第三話「通過」

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第三話「通過」

 昼休みの時間……  美須賀(みすか)大付属の面談室。  個別の進路相談という名目で、セラとソーマはふたりきりで部屋にいる。  台所でお湯を沸かしながら、ソーマはたずねた。 「紅茶にするか? 緑茶にするか?」 「ぼくが入れますよ。コーヒーを頂きます。角砂糖は十二、いや十三個で」  かすかに片眉をひきつらせ、ソーマはセラを見とがめた。 「見た目に似合わず甘党なんだな。太るぞ?」 「ご心配なく。健康診断の数値はずっと正常です。先生は砂糖、何十個入れます?」 「頭は大丈夫か? よせ、ブラックでいい」  テーブルを挟んで対面しながら、ソーマは気を取り直して本題に移った。 「井踊(いおど)さん」 「セラで結構ですよ、お気軽に」 「ではセラ。ふつう、組織が民間人に機密を明かすことは絶対にない。だがセラ、きみに対してはあらゆる情報の開示が許可されている。わかるな、この意味?」 「いいえ、ちっとも。もしかしてぼく、悪の組織に誘拐されて洗脳され、戦闘員や怪人に改造されちゃうんですか?」 「きみが魔法少女の卵なら、それもあり得たかもしれん。しかしきみの方向性はまったくちがう。きみは世にもまれな結果使い(エフェクター)だ。その呪力はすでに開花し、即戦力になることは疑う余地もない」 「戦力? なんのことですか?」 「ぜひ組織の一員に加わってくれ」 「お断りします」  気まずい静寂に、運動場で遊ぶ生徒たちの嬌声だけが響いていた。即答したセラを真剣な眼差しで見据え、食い下がったのはソーマだ。 「政府の職員だぞ。まごうことなき公務員だ。手厚い待遇は保証されている」 「お金でぼくは釣れませんよ」 「ではなにか、安定した将来を蹴るほどの夢でもあるのかね?」  コーヒーというよりは粘液質のなにかを一口すすり、セラはつぶやいた。 「お菓子職人(パティシエ)になることです。目標は、ぼくの作った味で、生きるのに疲れてしまっただれかをちょっとだけ笑顔にすること。政府のスパイになってライブ会場に毒ガスを仕掛けたり、焼きごてで人質にひどい拷問をしたりするのは嫌ですよ」 「うちも偏見されたものだな。たしかに組織は、悪を裁くためであればときに強引な手段にもおよぶが、基本的には正義の味方だぞ。これが組織の概要だ」  左手首にはめた銀色の腕時計を、ソーマは一定のパターンでなぞった。  なにもない空中に具体的な内容を投影したのは、時計に内蔵された超小型のプロジェクターだ。ちょっと進んだ技術に驚きながら、セラは流れる情報を朗読した。 「特殊情報捜査執行局(Feature Intelligence Research Enforcement)。組織名は、単語の頭文字をそれぞれとって通称〝Fire(ファイア)〟。そのおもな任務は警察機関のサポート、機密情報の防衛。それから、んん? 地球外や異世界等から侵入した敵性存在の迎撃と収容。現実世界に生じた超常現象の観測と鎮圧。覚醒した異能力者の監視・確保・登用。つぎに……え~っと、すいません。なんだかぼく、頭がこんがらがってきました」 「近々、もっとわかりやすい資料を用意する。実際に組織の内部も見学してもらおう」  電子の奔流を静かに消すと、ソーマはさとした。 「結論は急がない。きみには大学をふくめた学業もまだ残っているしな。ただしこれだけは知っておいてくれ。組織はつねに、世界の平和をその裏側から支え続けている。そして能力者であるきみも、もうずっと知らぬふりではいられない。とくに今回、私たちが追っている狂気の結果使い(エフェクター)〝食べ残し〟の追跡に関しては」  我知らず奥歯を噛みしめ、セラは問うた。 「ほかにこう、この殺人事件に適任な捜査官のひとはいないんですか? 大きな組織なんでしょう?」 「かねてより、本件には多くの捜査官(ユニット)が投入されている。しかしなにぶん、過去に前例のない敵の対応だ。殺人鬼の尻尾をつかむまでもなく取り逃がし、またことごとく返り討ちに遭っている。その中ではっきりしたことはひとつ」  銀縁眼鏡を正して、ソーマは告げた。 「犯人は好んで結果使い(エフェクター)をつけ狙っている。その理由までは不明だが。だからこそ、組織でも数少ない結果呪(エフェクト)の専門家である私は赤務(あかむ)市に寄越された」  コーヒーの水面を深刻げににらみ、セラは聞いた。 