第三話「通過」

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 放課後の帰り道……  街の交差点で、信号待ちをするのはセラだった。手にした食品スーパーのチラシを、真剣な顔つきですみずみまでチェックしている。 「お、きょうはお魚と野菜が安いね」  耳にひっかけたペンをとり、セラはチラシに印をした。今夜の献立を脳内会議にかける。 「きょうは煮物におひたし、炊き込みご飯にしよう」  セラの携帯電話が、かすかに震えたのはそのときだった。 「父さんからのメールだ。なになに、きょうは遅くなるから晩御飯はいらない? 会社の飲み会、だと? マジかァ~」  鼻と口でペンを挟んで器用に支えると、セラは不服そうにつぶやいた。 「晩御飯を必死に考えたぼくの創作意欲、どこにぶつければいいんだよ? 年頃の娘を週に何回も家にひとりぼっちにして、罪悪感や心配はないのかい?」  ぷんすかしながらも、セラはメールに〝了解〟の旨を返信した。 「まあ普段からお仕事頑張ってるしね。会社のお付き合いなら仕方ない、か……そうだ」  青信号を渡りながら、セラはいたずらっぽい笑みを浮かべた。建物の裏路地に寄って立ち止まり、携帯電話のチャットアプリを開く。 「放置されっぱなしで、ぼくが大人しくしていると思ったら大間違いだ。男のひとの家に上がり込んで、ちょっと困らせてやる」  REIN(レイン)アドレスを交換したばかりの相手に、セラは文章を送った。 「倉糸(くらいと)先生、セラです。先生は、晩御飯はなにを食べてるんですか?」  質問にはじきに既読マークがつき、答えは返ってきた。 〈弁当かカップラーメンだ〉 「お酒は飲むんですか?」 〈平日は一日に二缶ていどだな。セラ、任務に関係のない質問はひかえてくれるかね?〉 「結果使い(エフェクター)の味方の健康状態を知るのも、りっぱな任務です。そうですか、出来合いのお弁当に麺類、お酒。典型的な独身者のメニューですね。先生の家に、包丁とコンロはありますか?」 〈なぜ聞く? 一応ある。使ってはいないが〉 「決まりですね。ぼくが晩御飯を作りに行きましょう」  既読になったチャットルームの一瞬の沈黙からは、複雑な感情が読み取れた。 〈料理ができるのか、きみは。だめだ。生徒なうえに未成年の女子が、私のような不精な男の家に来るのは道徳的に問題がある〉 「父親にはきちんと許可をとります。勉強のわからないところを教えてもらう名分で。大丈夫、行き先は教師(せんせい)のお家なんですから。そんな栄養のかたよった食事じゃ、いざというときに呪力が発揮できませんよ。実際〝食べ残し〟や組織(ファイア)に関して、もっとくわしく聞きたいこともありますし」  セラが組織に関心を示したことは、とくに決定打になったらしい。重々しくソーマは返事した。 〈私の部屋はちらかっている。すこしだけ掃除の時間をくれ〉  ピンチで三振(ストライク)を奪った投手(ピッチャー)の動きで、セラは思いきりガッツポーズした。 「お掃除もお手伝いしますよ♪ じゃ、いったん学校に戻りますね♪」 〈遅くならないうちに帰るんだぞ〉  制服のポケットに携帯をしまうと、セラはもと来た道にうきうきと爪先を返した。 「お買い物は先にする? いやそれとも、あこがれのソーマといっしょに……」  路地の暗がりで、ゴミ袋の山が弾けたのは次の瞬間だった。  跳び上がったセラも、思わず身構えている。 「!?」  見よ。人がひとり、ゴミ捨て場に倒れているではないか。  苦しげに息を荒げるのは、まだあどけない少年だった。年齢はセラと同じか、もっと下か。なによりセラの目をひいたのは、少年の衣服のそこかしこが裂け、青白い素肌が血を流している部分だ。  