第四話「祈願」

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 美樽(びたる)山は、赤務(あかむ)市から電車で数駅先にあった。  山中はうっそうとした自然に覆われ、夏場のある短期間だけ、美しいホタルの舞い踊る水辺があることは知る人ぞ知る。山に巻き付く道路(スカイライン)から望める街の夜景も、デートスポットとしてはちょうどいい。  と、ここまでは美樽(びたる)山の表の顔だ。  一般人にわかるわけもないだろう。まさかここに、山頂から地下までを丸ごとくり抜いた巨大な研究所が隠されていることを。その超科学の極秘施設を所有するのは、闇の政府組織……特殊情報捜査執行局(Feature Intelligence Research Enforcement)Fire(ファイア)〟にほかならない。  組織(ファイア)日本支部の役割は多岐にわたる。呪力と機械と人の皮でできたあんなアンドロイドのサポート、外宇宙から地球に紛れ込んだあんな〝星々のもの〟の調査、異世界そのものに〝着替える〟あんな魔法少女の養成、そして……  研究所の奥底、とある訓練室では。 「〝輝く追跡者(ヴェディオヴィス)〟!」 「遅い」  虚空から燃え盛って飛来した結果呪(エフェクト)の隕石は〝竜巻の断層(トルネンブラ)〟の幻影の刃になんなく迎撃された。セラが指差したはずの場所から標的はかき消え、気づいたときには、ソーマの手刀はぴたりと彼女の首筋にあてられている。  糸が切れたように、体操服姿のセラはその場に片膝をついた。ぜいぜい呼吸を荒らしながら、かすれた声でつぶやく。 「ま、参りました……」 「降参を口にできる相手でよかったな。もしここにいるのが殺人鬼なら、きみの命乞いは半身ごと食いちぎられていた」  厳しい口調で叱責するソーマは、スーツの上着を脱いでワイシャツの袖をまくりあげただけの格好だ。こちらは汗ひとつかかず、息遣いを乱す様子も毛ほどもない。さすがは修羅場慣れした一流のハンターといえる。  くいとメガネをただしつつ、ソーマは無表情に問うた。 「いまのきみに足りないものはわかるかね? セラ?」 「体力と根性、とかですか?」 「あきれたものだな。不正解。きみに必要なのは〝フットワーク〟だ」  両足で軽快に床へタップを刻んでみせながら、ソーマはネクタイを揺らして続けた。 「ただ念じて結果呪(エフェクト)だけを撃つ能力者は、動けぬ固定砲台に等しい」 「はい……お尻が重たくてすいません」 「あほうが、体重うんぬんの話ではない。機動力のある戦車になれと言っているんだ。戦艦になれ。戦闘機になれ。でなければ決して、敵には勝てん。いまのままでは、きみは高速の肉食魚にたやすく餌にされるだけだ。わかったら、きょうは尻尾を巻いて帰れ」 「いえ!」  顔をふいたタオルを横に投げると、セラは跳ね起きた。 「お願いします! もういちど!」 「よかろう。だが、模擬戦の安売りはしない。まずはその、なまりきった基礎体力から鍛え直す必要がある」 「はい!」  気丈なセラの返事に、その第三の人物は感心した声を発した。 「頑張るねえ、彼女。素人(トーシロ)のガキのころの俺も、あんなふうにビシバシしごかれたもんさ」  耐爆・耐呪力等あらゆるコーティングの張り巡らされた広い訓練室を、強化ガラス越しに遠目にする人影があった。ほほえましげなその視線の先では、セラは容赦ないジョギングに訓練を移している。  制服姿の男子高校生……褪奈英人(あせなひでと)は背後の仲間にたずねた。 「ここさいきん研究所に通い詰めじゃん、彼女。井踊静良(いおどせら)、だっけ? 大丈夫なのかい?」 「初々しいではないか。ピクセル単位で見えるぞ、とびちる熱い青春の汗が」  野太い答えに、ヒデトは眉をひそめた。  同じ見学室、腕組みして仁王立ちするのは筋骨隆々の大男だ。屈強な肉体にまとった黒い背広は、その圧に張りつめていまにも弾けかねない。そんな男臭さ満点の巨漢が、なまあたたかい感想を発する。思わずヒデトは、苦言を呈した。 「あんたが言うと怖いよ、パーテ。あいかわらずの変態おやじだな?」 「失礼な。言うなればこれは、子の成長を見守る親の視点だ。学校終わりの放課後に体操部に通い始めたと、セラちゃんは保護者に説明してるそうだ」 「ま、ウソはついちゃいねえわな。