3.突然の電話

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3.突然の電話

  「ん?」  エゴサはし始めるとどんどん深部まで潜ってしまうから恐ろしい。  どこをどうたどったのかももはやわからないが「2.5次元の台頭と演劇の衰退について」という記事にたどりついてしまった。見る前からろくでもないことになるのはわかっているのに、タップせずにはいられない。  表示されたのは、無記名のブログだ。簡単なプロフィールには「年間百回劇場に行く演劇マニア」とだけ記されていた。 〈近年盛んに上演される若手イケメン俳優を集めた舞台、所謂2.5次元というものが、私は嫌いだ〉 「……おっとお」  百樹は思わず呟いた。初手から強めに焼かれている。  記事はブログ主がどのように演劇に出会ったかから始まり、どのように救われ、どのように愛するように至ったかを連綿と書き綴り、やがて冒頭の「嫌いだ」に帰結した。 〈……借り物の設定をなぞるだけの作品が、ただでさえ不足気味な都内のハコを押さえてしまい、優れた作品の上演機会を奪っている〉 〈美しく着飾った若い男たちが見たいのなら、ホストクラブにでも行ってもらいたい〉 〈あまりにリアリティのない、漫画チックなキャラをそっくりに演じるだけでは、役者もキャリアに繋がらないだろう〉  などなど、親でも殺されたか、はたまた村でも焼かれたのかという勢いだ。  そしてこう結ばれていた。 〈役者とは名ばかりの、同じような顔をした彼らが、数年後一体何人生き残っているのか見物だ〉  ハコの問題は、演じる側に言われたって困る。「そっくりに演じるだけ」って、それにどんなにみんな苦労していることか。  みんなそれを求めてる。  俺はその求めに応えるし、応えられる。それが得意で楽しいんだ。自分なんか出したら愛されない。  まだやっと喜んでもらえるようになったばっかりで、数年後なんてそんな誰にもわからないこと心配してる余裕、ないよ。  ネットの片隅の、しかも無記名の記事だ。真に受ける必要はない。そう思うのに、百樹はその一文からしばらく目が離せなかった。  そのとき、見つめていたスマホ画面が、思考を断ち切るようにふっと暗くなった。  次の瞬間、ぶるぶると震える。不意を突かれて取り落とすと、その拍子に応答ボタンに触れてしまっていたらしく、ローブの胸の上に落ちたスマホから『もしもし?』とくぐもった声が漏れた。  まだなにか連絡漏れでもあっただろうか。 「轍っちゃん?」 『……』  応じると、聞こえてきたのは、かすかに息を呑んだような気配だけだった。なにかがおかしい、と思ったとき、やや気まずげな声が空気を震わせる。 『……俺、だけど。昨夜の』  俺? 昨夜? ゆうべ――昨夜??   頭が姿かたちを思い受かべるより先、体の奥が熱を帯びた。思い出した。あの交わりを。  心臓が過剰なほどに存在を主張する。あまりにも大きくどくっと波打つから、一瞬、息が詰まった。 「え、あ、な、なんで? 番号――」  なにから訊ねたらいいのかわからず、かろうじてそれだけ絞り出す。もう二度と会うことのないと思っていた行きずりの男から電話がかかってきたら、みんなそうなると思う。  一瞬の戸惑いのあと、電話の相手は言った。 『……昨夜、おまえが登録しただろう』  あほビッチ~~~~~~~~~~!!!!!!!!(俺だけど)  そうだ。確かバーで、俺だけど俺じゃないチャラ男は、この男のスマホを勝手に奪って番号を入れた。……舞台でも、ヒロイン相手にやったように。  あほビッチ~~~~~~~~~~!!!!!!!!(数秒ぶり二度目)  しかしそれで本当に電話してくるとは。  もしかして、俺のことが忘れられなく……?  心臓が、さっきとは違って今度は小さく波打った。漣がちいさくこそばゆく囁いてくる。 一夜限りの火遊びから始まる本物の恋もあるんじゃない? と。  が。 『おまえ、俺の財布を持っていっていないか』  心地よい凪を漂っていた感情の小舟は、突如ざばっと大波に襲われた。  なんということでしょう。  少なからず好印象だったアバンチュールの相手から、窃盗を疑われています。  もちろん盗ってなどいないが、状況を考えれば疑いも妥当と言える。  どうしよう。SEXスキャンダルに、犯罪の疑いも加わってしまった。事務所に迷惑をかけてしまう。  俺をいい商品だって言ってくれた事務所に。  こういうとき、自分で対応するのは厳禁だと轍人にはよくよく言い含められている。まずはなんとか一旦電話を切って、代理人からあらためて連絡を――で引き下がってくれるかどうか。  寝起きの頭をぐるぐるさせているうちに、男の声が再び鼓膜を震わせた。 『いや、そうじゃなくて』  どういうわけか慌てた様子だ。 『おまえの財布が俺の手元にあるんだ。だから、そっちも確認してみて欲しい』 「……へ?」  大波に翻弄していた小舟が、今度は見知らぬ浜に打ち寄せられたような心持ちだった。助かった。だが、どういうことだ?  ベッドから降り、脱ぎ散らかしたままだった革ジャンのポケットを探る。百樹が愛用しているのは、ごくシンプルななめし革の黒い二つ折り財布で―― 「あれ?」  なんだか革の質感が違う気がする。使い込んで手になじむところは同じでも、こんな地紋は自分のものには入っていなかったはず。ぱかっと開くと、明らかに見覚えのないカードに運転免許証――百樹は免許など持っていない。  カードのポケットからそこだけ見えていた免許証の名前欄を、半ば反射で読み上げていた。 「岡 龍介。おか……りゅうすけ?」 『ああ』  電話の向こうから、安堵の気配が伝わってくる。 『ぱっと見似てるから、取り違えたんだな。持っててくれて良かった。ありがとう』  ありがとう。  百樹は拍子抜けする。  行きずりの男にいきなり乗っかられた上財布を持ち去られたのだ。もっと憤ってもいいくらいだと思うのだが。 『俺今日これから仕事だから、悪いけど昼に職場までとりに来てもらえるか』  悪いも何も、自分の財布を他人に握られているなんて状況、さっさと解消したいに決まってる。もちろん行くと答えて、指定された場所のメモを取ると電話を切った。  良かった、という気持ちと、どうしようという気持ちがせめぎ合う。  二度と会うこともないだろうと思ったのに。  ――あっという間に再会だよぉ!
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