごめん、とゼノは付け足しながら昔の事を思い出すかのように黄色の瞳を細める。その時の事を語るには、今はあまりにも時間が足らない。あの時から、どれだけの時間が経ったのだろう。自分達も年を食った訳だ、と複雑な気持ちを抱きながらゼノは一度目を伏せる事で過去を追うのを止め、改めてアルティカを見やる。 「ともかく、キミに会えて嬉しいよ。形はどうあれ、いつかキミには会いたいと思っていたからね」  ゼノの言葉からアルティカは、自分が覚えていないだけで幼少期に彼らと会った事がある、と言う訳ではないと言う事を知る。それを確認の為に問えば、ゼノは機会をうかがっては居たがなかなか予定が合わずにいたと言う。と、今度はゼノがアルティカ等に改めて体調を問えば、アルティカはむしろ元気だ、と頷いて見せた。 「今回は大変だったね。自分でも知らない誰かから狙われて、さぞ生き辛いだろうに」 「…いや、まぁ…。………護ってくれる護衛が居るので、救われてます」  今回は特に、と微苦笑を浮かべたアルティカの言葉に、ミフェリオがそっとその背を見た。ミフェリオだけではない、ウィルオンもアルティカが子供の頃から多方面から命を狙われてきたことを見て知っている。特にミフェリオは専属護衛として誰よりもその事を知っている故に、アルティカのその言葉は少し、いやかなりの重みを感じたのだ。 「…そうだね。大事なのは護って貰っている命を、どう扱い生きていくか、だ」  アルティカの気持ちがよく分かるのだろう、ゼノはそっと目を伏せてそう囁くように言葉を紡いだ。その傍でリクが僅かばかりに目を細めるも、少しの間を置いてから深紅の瞳がアルティカを見た。 「そういや、今回の件について詳しい話は聞いとくか?…まァ、大方予想ついてるとは思うが…」 「…そうだな、俺がって言うよりは…気になる点は、いくつか」 「なんだい?現時点で分かってる事なら答えるよ」  リクの言う通り、大方アルティカの中でも予想はついている。故に彼は自分の事と言うよりかは、純粋に他の事について二人に問いかけた。一つはディカーラの現状についてだ。聞けば町はようやっと落ち着きを取り戻したらしく、今は反国家主義が制圧していると言う。いや、元よりあの町は反国家主義に属する町なのだからそう表現するのは些か可笑しいと言えるが。町を襲ったのは予想通り国家主義の者であり、今は彼らから詳しい事情を聞き出すために動いている事だろう。手引きを行ったのはアルフ・エンハルトであると確定し、その身柄は既に拘束されたと言う。処罰が決まるのも、時間の問題だ。彼は国家主義にアルティカを引き渡す事で戦争を起こし、町が誇る鉱物と資源を優先的に取引する事を考えていたのだろう。皮肉な話だ。商業とは争いが起きれば起きる程、そしてその争いが戦争規模になれば非常に盛んになる分野が多々ある。何がきっかけで彼にその判断と決意をさせたのかは定かではないが、これだけ過酷な環境に在る町の頂点だ、相応の理由があったのだろう。だがアルティカはそれを知りたいとも思わないし、知ったところで理解出来るとは思えなかった。  強いて言えば、彼にも彼なりの多大な苦労があった、と思う事くらいだ。真相は知りもしないが。今回もまた騒ぎの中心に引き込まれたらしい、とアルティカは酷く複雑な気持ちになった。次いで、その騒ぎに巻き込まれたと考えられる彼の息子、ヨハン・エンハルトについて問えば、ゼノは彼を聡明な子だ、と評価した。父親の異変に気付いていたのだろう、今回の件についていち早くゼノ達に知らせを入れたのはヨハンだったのだと言う。彼はアルティカがディカーラに到着する数日前から、自室に監禁されていたと言う。酷い話だ、と誰もが口を揃えた。少し荒い扱いを受けはしたが、直ぐに救出する事に成功したと言う。 「元々、親子関係は悪かったみたいだけど…今回の件が、決定的になるだろうね」 「だろうな。まァ、思考そのものはアルフよりかマシだ。