第二話「発光」

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 さっき割ったガラスの破片で、手を切ってしまったようだ。  血のしたたる片手をおさえ、セラは学校の廊下を必死に走った。  目的地は決まっている。幸か不幸か、その部屋の電灯はまだ消えていない。  いきなり保健室へ突入してきたセラの勢いに、バネじかけの人形みたいに仰天したのは看護師の片野透子(かたのとうこ)だ。様子をうかがうに、トウコは白衣を脱いで帰り支度の最中だったらしい。  叩きつけるように閉めた扉に、セラはすばやくカギをかけている。  息を切らすセラの危機感を読み取り、トウコも顔つきを硬くした。 「なにがあったの、セラちゃん?」 「いっしょに逃げよう、片野(かたの)先生。〝食べ残し〟の正体は、倉糸壮馬(くらいとそうま)だったんだ」 「なんだかよくわからないけど、ただごとじゃなさそうね」  施錠したばかりの医療品の引き出しをふたたび開け、トウコはセラへ手をさしのべた。 「ケガしてるじゃない、手。見せなさい」 「そんなことしてる場合じゃ……」  慌てふためくセラをなだめつつ、トウコは内線電話の受話器をあげた。つながった先へ端的に内容をしゃべると、通話を切ってセラへ告げる。 「警備のひとに知らせたわ。すぐに来てくれるって」 「その、ふつうの人じゃたぶんダメだ。太刀打ちできない。なんというか、うまく説明できないけど、あの殺人鬼には特殊な力がある」 「どんな変な才能があっても、不審者は人目につくのを嫌うものよ」 「そうなのかな……だといいんだけど」  トウコの独特な穏やかさに飲まれ、セラの殺気も鎮まっていく。  来客用のイスに座らせたセラの切り傷を、トウコは段取りよく消毒した。止血の包帯をセラの手に巻きながら、優しい口調でたずねる。 「さあセラちゃん。落ち着いて話してごらん。なにがあったの?」 「襲われたんだ」 「だれに?」 「そ、その……メグルを殺した真犯人に」 「たいへんな話ね。で、その犯人というのが(くら)……」  軽い衝撃とともに、トウコの台詞はとぎれた。気を失ってイスからずれ、そのまま床へ崩れ落ちる。  背後の闇、当て身の手刀を引き戻したのはソーマだ。  かすかに開いた保健室の窓から入ったらしい。イスを蹴倒して後退したセラへ、ソーマは無表情にささやいた。 「井踊静良(いおどせら)……きみのことは、物陰からずっと観察していた」 「じゃあ、あのときどき感じた視線の正体は……!」 「おとなしくするんだ」 「だれが!」  窓から放り込まれた呪力の石塊は、あっという間に幻影の刃に撃墜された。その一瞬のすきをつき、セラは扉をぶち破って廊下へ飛び出している。  窓を割って外へ……そう思ってセラの召喚した石は、寸前に飛来した刀の輝きに縫い止められて床へ落ちた。おぞましい靴音は、暗がりから律動的にこちらへ迫ってくる。  あせったセラは、手近な階段を駆け上った。だが廊下を曲がろうとしたり、火災報知器を押そうとするたび、いずこからか現れた白刃が(かんぬき)のように道をはばむ。  ひたすら逃げるセラの頭は、混乱に破裂しかかっていた。 (お、追い詰められている?)  階段の終点にあった鉄扉を、セラは体当たりで開けた。  屋上だ。暗雲には雷がほとばしり、雨は激しく地面を叩いている。 (逃げ道は!? どこかに逃げ道はない!?)  奇跡的にセラの視界がとらえたのは、非常階段だ。  豪雨の中に飛び出した時点で、セラの動きは止まった。  見よ。そこだけ雨が、刀剣の形に切り取られているではないか。数えきれない透明の刃は、セラを四方八方からそのとがった切っ先で照準している。  昇降口の漆黒から、ソーマは静かに夜へ歩みだした。 「動くなよ。動けばズタズタになる」  喉元の幻影剣を瞳だけで確かめながら、セラはくぐもった呻きを漏らした。 「ぼくをいたぶって、反応を楽しんでるんだな!? わざわざ姿を見せたのが、おまえの運の尽きだ! 来い! 〝輝く追(ヴェディオ)……」 「大昔からの災害地図(ハザードマップ)は、すでに確認してある」  相手の動きを見越した舌使いで、ソーマはセラの言葉をさえぎった。 「この高所は、土砂崩れを記憶していない。つまりここでは、きみの力は発動不可だ」 「!」  落石による反撃を完全に封じるため、ソーマはセラを屋上まで誘導した。すべて計算ずくで追い詰めたのだ。結果呪(エフェクト)が繰り出せなければ、彼女はただの非力な女子高生でしかない。  