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ガラスの透明にきらめく刃ごと高速回転し、人食いザメを切り裂いたのはソーマだ。
それぞれ時間差をおいて襲いかかったサメたちの前から、コマ落としのごとく英語教師の姿は蒸発した。幾重にもひらめく光の軌跡。はでな急ブレーキの擦過音を残してソーマがふたたび現れたときには、両断された背後の二匹は呪力の粒子と化して散っている。
勢いを殺さず、ソーマは地面に手刀を打ち込んだ。足下から猛スピードで浮上したサメを、雨あられと降り注いだ切っ先が串刺しにして息の根を止める。そのまま空中で素早く前転。切れ味抜群の踵落としを追って足から生えた結果呪の刀剣は、最後の魚体を二枚おろしに断ち割って消滅させた。
「五匹とも倒したか、あたしの可愛いサメを……それも一瞬にして」
いまいましげに舌打ちしたのはトウコだった。あれだけ群れていた肉食魚の気配はいまや全部失い、口惜しそうにうめく。
「よくここがわかったな、〝竜巻の断層〟倉糸壮馬?」
夜風にネクタイをはためかせながら、ソーマは無表情に答えた。
「百メートル離れた地点からセラを尾けるきさまを、私はさらに百メートル後方から追跡していた」
「釣りのエサだったのか、そこの小娘は。あたしは完璧に、美人局にやられたというわけだな。さて、これで二対一……」
文字どおり前と後ろから殺人鬼を挟み撃ちにするうち、乞うたのはセラだ。
「片野先生、これが最後の忠告だ。組織は決してあなたを許さず、逃がしはしないよ。どうか分別をもって悔い改めてください。メグルやヒュプノス、そして多くの無関係な人々を手にかけた罪を」
「忠告? 忠告と抜かしたのか。この小便臭い青二才が、なまいきな」
みるみる口が悪くなるトウコへ、追い打ちをかけたのはソーマだった。
「きさまは我々には勝てない。その能力は、これまでの戦いですでに分析済みだ。おとなしく投降しろ」
トウコの瞳が、妖しく輝いたのはそのときだった。
「これまでの、戦い?」
トウコの全身に泡立ったのは、邪悪な呪力の奔流だった。
「ならおまえらは、なにも知らないということね」
自信にあふれた台詞とともに、トウコはソーマを指し示した。
次の瞬間、轟音と同時に、スーツの胸は冗談のような血しぶきを吹いている。そのまま体内を大暴れして進み、ソーマの背中から勢いよく飛び出したものはなんだ?
地面を跳ねたのは、一匹のサメだった。
これの恐るべき点は、成魚のはずなのにそのサイズが銃弾のごとく小さいことだ。こんな奇怪な生物は、図鑑はおろか生物史のどこにも存在しない。
予想だにしない大ダメージに、ソーマは思わず片膝をついた。出血の激しい傷口をおさえながら、苦悶と疑問を赤いものとともに口から流す。
「こ、この能力は……?」
「そ、ソーマ!?」
悲鳴をあげつつ、セラは見た。
トウコのまわりに浮かぶ古めかしい〝火縄銃〟の数々を。いつかの学校の裏山で、結果呪によって形成されたそれはセラの記憶にも新しい。
その信じがたい現象を、セラは慄然と口にした。
「そ、そんな、ありえない……これは、これはメグルの〝墳丘の松明〟じゃないか!」
幻影の鉄砲に囲まれたまま、トウコは愉快そうに唇をつりあげた。
「そのとおりだ。〝魔性の海月〟は食った獲物の特徴の一部を再現することができる。普段以上の集中と呪力の消耗がいるから、これは最後の奥の手として取っておくはずだったが……まさかこんな雑魚相手に使うはめになるとはな」
数えきれない量の銃口は、動けぬソーマをいっせいに狙った。呪力の弾倉にミニチュア化されたサメの弾頭をつぎつぎと装填しながら、皮肉っぽく告げたのはトウコだ。
「甘かったな、〝竜巻の断層〟。ではその肉のお味は?」
「いけない!」
叫んで、セラは駆け出した。
「〝輝く追跡者〟!」
灼熱した隕石群は、橋の天井をうまくかわしながらトウコへ飛来した。隕石どうしがさながらビリヤードのごとく衝突しあい、その軌道を細かく修正したのだ。こんな精密でトリッキーなコントロール力は、ソーマとの猛特訓の前にはなかった。が……
「ナノマシン弾倉変更。プロトコル(A)〝疑似地呪〟」
呪われた言葉は、トウコがつむいだ。
合図とともに、頑丈な地面が意思をもったかのように起き上がる。コンクリートの広い壁が盾となり、隕石は立て続けにトウコの手前で爆散した。絶句したのはセラだ。
「こんどはヒュプノスの能力……!」
間髪入れず、トウコは呪文を連続した。
「プロトコル(C)〝疑似火呪〟、プロトコル(D)〝疑似風呪〟」
トウコの足もと、幻の波紋を割って跳躍したのはとんでもない物体だった。
何匹もの人食いザメが、風呪の突風をまとって空中を飛ぶ。おまけにその巨体は鎧のごとく硬い地呪の岩に覆われ、真っ赤な火呪の炎までまとっているではないか。
「おまえの隕石はすべて撃墜できる」
異次元の捕食者たちを周囲に遊ばせ、トウコは酔いしれた笑みをこぼした。
「ごらんのように、あたしの力は無敵かつ無限大だ。そのうえにお前らふたりの結果呪を吸収したら、いったいどんな素晴らしい進化を遂げるだろう?」
「…………」
当初の気迫を失い、セラの足は止まってしまった。重傷の影響で意識が薄れかかるソーマを、倒れる寸前で支える。
嬉しげに身をよじって眼前に迫るのは、輝く未知のサメどもだ。
絶望的だった。
その場にうずくまり、セラは出血多量のソーマに膝枕している。
ぼそり、とセラはつぶやいた。
「想定の範囲内だ」
「なにィ?」
耳を疑ったのはトウコだった。凶悪な形相のまま、あわれな獲物を焚きつける。
「命乞いにしてはやけに声が小さいな。もっといい声で歌え、震えろ、泣きわめけ」
「この空間は必ずしも、過去にこの位置にあったわけじゃない」
恐怖のあまり気でも触れたか?
不可思議なセラの独り言は続いた。
「地球は自転し、太陽のまわりを回っている。そもそも地球は、最初は宇宙に存在すらしていなかった。それを手繰り寄せるため、ぼくは死ぬ気でトレーニングしたんだ」
「はァ? なんの負け惜しみだ?」
呪力の炎は、セラから一気に立ちのぼった。
「隕石は、上から降るとは限らない! 〝輝く追跡者〟!」
地面から跳ね上がった流星は、トウコの土手っ腹をえぐって宙に浮かせた。そのあまりの主人への衝撃に、呪力で練ったサメたちも一匹残らず消える。
鮮血にのせて、トウコは驚愕のうなりを吐いた。
「まさか、こんな角度から……おまえは〝地球がこの位置になかった〟ときの結果まで再現できるというのか?」
「そう、これはまだ、ここが宇宙空間だったときの星の記憶さ」
闇を秘めた眼差しのまま、セラは空中のトウコを指差した。
「さよなら、先生。お願い、お星さま」
光の尾をひき、隕石の驟雨は超高速で〝食べ残し〟に撃ち込まれた。撃つ。
撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ。
身を翻したセラの背後で、ずたぼろのボロ雑巾になってトウコは美須賀川へ落ちた。
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