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「ねぇ,送迎やってよ。もう,終電ないから」
敦は汚れた手を洗い,ガサガサと音を立てて茶色いペーパータオルを丸めながら受付の下に隠すように設置されたレジを開けた。最近はクレジットカードのほかに電子マネーでの支払いも増えたが,いまだに風俗店では現金のやり取りが主流で,客も履歴の残らない現金を好んだ。
レジから現金を取り出し小さなテーブルに並べると,女の子の名前と指名数を確認しながらノートに記しを付けながら数えていった。この作業を行っているときの敦の指先は,唯一真美子が見惚れる瞬間だった。
「ちょっと待ってな。レジやってオーナーに日報メールしたら送ってやるから」
店では希望する女の子は家まで送ることになっていたが,真美子が敦に送迎を頼むことは初めてだった。
家族と同居で実家を知られたくない子もいれば,一人暮らしのマンションやアパートを見られることを嫌がる子もいた。
敦は店の責任者として真美子だけでなく女の子達の住所は知っていたが,短時間でも二人だけの空間が生まれる車で一緒になることが真美子は嫌なのだろうと思っていた。
「うし。終わった。じゃあ,着替えてくるから帰る準備しときな。あと,女子トイレの窓が閉まってるか見といて」
店に男性用の更衣室がなかったこともあり,敦は当たり前のように細い通路で下着姿になって私服に着替えた。真美子がトイレに向かうときに,一瞬だったがやけに筋肉質な背中が見えた。
「準備できたか? 今日はラッキーだぞ! オーナーの車が置いてあるから! あの車を使えるとか滅多にないからな」
敦が一見大学生のような私服姿で,仕事中には見せない笑顔を見せた。いつも仕事中は無愛想でくたびれた黒スーツを着ているが,私服はやけにオシャレで,聞いても知らないブランドばかりだった。
「じゃあ,行くか」
一緒に店のすぐ近くに借りてある駐車場へ向かい,あきらかに高級そうな海外のセレブが乗ってそうな黒い車に乗り込んだ。
「うし。ちゃんとシートベルトしろよ」
敦は嬉しそうにエンジンをかけ,振動を感じないシートの位置を調整してからゆっくりと車を発進させた。そんな敦を横目で見ながら,こんな車にお金をかける気持ちがわからず,居心地の悪い車内で窓の外へと視線を向けた。
真っ暗な窓ガラスに映る自分は,どこか他人で,幼い頃の自分には想像もできない容姿に見えた。
「誰だよ……お前……」
窓ガラスに映る自分に話しかけたが,応えてくれるわけでもなく,幼い頃に一人で人形遊びをしていたことを思い出した。
「ぬいぐるみ,造りたいな……」
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