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美須賀川は、赤務市の北西から南東にかけて流れる一級河川だ。
対岸と対岸をむすぶ大きな道路橋の脚にあたる部分に、コンクリートに覆われたその空間はあった。天井にあたる道路は、たえまなく車の行き来する振動を響かせている。
都会のエアポケットと呼べるそこには、市の取り締まりが厳しいため不法居住者もいない。それでも時々、人目を盗んでは何者かがタバコや花火遊び等に興じていることは、足もとに散らばる残りかすと壁面への毒々しい落書きからわかる。
現在そこには、セラとメグル以外の気配はない。
ここまでの道中でメグルは、目についた空き缶を五つばかり拾っていた。
通学カバンを肩にかけたまま、うなずいたのはセラだ。
「いい心がけだね、ポイ捨てゴミの回収とは」
「驚くのはまだ早いぜ、セラ」
拾い集めた空き缶たちを、メグルはせっせと橋脚のでっぱりに並べていった。
横並びに五つ並べたそれらから、メグルは十メートルばかり離れた。やや緊張した面持ちでセラへうながす。
「耳をふさいで。大きな音がするから」
「こうかな?」
「そうそう」
両耳を手でふさいだセラの横で、メグルは不敵な笑みを浮かべた。
「俺はもう、ひとりで不良どもを倒せるぜ」
空き缶の的へ、メグルは慎重に視線で狙いを定めた。あの〝ヒュプノス〟とやらが言い残した能力名を叫ぶ。
「〝墳丘の松明〟!」
沈黙……
ひとつ咳払いして、メグルは仕切り直した。
「〝墳丘の松明〟!」
なにも起こらない。眼下で静かにせせらぐのは、海まで通じる広い水流だ。
標的めがけて、メグルはつぎつぎと構えを変えた。
「〝墳丘の松明〟! せい! でや!」
「そろそろいいかな?」
ついにセラまでもが、耳の栓を外してしまった。となりで指先を震わせるメグルへ、あわれみのこもった声で申し出る。
「的あてなら、べつに石ころを用意しようか?」
「なんで出ない!? きのうまではあんなに自由に出し入れできたのに!?」
「まあまあ、落ち着いて」
両手でメグルへトーンダウンをお願いしながら、セラは擁護した。
「ぼくはね、メグルが川の掃除をしてくれただけで満足だよ」
「そんなはずはない! くそ! 練習し直してくる!」
屈辱のあまり、視野が狭まったらしい。せっかく誘いに乗った女子をひとり置き去りにして、メグルはさっさと帰ってしまったではないか。
不気味なささやきが、残されたセラの鼓膜を打ったのはそのときだった。
〈呪力は、強い負の意思がないかぎりは発動しない。きのうきょう目覚めたばかりの彼では、結果呪をうまくコントロールすることは不可能だ。彼の心にいまあったのは〝安らぎ〟だけだった〉
ふつうの女子高生なら悲鳴をあげて逃げ出しているところだが、セラに動揺したようすはない。じつはあのときメグルを担ぎ込んだ保健室から、それはずっとセラにも聞こえていたのだ。
〈おまえはすでに、遠い昔に目覚めているな。星の記憶の結果使い・井踊静良。結果呪〝輝く追跡者〟よ〉
「結果使い、っていうんだね、この力」
説明こそつかないが、幼いころから慣れ親しんだ能力だ。じぶんが一般人とすこし異なるということは、うすうすながらに感じ取っていた。なので、いまさら幻聴のひとつやふたつが聞こえたところで不思議にも思わない。
逆にセラは、囁きかけるものに聞き返した。
「〝輝く追跡者〟……そういう名前なの? お星さまは?」
〈そうだ〉
闇そのものが凝り固まったような声で、それは答えた。
〈そしてそれは、他者が願いを叶えたものではない。おまえ自身の能力だ。さあ、試してみろ〉
ためらいがちに、セラは空き缶の的を指差した。いつものように〝悪者をやっつける〟気持ち……つまり強い敵意をこめてつぶやく。
「〝輝く追跡者〟」
かん高い音をたてて、空き缶たちはいっせいに弾け散った。
虚空から忽然と現れた石ころが、標的を正確に捉えたのだ。
〈そう、それこそが結果呪。いまはそのていどに収まってはいるが、おまえが心の底から世界を呪ったとき、その力は想像を絶する真価を発揮するだろう〉
どこへともなく、セラは問うた。
「何者なの、きみは?」
〈我はヒュプノス……事前に悪をあぶりだす〝眠れる覚醒〟だ〉
「悪、だって?」
メグルの立ち去った方角を見つめながら、セラは不安げに独白した。
「まさか、メグルにも同じような力が?」
ふとセラは我に返った。ひしゃげた空き缶のもとへ歩み寄る。
「せっかく掃除したんだから、また汚しちゃいけないね」
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