ディカーラはアイツに任せて、オレ等がサポートしてやれば何とでもなる」  暫くは辛い事も多いだろうが、と彼らが語るヨハンという人物には会えるだろうかと問うも、今は難しいと言う。当たり前だ、事の元凶とも言える人物の息子ともなれば、重要な証人でもある。暫くは父と同じく身柄を拘束されるだろう。無事だと言う安堵と、会うのは難しいと言う事にアルティカは複雑に絡み合った感情を乗せた息を吐き出した。 「…んじゃぁ、今回の商談はソイツと日を改めて、かな…」  いつになる事やら、と少し残念そうに呟いたアルティカにゼノとリクは目を丸めては、顔を見合わせた。次いで彼らはアルティカに視線を集め、何事かとアルティカが首を傾げた。少しの間を置いて、ぷ、と小さく笑ったのはゼノだ。 「前言撤回。キミ、お父さんにそっくりだよ」 「え?」 「違いねェな。普通の坊ちゃんなら、どれだけ謝礼金を搾り取れるか考えるとこだぜ」  ああ、と彼らの言葉にアルティカは自分の思考が一般と少しばかりズレている事を知る。こういった考え方をしてしまうのは間違いない、父フェナルドの影響だ。故に彼らもまた、前言撤回したのだ。しかし今回の件についてヨハンに罪はない、アルティカは純粋にそう考えているだけだ。世間はその責任を負うべきだとヨハンを指差すだろうが、アルティカはそうするつもりは毛頭ない。それよりも商談の方がよっぽどアルティカにとっては大事であると言う事に過ぎない。顔も声も知らぬ誰かは、どんな商売をするのだろう。そんなこと考えるだけで、今はまだ遠いだろう彼との商談の日が楽しみだ。そもそも、商談が行えるかもまだ分からぬと言うのに。根っからの商売人だ、とのゼノの言葉にアルティカは嬉しいような、そうでないような。複雑な気持ちになりながら微苦笑を浮かべて頬を掻いては、逃げるように視線を泳がせた。そんな少年を更にからかいたい気持ちをぐっと抑え込んでから、ゼノは座っていた椅子から立ち上がった。アルティカとの距離を縮めては、その首を伸ばしてアルティカの青い瞳を覗き込んだ。改めて相応の身長差を確認しながら―――後に聞く話だが、彼等ファエール一族は昔から小柄な者が殆どだと言う―――何事かと目を丸める。そのままゼノはアルティカを中心に一周してから、次いでミフェリオとウィルオンのまわりもそれぞれ一周する。 「…?なにか?」 「…ふふっ。ちょっとね、昔の事を思い出しちゃって」  ミフェリオが問えば、ゼノは何処か楽しそうに笑みを浮かべては、思い出を自分の中に仕舞うように目を伏せた。その事を少年らに語る必要があるかと問われれば、否だ。故にゼノはそれを飲み込んで、くるりとその場で踵を返した。動きに合わせて綺麗に整えられていたワンピースが揺れ動き、飴色の髪先が靡いた。 「さて、それじゃぁ今後の事だけど…キミ達はどうするつもりなんだい?」 「ん…。……とりあえず、父上も心配してると思うので…素直に帰ろうかな、と」 「そっか。まぁ、そりゃそうだよね。商談も出来る状況じゃないし…」  残念ながら、とゼノの言葉にアルティカは苦笑を浮かべたが、それ以外の選択肢は今の所ない。例えば近場に寄り道して楽しめるような場所があれば話は別だが、この地域は見ての通りの過酷な環境だ。観光地などと言った町はなく、強いて言えば先日みたゾネベック鉱山がこの地域が誇る観光地だ。その鉱山から採れる鉱物からなる宝石が名物であり、他に何かあるかと問われれば何もない。身の安全のためにも今は帰宅するのが一番望ましいと言えようアルティカの言葉に、ゼノは一度腕を組んだ。思い悩むように小さく唸り続けて、一呼吸。一つ決めたらしいゼノが、リクを見た。 「分かった。そうだね、それじゃぁご飯を食べたらボク達も出発しようか」 「…あー…そう言うとは思ってたけどオメー、そろそろ大人しくしてねェとジジイ共に怒られンぞ?」 