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校内の保健室で、白衣の看護師……片野透子はデスクから飛び上がった。
セラに支えられ、ぼろぼろのメグルが入室してきたのだ。
勢いに回転する事務イスを背後において、トウコはうろたえた。
「せ、セラちゃん!?」
ちいさく舌をだし、セラはウィンクしてみせた。
「先生、またお願い」
「なになに、彼、戦場でもくぐり抜けてきたの?」
よくわからないうちに患者用のイスに座らされ、メグルはトウコの診察を受けた。
ペンライトでスグルの瞳孔を右、左と調べる。心配げにトウコはたずねた。
「吐き気はない? じぶんの名前は言える?」
「二合です。二合恵留……」
「わかった。二合くん、シャツを脱いで。肋骨の具合が気になるわ」
半裸になったメグルに気を利かせ、セラは廊下のほうを向いた。メグルの胴体に聴診器をあてつつ、セラに質問したのはトウコだ。
「ただのケンカじゃなさそうね。相手がいない。なにがあったの?」
「ぼくの口から説明してもいいかな、二合くん?」
女子なのに一人称が〝ぼく〟のセラへ、メグルは首を振った。うらめしげな顔つきで打ち明ける。
「シンゴのグループにやられたんです」
「シンゴ?」
聞き返したトウコへ、セラは補足した。
「学校でも有名な不良グループのことだよ。なんでも、ついさいきんリーダー格が変わったとか。力を知らしめたいのか、ずいぶんはでに暴れまわってる」
手足の関節の動作確認をされながら、メグルは鼻で笑い飛ばした。
「小物の集まりだ、あんなのは。〝ガンを飛ばした〟〝道をゆずらなかった〟うんぬんで因縁をふっかけられたんで、無視してやったのさ」
「それでそのざま、と」
肩をすくめて、セラは指摘した。
「あんな目に遭うのなら、道ぐらいゆずってやればいいじゃないか」
「ゆずったよ。それでもあいつらは納得せずに絡んできた。あれいじょう廊下を横に寄ったら、壁にめり込んじまう。どのみち俺は、目をつけられていたのさ」
聴診器を首におろし、トウコはささやいた。
「不幸中のさいわいね。骨折や内臓のダメージはなさそうだわ。セラちゃんに感謝よ。顔や手足のすり傷は消毒して絆創膏を貼っとくから、帰ったらかならず病院に行くように」
「はい、ありがとうございます」
衣服のボタンをとめながら、トウコに、そしてセラにメグルは順番に頭を下げた。
「ありがとな、井踊さん」
「堅苦しいのでセラでいいよ、メグル」
「わかった。ところで」
上着を羽織りつつ、メグルはセラを遠慮がちにながめた。
「さっきのあの投石……小柄なわりにいい肩してるな、セラ?」
「目のつけどころが鋭いね」
やや決まりが悪そうに、セラは否定した。
「石はぼくが投げたんじゃない。先生がきた、と叫んだのはぼくだけど」
「仲間がいるのか?」
「ま、そんなところさ」
それが始まったのは遠い昔すぎて、セラ自身はもう不思議ともなんとも思っていない。
セラはそれを〝お星さま〟と名付けていた。セラが強い思いをこめて願えば、姿の見えないその透明なだれかは、狙った相手に石を投げつけてくれる。言ったら気味悪がられるので、だれにも内緒だ。
スカートからのびる大人の脚線美を組み変えながら、トウコは感慨深げに溜息をついた。
「セラちゃんはね、正義の味方なの。こんなふうに困って傷ついた生徒をここに担ぎ込んだのは、二合くん、きみが初めてじゃない。毎度毎度、セラちゃんの行動力と思いやりには感心させられるわ」
「やめてよ、先生。ぼくはただ、平和を乱す悪いやつに石を投げつけてるだけさ」
首をかしげて、メグルは聞き直した。
「やっぱりセラが投げたんだな、石?」
「いや、それは言葉のあやというものでね」
意見の食い違うふたりへ、助け舟をだしたのはトウコだった。
「今回の件は、あたしからきちんと学校側へ報告しとくわ。だからまずは二合くん」
「はい」
「可能なかぎり例の不良グループには近づかないように。なにか嫌がらせを受けてもいちいち反応せず、黙ってその場はやり過ごして、あとで担任に相談なさい。でないと身も心ももたないわ」
悔しげに唇をかみながら、メグルはうなずいた。
「わかりました」
「それからセラちゃん」
「なんだい?」
あっけらかんと答えたセラへ、トウコは困り顔で説教した。
「繰り返すけど、お願いだからじぶんひとりで危険に飛び込まないで。あなたは非力な女の子なのよ。いじめを阻止するのは先生の仕事だわ」
不満げに、セラは唇をとがらせた。
「いままさに生徒が困ってる瞬間に、先生は来てくれないじゃないか」
「先生も万能の神様じゃないのよ。そこで頼りになるのが、あななたち生徒の目と声。毎回言ってることだけど、なにかあったらまずは先生に一報して」
腰のうしろで手を組み、セラはしかめっ面で返事した。
「は~い」
セラはメグルに申し出た。
「家まで送っていくよ、メグル」
動揺をうかべて、メグルは顔の前で手を振った。
「いやそんな、いいって。女子にエスコートされるなんて、じぶんが情けなくなる」
「安心して。裏山でもうじゅうぶん、情けない姿は見せてもらったよ。それにここで別れては、不良対策で用意した石ころが無駄になる」
頭痛でもするように眉間をおさえ、注意したのはトウコだった。
「ちゃんとあたしの話を聞いてた? セラちゃん?」
「ぼくが先生を無視するわけないじゃないか。石ころ集めはただの個人的な趣味さ」
のうのうと言い放つセラだが、制服やカバンの中に石塊を潜ませているようにはとても見えない。
座った眼差しでメグルを見据えながら、セラは結論を急いだ。
「どうしてもぼくが邪魔なら、はっきり言ってくれ」
「わ、わかったよ。ついてくるなら、好きにしろ」
不思議なささやきが、メグルの耳に忍び込んだのはそのときだった。
〈目覚めよ……〝墳丘の松明〟〉
「え?」
背筋をのばして、メグルは目をぱちくりさせた。
聞こえたのは、セラやトウコのそれではない。保健室を見回しながら、メグルは問うた。
「先生? さきにだれか休んでたのか?」
メグルと同じ方向を眺めながら、トウコは疑問符を浮かべた。
「いえ? ここにいるのは、あたしとあなたたちだけよ?」
「なにか変な声が聞こえなかったかな?」
メグルの肩に手をおき、セラはいたましげな面持ちで告げた。
「幻聴はまずいよ。これは自宅ではなく、病院まで付き添おう」
「ひとりで行けるって。なんかの聞き間違いだ。帰ろうぜ」
ややこしくなるばかりなので、メグルはひとまず無視を決め込むことにした。だが保健室をでても、謎の声はまだつきまとってくる。
〈覚醒せよ……結果使い、二合恵留。結果呪〝墳丘の松明〟に〉
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