空中の刃を邪悪にきらめかせ、ソーマはつぶやいた。 「さて、じっくり話そうか、井踊静良(いおどせら)」  死の恐怖が、絶望が、怒りが、セラの心のなにかを断ち切った。 「〝輝く追跡者(ヴェディオヴィス)〟!」 「なに!?」  反射的に重ねた刃で防いでいなければ、ソーマは致命傷を負っていただろう。  轟音とともにソーマの頭上で爆発したのは、灼熱した岩石の破片だ。それもひとつやふたつではない。いくつもの燃える巨岩は、炎と煙の軌跡を残して立て続けにソーマへ降り注いでいる。  襲来する石の雨をとめどなく切り裂きながら、ソーマは驚愕した。 「この結果呪(エフェクト)……土砂崩れなどではない! これは〝隕石〟そのもの!」  そう。  これまでは現象が小規模すぎて気づきもしなかったが、セラを救う石ころは地面が崩れてできたものではない。天から落ちる隕石だったのだ。セラの結果呪(エフェクト)は、この惑星が太古に記憶した〝流れ星の衝突〟をその場に再現する。  発動者だけを避け、セラのまわりに縦横無尽に隕石は落ちた。折れて砕けた〝竜巻の断層(トルネンブラ)〟の刃の破片は、たちまち輝く粒子と化して消滅する。  激しい呪力の炎に包まれたまま、セラはたじろぐソーマへ一歩前進した。おそろしい眼差しをして言い放つ。 「もう許さないぞ、殺人鬼。数多くの人々を殺めた罪、きちんと償ってもらうよ」  重々しい波音が、セラの耳に届いたのはそのときだった。 「海……?」  いや、それはない。  もっとも近い井須磨(いすま)海岸でさえ、ここから十数キロは離れている。学校はむしろ山寄りだ。なにかの聞き間違いだろう。  だが次にこだました呪いのささやきは、幻聴などではなかった。 〈結果呪(エフェクト)魔性の海月(ヴーゾンファ)〟〉  それは質量ある実体と化して、セラの眼前に現れた。  雨に濡れた地面が、にわかに泡立つ。幻の海面を割って宙に突き出したのは……〝サメの背びれ〟ではないか。  とんでもなく大きな魚影が跳ねるや、開かれた真紅の(あぎと)はセラめがけて噛み合った。 「よけろ!」  とっさに突き飛ばされたおかげで、セラは無残な真っ二つにならずにすんだ。  かわりに、セラは安全柵を越えて夜空に投げ出されている。落ちる彼女を、空中で受け止めたのはだれの手か?  急降下の強風の中、人影は叫んだ。 「〝竜巻の断層(トルネンブラ)〟!」  ソーマの周囲から生じた幻の刃たちは、校舎の壁に食い込んで落下の勢いを殺した。  着地の衝撃で散った花壇の花びらの向こう、先に声をあげたのはセラだ。 「い、いまのは!?」  セラを横抱きにしたまま、ソーマは答えた。 「まさか本当に、あれほど巨大な人食いザメだったとは。かつてここがまだ海だった時代に泳いでいた〝肉食魚の記憶〟を呼び起こす結果呪(エフェクト)と見た」  ソーマは結論づけた。 「あれが殺人鬼〝食べ残し〟だ」 「え……」  目を点にして、セラは問いかけた。 「じゃ、じゃあ、倉糸(くらいと)先生は犯人じゃ?」 「この慌てん坊め。まあ、結果使い(エフェクター)のきみを殺人犯と疑ってかかっていた私も人のことは言えないが」  雨音があってもなおよく通る声で、ソーマは自己紹介した。 「私は政府の捜査官だ。次から次へと人を食らう謎の殺人鬼を追うため、赤務(あかむ)市に配備された。ちなみに、教員免許もちゃんと持っているぞ」 「そ、そうだったんですね……は!」  ふと気づいて、セラはソーマの腕の中でもがいた。 「はやく! はやく犯人を追わなきゃ!」 「落ち着け。敵の呪力の気配は消えた。逃げられたんだ。今回は、対象の結果呪(エフェクト)の性質を見ただけでも収穫としよう」 「はい……」  息がかかる近さの彫り深い横顔につい見とれ、セラは遅まきながら頬を赤らめた。じぶんの命を救ってくれた美青年に、まだお姫様抱っこされたままなのだ。  校舎の屋上を睨みつけるソーマへ、セラはもつれた舌で提案した。 「あの、あのあの。もう下ろしてもらっていいですよ? 重たいでしょ?」 「あ? ああ、これは失礼した」  ふたりのいる場所から校舎をはさんだ裏側……  カサをさした人影の足もとには、獰猛な背びれが三つも泳いでいた。 「ついに組織(ファイア)が動き始めたか……どんな味がするか楽しみだ」  身をひるがえした殺人鬼のうしろで、幻影のサメたちは地面に吸い込まれて消えた。
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