毎晩大正解!~龍介とももの場合~

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 あ、龍介さんのハンカチ、持ってきちゃった。  いつものように梓で休暇を終えて飛行機に乗り込んだところで、百樹は気がついた。神社の手水舎で手を洗ったときに借り、そのままにしてしまったらしい。  いまさら引き返せないし、ま、次会ったときでいっか。  窓際の席に座ってハンカチを眺め、しみじみと「次」について考える。会えるときは二週間に一度会っているけれど、次は仕事の都合で少し間が空く予定だ。  百樹の場合、あまり知られていない地方のほうが羽が延ばせる。龍介も百樹も連絡はまめなたちで、どんなに忙しくてもおはようとおやすみくらいはLINEで言い合う。  だけどほんとはやっぱり、毎日会えたらいいよねえ……。  まあそれは贅沢というものである。  なくさないようにしてちゃんと返そ、とハンカチをバッグにしまい込むと、しまってあったスマホが目に触れる。ふと思い立った。  他の人って遠距離恋愛の淋しさどう埋め合わせてるんだろ……  最近は機内wi-fiで、搭乗中もスマホが使える。百樹は検索窓に 〈遠距離恋愛 体験談〉  と入力した。  梓の最寄りの空港から羽田までは、一時間半足らず。その間にインターネットの海に漕ぎ出して見つけ出した答えに、百樹は正体不明の熱を感じながらタラップを降りていた。  心の中で赤面する。  や、やっぱみんなテレホンセックスしてるんだな〜〜!!  始めに見つけた記事は、記念日に彼が来てくれた、具合が悪いとき朝まで電話を繋ぎっぱなしにしてくれた、なんて可愛いものだったのだ。けれどどんどん深部に潜っていくうちに、体験談といってもだいぶアダルトなほうへ迷い込んでしまった。  そこに記されていた文言を思い出す。 『関西に転勤になってしまった彼に、電話で言葉責めされました。普段は恥ずかしくて言えないようなことも電話なら言えてしまうので、それから癖に……』 『付き合い始めてすぐ遠距離になってしまった僕たち。初めてえっちした日と同じ服、同じ下着ですると、興奮するし絆も感じられました』  特別変わった性癖の持ち主というわけでもなく、ごくごく普通に思えるカップルが、そんなことを投稿しているのだ。  中には 『お互いの服や下着を送り合ってやってました』  なんて書いている人もいた。  服はともかく下着って――えっち! でもちょっと羨ましい!!  だってテレホンセックスだったら、何時間もかけて行き来しなくていい。なんなら、毎晩だっていちゃいちゃできるのだ。  でも、なんて言って誘ったらいいんだろ?  記事には初めは少しずつ気分を盛り上げて、引かれないように誘うのが大事と書いてあった。そりゃそうだ。そこを失敗したら、毎晩いちゃいちゃどころか大自爆だ。簡単に会えない分、修復は難しい。  百樹は、鞄の上から中にしまったハンカチ に触れる。  ちょっと練習――してみよう、かな? ・・・・・・・・・・・・・・・・  自宅マンションに帰り、ベッドに横になる。いつもはそのまま寝てしまうのだが、今日はスマホとハンカチを取り出した。  すう、とにおいを吸う。  手水舎で自分が借りてそのまま持っていたから、香るのはかすかな洗剤のにおいくらいなのだが、それでも楽しく過ごした休日を思 い出すには充分だった。下着とまではいかないが、充分妄想の触媒になる。 「えっと……可愛い誘い方……〈電話でえっちって、どうやるんだろうね?〉これだ」  ぎゅっと目を閉じてシミュレーションする。とりあえず、いつも通りお互いの近況報告などして、毎日会えなくて淋しいなって伝えて……待て待て、これじゃちょっと責めるような響きにならないだろうか? おれは淋しいけど、龍介さんは? のほうがいいかな。いやいやこれじゃあ問い詰めてるみたいかな――  あっ、これ、案外難しい。  取り敢えず導入部は保留にして、言葉責めパートいってみよう。  百樹は眉間に皺を刻み、さらに妄想を進めていく。  ええと確か記事では、して欲しいことを言ってみたり、逆に命令したりするといいって書いてあったよな。 「龍介さん、気持ちいいとこ、触って……〈気持ちいいとこ〉じゃ伝わらないかな? ち、ちん――だめだこれめちゃくちゃ恥ずかしい!!」  寝返りを打って枕に顔を埋める。やはり相手がそばにいて、いい雰囲気になったりしなければ、そうそう言えるものでもない。だいたい最終的にはあんなことやこんなことまでしたい(したい!)わけなのに、ここで挫折していたら、その先どうすりゃいいの。 「みんなこんなのほんとにやってんの!?」  恥ずかしい。かなり恥ずかしい。でもこれを越えなければ毎晩いちゃいちゃの夢は叶えられない。もう一度検索画面を確認しようとしたとき、ぶるっとスマホが震えた。 「えっ、あ、わっ」  取り落としそうになりながら、なんとか応じる。 『――もしもし?』  龍介だ。 「も、もしもしっ?」  思わずベッドの上に正座してしまう。 『そろそろ家に着いた頃かと思ったんだが』  そうだった。いつもなら到着してすぐ送るLINEを、今日はうっかり送らずにいた。  頭の中がテレホンセックスでいっぱいだったから。  とはもちろん言えず「え、あ、う、うん。着いたよ!」とだけ絞り出した。 『取り込み中か?』  龍介の声が、訝しげな色を帯びる。  取り込み中というか、妄想中というか……  野球の名門校で副主将を務めていただけあって、龍介は細やかだ。なんだか自分が良からぬことを考えていたことまで見透かされてしまいそうで、百樹はとっさに嘘をついた。 「ううん。ちょっと疲れて寝ちゃってたから」 『そうか。じゃあ長話も悪いな。おやすみ』  こんなとき龍介の紡ぐおやすみは本当にやさしくて、あたまをそっと撫でられたような気分になる。ちくりと胸は痛んだが、百樹は「おやすみ」と応じて電話を切った。
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