第一章 揺り籠

1/13
135人が本棚に入れています
本棚に追加
/161ページ

第一章 揺り籠

 "…ミフェリオ。もしお前が、アルティカ様のお命を狙った事を悔いているのであれば―――"  当時の記憶は、今も戒めのように夢に見る事がある。酷くぼやけて曖昧な記憶だが、それは決して夢ではない。幼い頃の記憶は殆どよく覚えていない。夢で見る以外で記憶を引きずり出そうとしても、何時も出てこないのだ。多分、思い出したくない、のだろう。そう少年は自分で自分の事を解釈している。人は忘却の生き物だ、と誰かが言っていた気がする。しかし酷く記憶が曖昧だったとしても、少年がそれを忘れる事は絶対にない。忘れてはいけない事だからだ。―――は、とそこで漸く自分の身体は呼吸する事を思い出した。深く息を吐き出しては、吸い込む。忘れてはいけない、いいや、絶対に忘れるな。それは己の罪であり、そしてそれに対して償いたいと思うなら。 「(アルティカ様を―――アキを、この身を犠牲にしてでも、護る)」  罪を償う事を許されただけ、自分は救われた。酷く重たい瞼で瞬きをしながら、少しだけ身を起こす。時刻を確認すれば、六時前か。起床するには丁度いい時刻だが、あまりにも身体が重い。というか瞼が重い。軽くシャワーでも浴びれば改善されるだろうか。酷くぼやける思考の中で考え込んで、三秒。 「(………起きるか)」  低血圧故に朝には弱い少年がこんなにすんなりと起きれるのは、夢見が悪かった時くらいだ。否、今日のは悪いと言うよりかは自己意識の再確認、だろうか。自分の意志か、そうでないかは知らないが。身体は起きたくないのだろう、渋々と言った様子で起こす。ぐで、と持ち上げた頭が後ろに傾いた。眠い。しかし一度意識が目覚めた以上、例え二度寝できるほどの時間があったとしても眠れないだろう。それならば素直に起きて時間を有意義に使った方が良い。後ろ髪を掻きながら、ベッドから滑り降りる。 「(確か今日は、アルティカ様も特にご予定はなかったはず)」  旦那様、はまだ得意先の商談から戻ってきていない。予定では五日後だが、今回はどうだろうか。素直に帰ってきてくれると嬉しいが、旦那様の予定はよく変わる。なんにせよ、主人に外出の予定が無ければ少年は非番となる。そう、休日だ。その事を考えると二度寝をしても誰も何も文句は言わないのだが。 「(アキの事だ、まさか一日中ずっとジッとしてる訳が)」  いつでも動けるようにはしておくべきだ、と欠伸を漏らしながら着替えようとシャツに手をかけた時だ。ふ、と何か少し騒々しい屋敷内に気付く。いつも屋敷の中が動き出すのは七時以降だ。その前に起きているとすれば夜勤の見張りの者や、あるいは朝食の支度をしている厨房の者くらいだ。 「(………?使用人たちが騒がしい…?)」  足音からして、護衛の者達ではない。もしこの足音が護衛の任に就く者であれば、まず間違いなく護衛長の雷が落ちる。普段からこんな雑な足音を立てて歩く者が護衛になどついてみろ、足音を殺さねばならない場面に直面したら絶対にしくじる。しかし使用人たちが騒いでいる理由が分からない。誰かが何かを壊したのであれば、その前に物音の一つや二つするだろうし。 「(…一応、少し様子見て)」 「―――みっ、ミフェリオ様っ!!」  どうせ非番だ、眠気覚ましにでも様子を見に行こう。そう思って手に掛けたままだったシャツを脱いだ、その時だった。バタバタと響く足音が近づいてきたと思いきや、バタン、と物凄い勢いで部屋の扉が開かれた。見えたのは、一人のメイドだ。はぁ、と息を吐き出した彼女はどうやらノックを忘れる程には焦っているらしく、酷く顔を青ざめさせていた。 「あっ、み、ミフェリオ様っ!た、大変です、アルティカ様、が…っ…!?」  