「大事な友達の子供だもん、無事にお家まで送り届けるのが大人の役目だと思わない?」  少しばかりの間を置いて、ん?とアルティカはゼノの言葉に顔を顰めた。彼の意図を何となく察したからだ。それに違いはないがと顔を歪めたのはリクであり、勘弁しろと言わんばかりに後ろ髪を掻いた。 「それっぽく言うんじゃねェよ。オレが行くからお前は」 「さて、ご飯にしようご飯!お腹空いたでしょう?アルティカ、キミは好きな食べ物はなに?」 「え?いや、ちょ、あのっ」  そんなリクに構うことなくゼノはアルティカの手を引っ張っては歩き出す。まさかそれに逆らう訳にもいかず、アルティカは少しバランスを崩しながらもゼノに引きずられるように歩き出す。ワンテンポ遅れてミフェリオがアルティカの後を追いかけ、その場に残されたリクをウィルオンが見ては微苦笑を浮かべた。 「…リク殿も苦労が多そうで?」 「………まァ、アイツのわがままを聞くのもオレの役目だからなァ」  慣れっこだと語るリクの表情は満更でもなさそうで、そんな彼に酷く親近感が湧いたのだろうウィルオンは小さく笑った。 「テオ、そこに直れ」  それから数刻後の話だ。アルフネスにて、昨夜ゼノが予知していたそれが最悪の形で起ころうとしていた。珍しく呼び出されたかと思えば、テオドールはフェナルドを一目見てそれを思い出したかのように自覚した。フェナルドの言う通りその場に跪けば、見なくても彼が腕を組んだのを感じ取れた。彼が酷く立腹している証だ。 「お前、私に対して此処まで情報操作を徹底するとは、なかなかいい度胸をしているじゃないか。流石だな?」 「お褒めに預かり光栄です、フェナルド様」 「褒美にその首、私が飛ばしてやろうか?」 「フェナルド様が、それをお望みになるならば」  刹那、組まれた腕は解かれると同時に彼の右拳が広い机の一部を強く叩いた。ダン、と相応に激しい音が部屋に響き渡った。外で待機している見張りの者や、部屋から出るよう言われたばかりのメイドは酷く驚いただろうに。 「―――ッ…ああくそっ、お前があれだけ甘かった訳だ!あの時点で止めて置けば…っ」  テオドールの名を強く呼ぼうとして、それ以上にフェナルドは自分の思慮の浅さを心底悔しがり、嘆いた。昔の自分なら此処で酷く強くテオドールに八つ当たりをしただろう、だが今はそこまで幼い年でもない。故に倍以上になって全部が自分に跳ね返って来たフェナルドは、ぐしゃりと前髪を掻き上げ掴んだ。いいや、分かっているのだ。あの時点で止めては、きっと良い方にも悪い方にも転じなかっただろう。果たしてどう転がったのかは我が子が無事に帰宅するまでは分からないが、しかしきっかけにはなったはずだ。ぎり、と振り落とした拳を握りしめてから、フェナルドは無理矢理に深呼吸をした。落ち着け、と自分に言い聞かせる。 「…申し訳ございません。しかしこれ以上、アルティカ様とミフェリオの関係性を曖昧なものにしていては」 「いつか私にも実害が及ぶ。………どうせ、そう判断したんだろう?」 「はい」  一歩間違えれば多方面に実害が及ぶような荒いやり方だな、と言えばそれを認めるようにテオドールは目を伏せた。我が子とミフェリオの関係性だけではない、テオドールの紫の瞳は二人をフォローするウィルオンの事も視野に入れている。故に彼は自分ではなく、ウィルオンを二人に付けたのだ。何か考えがあるとは思っていたが、いざ蓋を開けてみればこの様だ。―――甘かったのは、自分だ。それをフェナルドは痛感している故に、どうしようもない気持ちを抱えている。それをテオドールにぶつけるのは簡単だ、そして彼もそれを甘んじて受け止めるだろう。だが、それを己のプライドが許せない。 「………当たり前だ。私は、あの子の父親だ。あの子の身に何かあれば、私にも影響が出るに決まっているだろう…」 「………はい」  淡々というテオドールの声が、更にそれを煽ってくる。だが何故だろう、不思議と腹立たしさが消えて行く。