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16.求められるキャラじゃなきゃ
バイクは湖を離れ、海沿いの道路に出る。
穏やかな秋の日差しに照らされた海は、美しい景色のはずなのに、さっきまでと打って変わって百樹の心は弾まなかった。
バイクで良かった。余計なことを話さなくて済む。そう思っていたはずなのに、今はそれがもどかしい。
あれが、この人の失恋の相手?
あの人が手に入らなかったから、ビッチ相手なら、ゲイの世界デビューにちょうどいいとか、思ったわけ?
ぐるぐるめまぐるしく交錯する思いでパンクしそうになった頃、前方に、大自然に不釣り合いな大きな建造物が見えてきた。
水を連想させる、波打つ形の屋根。その壁面に白と青とを基調にしたロゴが大きく設置されているのが目に入ると、百樹の心はさっきまでの気鬱も忘れて小さく跳ねた。――水族館だ。
水族館は大好きだ。役落としで地方まで行く余裕がないときなどは、都内の小さな水族館よく行った。そうしてペンギンのもふもふした腹や、こっちまでつられて笑顔になってしまうアシカの口元を一日中見て過ごす。
「城や寺社仏閣以外の観光地っていうとこのくらいしかなくてな」
龍介がそう地元を謙遜する言葉も、入り口に貼られたイルカやペンギンのショーのお知らせの前には、耳に入らない。
餌やり体験!? マジで?? ――あ、「お子様優先」かあ……
ギリお子様にカウントしてもらえないかな、などとプライドもへったくれもなく考える。
「百樹?」
怪訝そうに声をかけられ、やっと我に返った。
「……こういうの、興味なかったか?」
あります。むしろだいぶ前のめりです――という叫びはかろうじて引っ込めて、仏頂面を作った。
「ほかになにもないんだから、ここまで来て入らないで帰るとかないだろ」
あくまで「仕方なくつきあってやる」ふうを装って、中に入る。
照明を落とした館内に人は少ない。むしろそれに心が躍った。まるで自分も海の中を彷徨っているような気分だ。
――暗いから、表情もよく見えなくて、助かるし。
自然と会話も控えめになる状況は、かなり救いだ。
青い闇に満たされた空間で、光を受けた魚体が銀色に輝く様を眺めながら足を進めると、さっきまでの鬱屈とした思いがやわらぐのを感じる。
小さな展示室をいくつか抜け、天井までの大水槽にたどり着いた。
薄青い光の前に、人だかりができている。人の少なさに密かに維持費を心配していたりもしたのだが、どうやらほとんどの客がここへ集まっていたらしい。
水槽の中では、シロイルカが泳いでいた。器用に立ち泳ぎする姿は、飼育員の話にちゃんと耳を傾けているように見える。
くりくりおめめのその姿だけでも充分に可愛いのに、飼育員の指示でくるりと回ってからぷうっと吐き出した気泡は、ハートの形になっていた。
客がわっとわくのがわかるのか、シロイルカはきゅいきゅいと嬉しげに鳴き声をあげる――これはたまらない。
「かっわ……!」
今日ここまで何度もどうにか堪えていた声がいよいよ漏れ出てしまって、百樹は慌てて口元を押さえた。
――しまっ……
幸い、龍介の姿は近くにはない。きっと人混みに押されて輪の外にいるのだろう。
駄目だ。なにやってんだ俺。
こんなの、あの人が求めてるキャラじゃないのに。
舞台の上でなら簡単に降ろせる役が、全然降ろせない。入り込めない。
シロイルカは、まるで歌っているような様子で口を開けて、百樹のいるほうへやってくる。
百樹はその愛らしい姿から目を逸すと、水槽の前を離れた。
「どうした?」
やはり人垣の外にいたらしい龍介が、あとを追って来る。百樹はそのまま無言でずんずん歩いて、暗い通路の奥の人影のないトイレに入ると、個室に龍介をひっぱりこんだ。
素の自分を出したくない。仮面を被っていたい。だってそうしたら、たとえ嫌われてもそれは仮面のおれで、本当のおれじゃない。
だから早く、早く仮面を被らなくちゃ。
「おい? ――」
龍介の言葉を口づけで塞ぐ。散々に舌を貪ってから長身を見上げた。
「もー飽きた。――もっといいことしよ?」
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