かと思いきや、彼女は少年の姿を目にするなり途中で言葉を詰まらせる。あまり異性の身体を見慣れて居ないらしい。かぁ、と途端にメイドの頬が赤く染まる一方で、まるで気にしていない少年は自分でも驚くほどに意識が覚醒したのを実感した。 「………あ?…なに、アルティカ様が、なんだって…?」  それでもやっぱり身体がまだ覚醒しきっておらず、口から漏れた声はなんとも情けない雑な声だった。  たん、と一人の少年が鳴らした足音は軽く跳ねて、目覚め始めた街中に響いては青空に溶けていく。何処からか吹き抜けてきた風は心地良く、先日まで続いていた雨が嘘のようだ。しゃく、と赤い林檎にかじりついた。甘酸っぱいそれは、朝食までの繋ぎにしては贅沢な一品だ。品質は上々、値段はそこそこ。やはり朝市はこれに限る。 「っと、すみません!」  不意に、とん、と商人らしき一人の男と肩がぶつかった。朝のこの時間が一番忙しいだろう、大きな荷物袋を持っている。気にするな、と軽く手を振るってはそのまま人の流れに身を任せる。鮮魚を持ち込んできた商人らしく、仄かに潮の香りがした。 「(っとと、)」  ワンテンポ遅れて、先ほどの衝撃でズレたフードを深く被りなおした。そんなに目立つ身なりをしてきた覚えはないが、念には念をだ。そのまま林檎を片手に人の川に流されていく。特にこれと言って欲しい物がある訳ではないのか、少年は彼方此方に次々と立ち並び始める露店を眺めていく。時折、何か気になったらしい商品を前に足を止めるも三秒以上その足が止まる事が無い。そうして歩き続けて、二十分。三個ほど買った林檎を全て綺麗に芯まで食した少年は、袋の中にそれを放っては指先の果汁を舐めとった。人の流れが途端に激減したその先を、フードの下から見つめる。たった一枚の壁で区切られているに過ぎないのだが、その先はまるで別世界だ。―――第三区画。いわゆる下流階級者が住まう世界は、殺伐としていた。分類としては商店街道、の部類なのだけれど。ちらり、と門を見やる。他の門と違って、見張りの者の生気がないのが分かる。上流と中流を繋ぐ門では、朝から案内で忙しいだろうに。それと比べて此処はどうだ、外からくる流れ者を追い返すのが大方の仕事だ。やる気が出ないのも当然と言えば当然、だろうが。 「(だからって、中から外に出る奴に一切気を使わないってのはどうなんだかな)」  そこを堂々と通り過ぎた少年を見張りの一人がちらりと一瞥するも、直ぐにまた顔を俯かせた。此処から先は自己責任だと言わんばかりだ。朝から荒んでるねぇ、と内心で苦笑を浮かべたまま、打って変わって酷く静かな街を歩き始める。ぼろ布に包まって眠る者、目と口をだらしなく開けたままぼうっと青空を見上げている者、宙に向かって酒瓶を振るっている者。荒んでる、と過ぎ行く人々を横目で見ながらその言葉を二度繰り返した。五分ほど歩いた先に、ようやっと一つ目の露店を見つけた。いつもの武器屋だ。と言っても剣や槍はなく、何処かで拾ってきた鉄の棒や、鋭い石と言ったところだ。使いようによっては立派な武器だが。じろ、と少年の視線に気付いたらしい店主がボロボロのフードの下から目を光らせた。彼らと比べれば上質な衣服に身を包んだ少年が、気に入らないのだろう。 「(はいはい、俺に売るもんはない、ってね)」  生憎、買うつもりもない。冷やかしになって悪い、と内心で呟きながら其処を通り過ぎた。それでもあの武器屋はこの第三区画においては有名な武器屋だ。治安の悪いこの区画において、武器屋は片手で数えられる程度しかない。自己防衛の為にと、それでもあの店で武器を買う者は居るのだろう。客が居なければ、店は成り立たないのだから。そのまま暫く歩き続ければ、ぽつぽつと間隔を空けて露店らしきそれが疎らに並んでいた。