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今夜は保健室に、看護師の片野透子はいなかった。
もう仕事を切り上げて帰ったのだろう。
手近なベッドに、セラはヒュプノスを寝かせた。救急ボックスを持って戻る。
「ごめんね、ちょっと服をまくるよ」
ヒュプノスの衣服をずらし、セラはぽかんとなった。
蠱惑的なその痩身に走っていたはずの深い傷は、すでに映像を逆再生するかのように塞がりつつある。顔や、その他の負傷も同じだ。
「これは……」
とまどうセラへ、ヒュプノスは答えた。
「ナノマシン〝疑似水呪〟の治癒能力だ」
「なんだかよくわからないけど、すごい。大怪我をしてると思ったのは、ぼくの取り越し苦労だったらしいね」
「そんなことはない」
ずたずたになった着衣を、ヒュプノスはサンプルの学生服に着替えていった。無人の購買所から、セラがこっそり拝借してきたものだ。
「おまえがあの場で組織からかばってくれなければ、我は確実に破壊されていただろう」
「組織? 組織の構成員なの、あのひとたち?」
「ああ。おまえが時間をかせいでくれたおかげで、機体を自己修復することができた。未来を代表して礼をいう」
「そんな大げさな。ぼくはなにもしてないよ」
「そういった現代人の好意に触れ、なおさら我は思う。やはりこの世界へのホーリーの侵略は阻止すべきだと。人々や自然を守るべきだと。さしあたって、我はまずなにをしたらいい?」
救急箱をおいてイスに腰掛けると、セラは頭をひねった。
「とりあえず、最初は殺人犯の情報収集だね。ところでヒュプノス、きみは機械? それとも異星人?」
「想像の中間ていどと考えればいい。我らジュズは人間でなければ、人型自律兵器とも強化人間ともちがう」
「へえ~」
物珍しげに、セラはヒュプノスをながめた。こうしてありふれた制服を着せても、その容姿はなお見目麗しい。
「ジュズっていうのは、お腹はすく?」
「すく。我らの食餌サイクルは、おまえたち生物とさして変わらない。おまえたちの栄養摂取能力は、宇宙全体を見渡してももっとも効率的なシステムのひとつだ」
「いまはすいてる? お腹?」
じぶんの薄い腹部を、ヒュプノスはさすった。
「そういえば、すいているかもしれん。現代に来てからほとんどなにも口にしていないな」
「ふだんはなに食べてるの?」
なぜかヒュプノスは顔をしかめた。
「とても言えない。食べるというよりは、仲間と同じようにむりやり摂取させられていた」
「とんでもないね。ガチョウやアヒルのフォアグラじゃあるまいし。好き嫌いはある?」
「しいていえば、野菜が好みだ」
「ちょうどいい。お食事にご招待するよ。ちょっと待ってね」
引き抜いた携帯電話から、セラはどこかへ連絡をとった。
電話の着信音は、保健室のすぐ前で鳴ったではないか。
ヒュプノスが動くのは突然だった。
「ナノマシン弾倉変更! プロトコル(A)〝疑似地呪〟!」
ヒュプノスの言葉と同時に、いきなり床へ亀裂が走った。たちまち盛り上がった地面は、瞬間的に土の壁を形成している。その呪力の盾が防いだのは、鋭い刃の軌跡だ。
「なに!?」
騒々しく席を立つや、セラは見た。
積み木のように切り裂かれた扉のむこう、鳴動する電話を片手にたたずむ長身の人影を。
木っ端微塵になって舞い散る破片を縫い、セラは慄然と襲撃者の正体を呼んだ。
「そんな、どうしてあなたが……どうして!? 先生!?」
倉糸壮馬……
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