「ほんとうに……ほんとうに、メグルは殺されたんですか?」 「残念だが、ほぼ間違いなく。現場に残された手がかりの鑑定結果から、彼が存命でないことは明らかだ」 「やはり結果使い(エフェクター)、だったからですか?」 「おそらくは」  コーヒーに唇をつけかけたあたりで、ソーマは気づいた。  机上で握りしめられたセラの拳が、白くなって震えていることに。 「ぼくのせいです。ぼくがもっとうまく、メグルを守っていれば」 「じぶんを責めすぎるな。憎むとすればそれは、彼を覚醒させた〝ヒュプノス〟という正体不明の存在だ。なにか心当たりは?」 「ありません……ぼくはただ、声を聞いただけです」 「声、か。その特殊な波長は強い暗示や催眠術のように、能力を眠らせている人間を結果呪(エフェクト)に目覚めさせるらしいな。裏で〝食べ残し〟とつながっている可能性もある」 「許せない」  セラの瞳の奥には、熱い決意の炎が燃えていた。 「許せません、約束をやぶった自分自身が。ぼくは誓ったんです、かならず守るって。メグルとお母さんに。ぼくにできることならなんでも協力しますよ、先生。凶悪犯に罪を償わせるために。これいじょう犠牲者を増やさないために」  セラはささやいた。 「ぼくが守ります。学校を、みんなを、この街を」 「一歩前進だな、組織の捜査官(エージェント)に」  コーヒーカップを置くと、ソーマはたしなめた。 「そうは言っても〝食べ残し〟はいつどこで我々を見張り、襲ってくるかわからない。繰り返すが、やつは結果使い(エフェクター)をターゲットにしている。高い能力を秘めるきみでも、周囲にはじゅうぶん警戒するんだぞ」 「わかりました」 「有事の際のために、連絡先を交換しよう」 「はい」  口頭で伝えた番号をセラが自分のそれに打ち込むと、ソーマの携帯電話はひとつ震えて静まった。交換完了だ。さらにセラは申し出た。 「REIN(レイン)のアドレスも交換しましょう。声で話せない状況のとき、とても便利です」 「あのはやりの意思疎通アプリのことか。その、すまないんだが」 「まさか先生、インストールしてないんですか?」 「そのまさかだ。連絡はもっぱら、この自爆装置もかねた腕時計でおこなっている」 「自爆は冗談として、友達とメールするときもその銀色の腕時計(スパイグッズ)なんですか?」 「これは組織内の専用回線だ。職場いがいでの交友関係が薄くてな」 「ようはいないんですね、友達?」 「はっきり言ってくれるな。そのとおりなんだが」 「結婚もしてませんね?」 「バカにしているのか。まあ、していない」 「彼女もいないでしょ?」 「いがいと大胆だな、きみ。いない」  おもむろに、セラはソーマのとなりに腰掛けた。 「いいですか、インストールしても?」 「べつにかまわんが」  横から覗き込んだソーマの携帯電話に、セラは例のアプリを落とした。ひとつふたつ簡単な操作をしたあと、うながす。 「これでぼくの電話のコードを読み取ってください」 「ここを押すのか?」 「ちがいます、こっちです」  端末をいじる指と指、横並びの腰と腰はぶつかり、ソーマもやや眉根を寄せている。ぶじに相手の電話の改修(カスタム)が済んだのを確認し、セラはうなずいた。 「はい、これでオーライ」  学校のチャイムが休憩の終わりを告げたのは、ちょうどそのときだった。 「コーヒーをごちそうさまでした。食器は置いといてください。あとで洗いますので」  席を立ちながら、そよ風のように言い残したのはセラだ。 「今後ともよろしくお願いしますね、〝竜巻の断層(トルネンブラ)〟さん」 「ああ、こちらこそ、〝輝く追跡者(ヴェディオヴィス)〟」  出入り口の戸は閉まり、面談室にはぽつんとソーマだけが残された。  沈黙の中、ソーマはおぼろげにじぶんの手をながめている。さっきセラの指がぶつかった場所だ。なにを思ったか、ソーマは半眼で独りごちた。 「プライベート、か……」  ワンテンポ遅れて、ソーマは目を覚ますしぐさで首を振った。 「いかんいかん。なにを考えているんだ私は。そもそも彼女は生徒で、私は教師だぞ?」  教材の一式をひったくるように掴み、ソーマもいそいそと面談室をあとにした。
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