が、客足は見ての通り少年くらいだ。時々、押し売りに来る者もいるのだが今回は居ないらしい―――ふ、と見慣れない露店が目に飛び込んだ。店主は珍しい事に女らしく、そちらへと足を運んでみれば女は顔を上げた。この区画にしては、珍しい反応だ。大抵の者はこんな区画に並ぶ露店に用などない。その事は店主である彼ら自身が一番良く分かっているはずだ。故に近づいたところで顔を上げたりしないのだ。買うなら金を払う、買わないなら去る。それがこの区画の基本だ。まだ幼さが抜けきっていない顔に、流石に少し驚いた。年にして、同い年くらいではないだろうか? 「………アクセサリー…じゃねえな、刺繍か?」 「えっあっ…は、はい、そうです…」  必死に絞り出したと言った様子の返事を聞きながら、ああ、と少年は納得しながら其処にしゃがみ込んだ。薄汚れていて良く分からなかったが、なるほど店主の言う通り安物の布と糸で作られた品が五点。糸の色は一色、布もボロボロ。しかし決して雑ではなく、見かけほど強度も弱くはないようだ。 「…あまり見かけない刺繍だな、東のものか?」  問えば、途端に女は口を噤んで頷く。大方、東から逃げてきた者だろう。ふぅん、と商品の一つを手に取ってみた。普通なら金を払う前に商品に手を触れれば斬りかかってくるものだが、それもない。なるほど、ド素人らしい。刺繍は丸、三角、四角の三種があり、それぞれで刺繍が全く違う。糸の色が違えば、もっと見栄えするだろうに。 「刺繍や形の違いに、意味とかあんのか?」 「えっ…ええと…ま、丸は人運、三角は仕事運、四角は家内安全…を祈願するもの、で…」  恐る恐る、と言った様子で女が商品を指差しては説明していく。なるほど、ただの刺繍ではなくお守りのようなものらしい。刺繍によっても意味は違うらしく、形や種類による組み合わせは数多に広がると言う。しかし布も糸も、女たちからしてみれば決して安くはない物だ。 「…糸と布があるなら、それを売った方が手っ取り早いじゃねえか。なんでわざわざ刺繍に?」 「………この街…第三区画の人にだって、お守りの一つや二つ、持っていても良いと…そう、思ったんです」  お守りを買うくらいなら、食べ物を買うだろうに。そんな本音を飲み込んだのは、女があまりにも切なそうな顔をしたからだ。単純に布と糸を売るにしても、質が悪すぎるという理由もあった。なるほど、それなら刺繍にしてそれっぽく見せた方が売れる、のかもしれない。 「私のような人間にだって、心の拠り所は必要ですから。………見ての通り、品質は、悪いですけど…」  第三区画では非常に珍しいお人好し、らしい。なるほど、と何とも複雑な気持ちになりながら膝の上で頬杖をついた。さて、どうしたものか。品数、品質、店主の接客―――思考を巡らせかけた、その時だ。 「あんれぇ?レナちゃんじゃねーの?」 「!」  実に汚い声が少年の頭部を突っついた瞬間、びく、と店主の両肩が跳ねたかと思えばサッとその顔から血の気が引いた。常連客だろうか、と視線でそちらを見たところでそれは有り得ない、と確信した。むわ、と香ったのはきついアルコールの匂いだ。第三区画の人間にしてはまともな衣服に身を包んだ三人ほどの男は、どうやら朝まで呑んでいたらしい。 「あれっ、ほんとだ!レナちゃーん!奇遇だねえ、こんなところで!」 「最近お店の方に居ないと思ったら、こんな所で何してるんだよ~?」  うげ、と顔が歪むのを感じた。それを隠すようにフードを引っ張れば、その内の一人が図々しくも肩にのしかかって来た。少年の存在が見えていないのか、いや恐らく丁度良い腕掛けを見つけた程度の感覚なのだろう。ここ第三区画は、そう言うところだ。随分とフレンドリーな連中だな、と考えることにしたら少し楽しくなった…ような気がしただけで、全くそんな事なかった。 