しかもそのトレーニング内容ときたら、世間一般の百倍はキツいぜ?」  ソーマに訓練室端のジムに連れていかれ、セラは鉄棒で必死に懸垂している。それをまじまじと直視するヒデトを、パーテはお返しとばかりに非難した。 「ヒデト、おまえこそセラちゃんに気移りしてるんじゃないだろうな? 俺のかわいい妹をほったらかしにして?」 「ばか言うな。セラのことは、ソーマが個人授業(マンツーマン)で徹底的に面倒を見るんだとよ」 「ほう、効率主義のあいつにしては珍しい。結果使い(エフェクター)の特訓には結果使い(エフェクター)が適任ということか。甘えた雰囲気は一切ないが、どうりであのふたり」  腹筋運動するセラとその脚を支えるソーマをながめ、パーテは感嘆した。 「どこかこう、息の合ったお似合いさんに見えるわけだ。ここだけの話、あれだ。ソーマは週に何度か、セラちゃんにメシを作ってもらってるらしい」 「うっそ?」  目を丸くして、聞き直したのはヒデトだった。 「師弟関係だけじゃなく、ほんとにデキてんのかよ、あいつら?」 「さて、な?」 「いろいろとマズかぁないか? 彼女のほうは俺と同いぐらいの未成年だろ? おまけにソーマとは、リアルでも生徒と教師っちゅう立場柄だぜ?」 「生真面目なソーマのことだ。超えちゃならん一線はきちんと守る、はず。しばらくの年月が経って、社会的に許されるときまでは」 「そういえば?」  苦悶の表情で腕立て伏せするセラの手首を一瞥し、ヒデトはいぶかった。〝黒の手(ミイヴルス)〟ヒデト、〝妖術師の牙(ソウトゥース)〟パーテ、そして〝竜巻の断層(トルネンブラ)〟ソーマという少なくとも三名の捜査官(エージェント)を拘束する銀色の腕時計を、セラはまだ組織に着けられていない。 「猟犬の首輪がねえ。能力者だが彼女まだ、正式には組織に入ってないんだな?」 「親友の仇を討ち取るまでの一時的な協力、とセラちゃん自身は言ってる。今後こころよく組織に加わってくれるかどうかは、ソーマの口説き方しだいだ。もしそれでだめなら……」  やや悪どい笑みを浮かべ、パーテは告げた。 「こんどこそ俺かおまえ、どっちかで勧誘(アタック)だ」 「だろうな……おッ!?」  咄嗟にヒデトが警戒態勢をとったのは、ときならぬ轟音が見学室を震わせたためだった。  見れば訓練室の一部に生じたクレーターは、まだ真っ赤なかげろうを昇らせている。すばやく飛び退いて隕石をかわしたソーマを狙い、油断なく身構えるのはセラだ。ふたたび命がけの演習に戻ったふたりを目の当たりにし、ヒデトは小さく口笛を吹いた。 「すっげえ呪力。あの不思議な隕石……日に日に威力とコントロールが良くなってきてる気がする。でもなんかの間違いで、特大のが降ってきたらヤバいんじゃねえの? ネイは行方不明なんだぜ?」 「それをふくめて力を制御する術を教えるのが、師匠のソーマの仕事だ。猛特訓の甲斐あって、セラちゃんの立ちふるまいも見違えるほどシャープになった。いま戦りあったらヒデト、おまえ勝てるか?」  しばし顎をもんで、ヒデトは考えた。 「近接戦闘ならまだしも、あの隕石に俺の逆召喚が効くかどうかだな。この短い期間でここまで仕上げるとは、いったいどっから来てる? セラの熱意は?」  鬼教官じみたソーマのかけ声に合わせ、セラはこんどはサンドバッグを強く殴る蹴るしている。それを横目に、パーテは真剣な面持ちでうなった。 「追跡対象〝魔性の海月(ヴーゾンファ)〟に、彼女は並々ならぬ復讐心をいだいているそうだ。〝食べ残し〟の異名をもつ殺人鬼は、あのヒュプノスを苦もなく倒してのけている」 「マジかよ?」  発作的に、ヒデトの頬はひきつった。 「あの特別製(スペシャライズド)のジュズを? ヒュプノスは、俺たち日本チームが束になっても倒しきれなかったんだぜ?」 「ということは戦績からして〝食べ残し〟の実力はヒュプノスと同じかそれ以上だ。はたして俺やミコの剣、おまえやエリーの能力で太刀打ちできるかな。いまのところ組織の上層部は、この厄介な難敵に対処できるのは、結果呪(エフェクト)固有の旋律が読めるソーマとセラしかいないと判断してる」  強化ガラスに額をつけ、ヒデトは恐々と固唾をのんで祈った。 「頼んだぜ、結果使い(エフェクター)……」
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