深呼吸をしたお陰だろうか、ゆるゆると力が抜けてく。言葉にならない堪らない気持ちが、胸を満たしては喉を詰まらせる。 「…まさか国家主義の連中を釣るとはな。我ながら、随分と連中に嫌われているらしい」  結局、出てきたのはそんな自傷気味な言葉だった。それもそうだろう、とは流石に言えなかった。だが否定は出来ない。彼は反国家主義を支える大事な三本柱の内、一本だ。その息子と成れば、狙われない方が可笑しい。顔を隠すかのように、そのままフェナルドは掌で顔面を覆った。力を失くしたフェナルドの指先の傍に、今朝ルクトが運んできたばかりの手紙が放られていた。いっそ憎い程にテオドールの教えを忠実に守っている優秀な護衛だ、と今頃羽を休めているだろうルクトの主人を脳裏に浮かべた。それを誉めてやりたいのは山々だが、直ぐにルクトに事情を綴った手紙を託さなかった彼を、その時自分は素直に褒めてやれるだろうか。二人の少年に比べて年を重ねている彼だ、まだ子供と言える二人よりもずっとその視野は広く、見かけ以上に冷静だ。そう、"だから"、だ。だからテオドールは、ウィルオンを二人の少年につけたのだ。テオドールの真意を慎重に見極めて汲み取った彼は、今回で最も褒められるべき存在だろう。そしてそんな彼は、それをテオドールからの信頼と受け止めては、きっと喜ぶのだろう。 「全く…こんな恐ろしい男が護衛だと思うと、逆に不安で寝れなくなるな」 「…残念です。私としてはご安心してお休みになられて欲しいのですが」 「どの口が言うか」  そんじょそこらの軍師にも顔負けしないだろう、"動かし方"だ。少なくともフェナルドはそれを誉める気にはなれなかった。故に言えばテオドールは相変わらず涼しい顔で返答するものだから、フェナルドは酷く顔を歪めた。 「………まぁ良い。手紙を見る限り、アルティカが戻るまでにはもう暫くかかるだろう。それまでに後始末を」  言葉の途中、テオドールは足音もなく跳んだ。僅かな一瞬、遅れてフェナルドがそれに気付き言葉を止めたのだ。ルクトが手紙を運ぶために飛び始めたのは、恐らく昨日の深夜近くだろう。何より此処からディカーラは一週間はかかる。その間にテオドールもまた後始末に助力するつもりだったのだろう、しかし。 「う、わっ!?」  一瞬の瞬きの狭間で聞こえたのは、愛しい我が子の声だ。声を頼りに視線を動かせば、見えたのはテオドールが我が子を抱える姿だ。その一方で、二つの影がその場でバランスを崩して転んだ。慣れない衝撃だったのだろう、それでも足音を鳴らさなかったのは厳しい訓練の賜物だ。ふわり、とその傍らに更に二つの影がその場に降り立つ。突然の予期せぬ来客にテオドールが剣を抜かなかったのは、なるほど。 「やぁ、フェナルド!久しぶりだね、少しお邪魔するよ!」 「よォ、テオドール。流石、坊ちゃんだけキャッチするとは相変わらずみてェだな」 「………ゼノ様、知らせ無しに転移魔法でお越しになるのはお止め下さい」  突然とは言え、身元の安全が確認出来る来客だったからだ。しかも屋敷の中に、とテオドールが呆れたように息を吐き出す。そんな彼に受け止められたアルティカが、二回ほど瞬きをする。転移魔法を経験するのは初めてだろう、現在位置を認識できないらしい。自分の状況を二呼吸程かけてやっと理解した上で、アルティカはそこが見覚えのある屋敷である事を確認し始め。 「………あ………た、ただいま、親父………?」 「あ、ああ………おかえり、アルティカ………?」  実の父親を見て不思議と安心したらしい、アルティカはテオドールに抱えられたまま片手をあげ、父に帰宅の挨拶をした。しかしフェナルドもまた突然の息子の帰宅と来客に驚きを隠せぬまま、釣られるように片手をあげて息子にそう返した。
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