「ん~?なんだぁ、これ?」 「あっ…!」  ひょい、と指先から刺繍を荒々しく持ってかれた。人が品定めをしているというのに、と小さな息を吐き出した。途端に女は顔色を変え、細い指先でそれを少し強引に取り返す。なるほど、この男たちには触れられるのが嫌らしい。 「し、刺繍、です…」 「刺繍~?あっはっは!そんなの売らなくても、俺達がいつでもレナちゃんにお金あげるのに!」 「そうそう!お店の方に戻っておいでよレナちゃん、可愛いんだしさぁ、そっちの方が断然稼げるっしょ?」  ―――娼婦、か。地味に重くなりつつある体重に目を眇めながら、女の本職を知る。いや、男たちの言葉からして前職、なのだろうか。ぎゅぅ、と取り戻した刺繍を握りしめる両手は酷く震えている。…確かに、それを得意とする女商人はこの世にはいるが。 「なあ、お前もそう思うだろ~?」  唐突に話を振られたところで、つい盛大なため息を吐いてしまった。その反応が癪に障ったのか、視線が集まるのを感じた。くしゃりとフード越しに後ろ髪を掻いてから、改めて目の前に並んでいた商品を見下ろした。一呼吸程してから、重い肩をすくめて見せた。 「………そうだな、ハッキリ言って効率は悪いな」 「………!」  吐き出した言葉に、かぁ、と女の顔が赤くなるのが見えた。視線を外していても分かるほどであり、女がそれを隠すように顔を更に俯かせた。が、少年はその時敢えてその顔を持ち上げるように、その頬に触れた。ぐ、と酷だとは思いながらもその瞳を持ち上げさせた。その動きに合わせてフードの奥で揺れた髪は、痛々しい程に短く切られていた。―――案の定、だ。 「一つ、商売する時は客に顔を見せる事。商売に限った話じゃねえだろ、顔を見せなきゃ相手に不信感を抱かせる」 「っ…!」 「二つ、どんなに自信のない商品でも売ると言うのなら、絶対にその商品の価値を自分から下げるような発言はしない事」  言いながら、思い切って女のフードを両手で脱がす。決して綺麗とは言えない乱れた髪が、釣られて広がった。それが酷く恥ずかしいのだろう彼女は髪を隠そうとするが、それを少年の指先は止めると少しずつ整えていく。 「…髪は女の命って言うだろ。あんたは自分の髪を…命を削って、お守りとして心を込めてこの刺繍を作ったんだろ?」  ならば、その価値を自ら下げるような発言は絶対に避けるべきだ、と少年は言う。客に他の店にもっといい品がある、などと言ってみろ。少なくとも自分だったら、じゃぁそっちで買う、とさっさと踵を返す。 「客に向かって刺繍の形や意味を、笑顔で宣伝する。…あんた美人じゃん、それだけで十分な客寄せになる」  その髪は、きっと丁寧に洗い流したらとても綺麗だろうに。そして切り落とさずに居れば、もっと綺麗だったろう。だが髪を洗う湯があれば、彼女はそれを水として飲む。それ程にまで生活は苦しいはずだ。だが、ならば尚更だ。 「髪は糸と違って直ぐには手に入らない。またこの刺繍を髪で作ろうと思えば、随分と先になる。となれば、あんたはこれを全部売らないとまた店に戻ることになる」  何が何でも、この少ない商品を全部売らねばならない。それも可能な限りな高値で、だ。安値で売ってしまっては状況は何一つ変わらない。たった数日をなんとか食い繋いでいくことが出来るようになるだけだ。 「三つ、売る場所が最悪だ。こういった類は、女性…それも十二とか十四とかそこら辺の年頃の子が好む」  ならば一つや二つ、持っていると本当に効果があるお守り、みたいな宣伝文句も欲しいところだ。恋愛のお守り、なんてフレーズでもつければもしかしたらあっという間に噂になる可能性もゼロではない。 「いくら商品やあんたの接客が良くなっても、こんな場所じゃ売れねえよ。