おっかなびっくり、セラは少年に駆け寄った。 「だ、大丈夫!? きみ!?」  警戒感丸出しの少年の眼差しは、セラへあがった。よくよく見れば、血の気を失ってなお、少年の顔立ちは天使のように愛くるしい。そんな彼の第一声はこうだ。 「〝輝く追跡者(ヴェディオヴィス)〟か……」  はかない風の葉擦れに似た美声(ボーイソプラノ)を聞き、セラは首をかしげた。 「なぜそのことを? いや、それよりその声……どこかで聞いたことが?」  思い出をたどって難しい顔をするセラへ、少年は続けた。 「ホーリーに〝魔性の海月(ヴーゾンファ)〟、さらには組織(ファイア)にまで攻撃され、行き着いた先には井踊静良(いおどせら)がいる。我にはことごとく凶運が味方しているようだな。さあ、殺るなら早く殺れ。星の記憶の天才結果使い(エフェクター)に始末されるなら本望だ」  いぶかしげに、セラはたずねた。 「きみ、何者?」  血まみれの脇腹をおさえて壁にもたれながら、少年は名乗った。 「我はヒュプノス。過ぎ去りし時間に魅せられた〝眠れる覚醒〟だ」 「ひゅ、ヒュプノスだって!?」  たまらず目をむき、セラは問い詰めた。 「じゃあきみが、メグルの結果呪(エフェクト)を覚醒させた張本人?」 「そのとおりだ。憎かろう? 恨めしかろう? さっさとトドメをさすがいい」  ふたりの会話をさえぎったのは、複数人の走る音だった。  あれよあれよの間に、セラの前には切れ味鋭いスーツ姿の男女が現れている。  集団のうち、ひとりだけ若い人物はセラを見落とさなかった。その少年が身にまとうのはセラの同校、なんと美須賀(みすか)大付属の制服と思われる。  冷ややかな視線で、少年はセラへ問いかけた。 「ねえちゃん。いまここに、へんなやつが通りかからなかったか?」 「いや、あの、えェっと……」  その剣呑さに圧倒されるがままのセラへ、少年もやや業を煮やしたらしい。かたわらの石塀に手をついてセラの進路を邪魔しながら、少年は指だけで貧乏ゆすりしている。  おずおずと街中を指さし、セラは答えた。 「それなら、あっちに行きました」  帰宅ラッシュの人海をにらみ、少年は舌打ちした。 「くそ、人混みにまぎれたか。だがあのケガなら目立つはず」  そっぽを向いた少年は、左手首を飾る銀色の腕時計に唇を近づけた。なぜだろう。それは、知り合いの英語教師が着けているものと同じようにセラには見えた。セラからは隠す形で、少年は時計に報告している。 「ヒデトだ。ミコ、パーテ、エリー。〝ジュズ〟は街に入った。追うぞ」  猟犬めいた人影たちは、すみやかにセラの前を駆け抜けて消えていった。  やがて、静かになった路地裏で、ため息をついたのはセラだ。 「もういいよ、〝輝く追跡者(ヴェディオヴィス)〟」  ヒデトという彼がついさっきまで触れていた石塀は、端から崩れ落ちて霧散した。  身を隠す呪力の壁は消え、地面にへたり込んでいたのはヒュプノスだ。肩を貸したヒュプノスの体を、セラは起こした。起こしながら、腕にくる反動に歯をくいしばる。 「うわ、重っ……見た目と違って着痩せするタイプなの、ヒュプノス?」  追手と反対方向に運ばれながら、ヒュプノスは奇っ怪な面持ちをした。 「なぜ我を助ける、結果使い(エフェクター)輝く追跡者(ヴェディオヴィス)井踊静良(いおどせら)?」 「セラでいいよ、長ったらしいんで。理由はどうあれ、困ったひとは見捨てられないタチなんだ、ぼく」  二人三脚でその場を離れながら、セラは暗い声音で告げた。 「聞かせてくれるね、くわしいこと?」
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