第四話「祈願」

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 まっすぐたたずむトウコの周囲を、おびただしい数の背びれが泳ぎ始めた。  ゴミのように落とされたタバコとライターを、跳躍したサメの一匹がたちまち飲み込んでしまう。現実でも、この種属はなんでも食べることで有名だ。  意味深な輝きを瞳にたたえ、トウコは低い声で問うた。 「いつから疑っていた、あたしを?」  戦慄に喉を鳴らし、セラは答えた。 「目星をつけた相手は、べつにあなただけじゃない。ああ、嘘だと言ってよ……悪い夢なら覚めてくれ」  くく、とトウコはよこしまな笑いを漏らした。 「あたしの夢見心地は、そう悪くはないがね。じきに覚ましてやろう。おまえが目覚める場所は、地獄だ。あたしのサメの煮えたぎった胃酸を経由して、な」 「……!」 「また上手に、あたしを罠にはめてくれたわね?」 「できればそのまま、石にぶつかって気絶していてほしかったよ。そしたら明日、あなたはただ自宅で平和に起床するだけだった。事前にぼくが準備した、大量のお酒の空き缶といっしょにね」 「そういうことか。教師の植木(うえき)春日(かすが)も共通して酔っ払い、なにかに頭を打ったとほざいていた。そろってふたりの記憶を失わせたのは、おまえの隕石だったのね。だがよく、学校内に犯人がいるとわかったな?」 「ニオイだよ」  ポケット灰皿をかかげ、セラは種を明かした。 「当然ぼくは、こんな百害あって一利なしなものは吸わない。わざとだれかに見つかるまでの演技も、ぜんぶ作戦のうちだ」 「あえてニオイを追わせたのか?」 「サメの性質をくわしく調べた」  かなしげにセラは語った。 「海流の具合にもよるけど、サメは数百メートルはなれた場所からも血や異物のニオイを嗅ぎつけることがあるそうだね。超人的なまでに鼻のきく殺人鬼は、きっと個々の呪力の違いすら嗅ぎ分けるとぼくは踏んだ。呪力とニオイ、いずれかを追ってきた人間を片っ端から〝輝く追跡者(ヴェディオヴィス)〟で試す。ひどく地道な作業だったよ」  ぶぜんと肩をすくめ、トウコは言葉を継いだ。 「そして見事に引き当てたというわけね、あたしを」  凄絶な呪力の水しぶきの向こう、セラは身振り手振りで訴えた。 「もうやめようよ、こんなことは」 「やめる、だと?」 「素直に自首してください、片野(かたの)先生」  おおげさに身をそり、トウコは高笑いに揺れた。 「あたしを裁いて罰する? 罪をつぐなわせる? この生ぬるい社会になど不可能だ、ばかばかしい。一生懸命にサメの生態を勉強したことだけは、生徒としてほめてやる。なら同じく知ってるな。泳ぐのをやめたらサメは死ぬ。眠りながらもサメは泳ぎ続け、片方の脳と瞳で果てしなく獲物を狙っているのだ。だからあたしも、人を食うのはやめられない」  こわばった顔つきのセラへ、トウコは歌うように続けた。 「それはあの日から定められた運命だ。ヒュプノスが、あたしと、あのお粗末な二合恵留(ふたあいめぐる)に囁きかけたときからの、な」  両手を強く握りしめ、セラは歯噛みした。 「メグルをあざけるのか。あなた自身が食べておいて!」 「ふふ、そうカッカするな。下らないやつだったが、呪力が無難に美味かったことだけはかろうじての救いだ。そういえば、食ったヒュプノスの記憶の断片を見たぞ。それはそれは、なかなかに刺激的な内容だった」 「記憶……そんな能力まで?」  弦月を描いて曲がったトウコの唇から、まがまがしい犬歯がのぞいた。 「すでにヒュプノスから聞いたろうが、この世界はじきに滅ぶ。地球と異世界と〝星々のもの〟とやらが起こす未来の戦争によってな」 「!」 「だが運命に選ばれたあたしは、きたるべき崩壊を事前に知った。知ったからには、あたしはあらがう。戦って生き残る。この唯一無二の〝魔性の海月(ヴーゾンファ)〟の結果呪(エフェクト)を利用し、食って食って食いまくって限界まで力をたくわえる。たちはだかる敵と獲物をことごとく仕留めたあかつきには、あたしは新世界の神として生態系の頂点に君臨するのだ」  陶酔した面持ちで、トウコは標的を指差した。  いったん地面に潜って消えたかと思いきや、複数の巨大な魚影はあっという間にセラを取り囲んでいる。徒手空拳のセラへ、トウコは悪意たっぷりにほくそ笑んだ。 「ありがたく吸収させてもらうぞ、その〝輝く追跡者(ヴェディオヴィス)〟の能力は。陳腐な隕石が到達するより早く、あたしの愛しいサメはおまえをバラバラに噛みちぎる。なんの後ろ盾もなくひとりっきりで〝食べ残し〟の逆鱗に触れたこと、胃袋で消化されながらせいぜい後悔するがいい」 「きさまこそ後悔しろ、セラの説得に耳を傾けなかったことを」  響き渡った第三の声は、凍えた刀身を思わせた。 「〝竜巻の断層(トルネンブラ)〟!」  鋭く降下した幻影の剣風は、肉食魚どもをまとめて薙ぎ払った。
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