売り込む客層をしっかり定めねえと…こういうクソみたいな客の相手をしなきゃいけなくなる」  その結果は、売れ残りに加えて壊滅的な生産性の低下による廃業、だ。たっぷり、二呼吸ほどしたところで、ぐ、と首元に圧迫感を感じた。少しは酔いが醒めてきたらしい、肩に腕を乗せていた男が少年の首元を軽く締めあげたのだ。そちらに引っ張られながら、目を眇めた。 「………あ?なんだってガキ、もう一度言ってみろ?」 「いやだから、おめーらみたいなクソみたいな客を相手にしなきゃいけなくなる、って言ってんだ―――よッ!!」  いい加減に腕を退けろ、と言った意味を込めてその顎下に拳を振り上げてやる。と、同時にやっと両肩が重みから解放される。やっぱり随分と酔っているらしい、その身体は面白い程に吹っ飛んだ挙句、盛大に転がっていった。立ち上がる、のは難しいだろう。一方で、背後から感じたそれに店主の身を押し退けながら身を翻した。ひゅ、と僅かばかりにフードに何かが掠った。 「てめぇ、このガキ!!」 「げっ」  朝日を反射した鈍い光に、顔が歪んだ。先ほど見かけた武器屋が売っていたものか―――いや、あの店は剣は売っていなかったはずだ。第三区域を欲望の吐き出し口にしている第二区域の住民だろうか、と今更になって彼らの素性を考えるが、答えを確認する暇はないだろう。 「あーっ、いやいやちょっと待て、それは不味い、流石にそれは不味いからマジで止めとけ、なっ!?」 「ァあ!?」 「だーめだって、街中でそんな物騒なもん振り回したら!あぶねえ…っつってんだろーが!?」  二度、三度と空気を斬っては首元を狙ってくるそれはなんともお粗末で、少年は難なく避けながらも必死に言う。それは決して、その剣先を恐れている訳ではない。故に少年はもう一人、背後を狙って短剣を振るってきた男を後ろ足で蹴飛ばした。馬鹿、と内心でその男にも叫びながら残る一人、長剣を振るう男をなんとか説得出来ぬかと両手を挙げる。いや、喧嘩を売ったのは確かにこちらだが。 「分かった、俺が悪かった!この通りだから!許せって、なっ!?」  お粗末な動きでなければ、逆にその手から長剣を奪う、という事も出来たのだろう。しかしあまりにも酷い動き故に、逆にそれが成せないのだ。そこまで考えてなかった、と自分の浅はかさを呪う。その一方で相応の時間が経過していた事を忘れていた事も、酷く悔やむ。下手をすれば多分、もうそろそろ、だ。 「だあぁあ、頼むからお前っ!マジでその長剣しまえ、悪い事いわねーから!!じゃねーとっ」  刹那。ひゅ、と吹き込んできた風が誰かの頬を撫でた。それは一瞬の沈黙を挟んでから、長剣を振るっていた男を攫って行った。直後、左方から響いたのは実に痛々しく激しい音だ。何とも形容しがたい、聞き苦しい音が混じっていた気がした。恐る恐る、と言った様子でそちらに視線をやれば、反動だろうかそちらから吹き込んできた風が、少年のフードを少し荒く煽った。ぱさ、と軽い音を立ててフードが外れれば、月白色の短い髪色の下で青色の瞳が二回ほど瞬きをする。その先で、一人の少年が先ほどの男の上に立っていた。顔面を容赦なく地面に叩き込んだらしい、流石に殺してはいない、だろうが。ガ、とわざとらしくその腹部を強く叩き踏みしめながら身を起こした彼は、茶色の瞳を一度瞬かせながら、少年を見た。 「……―――…おはようございます、アルティカ様。本日は朝からお一人で市場に向かわれる、などと言ったご予定はお聞きしておりませんが?」  その動きに合わせて揺れた赤髪の下で満面の笑みを浮かべた彼に対し、だから言ったではないか、と少年は名も知らない男の生存を切に願いながら掌で顔面を覆った。
/161ページ

最初のコメントを投稿しよう!