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昔 東京の片隅で 第5話
【１】
ご家庭で不要になりました、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、ラジカセ、自転車等はございませんか。無料にて、無料にて、引き取らせて頂きます。また、どんなことでも構いません。何か分からないことがあったら、お気軽に、係員までご相談ください。
まだ風が冷たい二月のある日、トミジがマイクでそんな声を流しながら軽トラックを運転していると、ひとりの年配女性が声をかけてきました。
「ちょっと、運転手さん。もうずいぶん前からあそこのゴミ置き場に、手提げ金庫が捨てられてあるのよ。邪魔だから持って行ってくれない」
「清掃局は届け出がないからって、持って行ってくれないのよ」
見るとゴミ置き場に、手提げ金庫が捨てられてあります。
ダイヤルを回してみましたが、金庫は開きません。
「誰が置いて行ったんですか」
トミジが訊くと、その年配女性は答えました。
「そんなの知らないわよ。たぶん中は空っぽだと思うんだけどね」
「とにかく邪魔だから、持って行ってちょうだい」
「無料なんでしょ」
トミジはその気迫に負けて、その手提げ金庫を軽トラックの荷台に載せました。そうしてトミジは再びマイクで不用品回収のテープを流しながら、住宅街をゆっくり巡回するのでした。
■
トミジは40代後半の男やもめです。そのトミジは不用品回収の仕事を終えると、亀有にある小料理屋『雪奈』でお酒を吞むのが唯一の楽しみでした。
その夜、トミジがいつものように『雪奈』でお酒を吞んだあと、ほろ酔いで家に帰ったときのことです。
何と昼間回収した不用品の置き場から、何やら物音がするではありませんか。
何だ。あの物音は。もしかして泥棒か。
そう思ったトミジはそっと不用品置き場に近寄り、中の様子をうかがいました。
物音はそれでも、断続的に続いています。耳に神経を集中させてよく聴いてみると、どうやらその音は、何かが揺れて、ほかの何かににぶつかっている音のようです。
トミジは勇気をふるって、いきなり照明のスイッチを入れました。
「誰だ。そこにいるのは」
トミジが大きな声を出すと、その音は一瞬やみました。でも、しばらくすると、今度は音がした場所から若い女性の声がするではありませんか。
「どこのどなたか存じませんが、わたしを助けてくれませんか」
「この金庫に閉じ込められてしまって、困っているんです」
トミジはその声のする方に目を移し、驚きました。
何とその声は、自分が回収した手提げ金庫の中から聴こえてきたのです。
■
ははぁ。これはたぶん、オモチャのドッキリ金庫だな。電池か何かでスイッチが入ると、振動したり、声を出したりするオモチャに違いない。
トミジはそう思って金庫を持ち上げ、スイッチを捜しました。しかしその金庫には、スイッチらしきものは見当たりません。トミジは今度は、その金庫を上下左右に揺さぶってみました。
すると中から、
「あれぇ、何するんですか。乱暴にしないでください。やめてください」という声がするではありませんか。
トミジは腰が抜けるほどびっくりして、金庫に話しかけました。
「この中に誰かいるのか。入っているのか」
すると金庫の中から、また若い女性の声がしました。
「わたしはハルネという名前です。季節の神さまに仕える女の子です」
「ある日、森でうたた寝していたら、突然木枯らし軍団がやってきて、わたしを金庫に閉じ込めたんです」
「何なんだい。その木枯らし軍団って」
トミジが訊ねると金庫の中から、ちょっと怒っているような声がしました。
「ショッカーみたいなやつらなんです。冬将軍の手下なんです」
「イー、イー、って変な声で叫びながら、動きまわるんです」
■
オレは酔っているのかも知れないな。これはたぶん、幻覚だろう。でも酔ったついでだ。面白そうなんで、このオモチャで遊んでみようかな。
トミジはそう思って、金庫の中の女の子に話しかけました。
「で、オレにどうしてほしいんだ」
「この金庫を開けてくれませんか。わたし今、大事な仕事があって、急いでいるんです」
「開けてやってもいいけど、オレ、この金庫の開け方知らないよ」
「バーナで焼き切っていいかい」
すると金庫の中の女の子は泣きそうな声で、
「そんなことされると、わたし死んでしまいます」。
「わたしがこれから魔法の番号を言いますから、その番号通りダイヤルを回してくれませんか」
「何だい。その魔法の番号って」
少し沈黙がありました。やがて金庫の中から、女の子の声がしました。
「わたしのご主人様が教えてくれた、魔法の番号です」
「その番号を唱えながら、その番号通りにダイヤルをまわすと、どんなにロックされているものだって、簡単に開けることがだきるんです」
やがて金庫の中で女の子が、10ケタの数字を唱えました。
トミジはその番号を復唱しながら、金庫のダイヤルを回します。
すると何ということでしょう。
小さな手提げ金庫はいとも簡単に、ロックが外れ、開錠してしまったのです。
トミジは恐る恐る金庫の蓋蓋に手をかけ、開けてみました。
するとその金庫の中から、小さな可愛らしい女の子が出てきたのです。
■
その女の子は、身長が15cmでしょうか。ピーターパンのような緑色の衣装をまとい、背中には半透明の羽根が生えてます。
うっ、ウソだろうとトミジは目を丸くして驚きました。
これは酒のせいだ。酒のせいでオレは、幻覚を見ているに違いない。
トミジはそう自分に言い聞かせ、気を取り直しそうとしました。
金庫から出てきた女の子は、
「わたしはハルネという名前で、季節の神さまの召使いです」と名乗ったあと、何度もトミジに、感謝の言葉を述べるのでした。
そのあとハルネは、今日は何月何日かとトミジに訊ねました。
トミジが今日の日付けを言うとハルネは急に慌てた顔になって、
「大変、大変。お仕事が間に合わなくなってしまう」と言い出しました。
トミジがあっけに取られていると、ハルネが言います。
「わたしは季節のかみさまの命令で、この国を冬から春に塗り替える仕事をしてるんです」
「その仕事が一段落したら戻ってきますから、お礼をさせてくださいね」
「あ、そうそう。おじさんの名前を教えてください」
トミジは自分の名前を教えました。するとハルネと名乗った女の子は笑顔を見せてトミジに手を振り、そして背中の羽根を動かして窓を開け、そのまま夜空に向かって、羽ばたいていってしまいました。
凍てついた冬の夜空。その夜空には大きな満月が、ぽっかりと浮かんでいます。
その満月を背景に小さなハルネは、やがて夜空に溶けこむように、消えて見えなくなってしまいました。
【２】
四月でした。あれから山や野や川のほとりには一斉に、チューリップ、タンポポ、菜の花などが咲くようになりました。そして突き刺さるようだった風もこの頃になると、穏やかに頬を撫でながら、街ゆく女性たちの髪を揺らしたりするのでした。
二月に沖縄の寒緋桜開花からスタートした桜前線は、今は青森県まで来ていました。やがてその桜前線は北海道まで北上し、五稜郭や天群山桜公園までをも、ソメイヨシノの淡いピンク色に染め上げようとするでしょう。
そして季節は間違いなく、初夏にバトンタッチするに違いないのです。
■
そんなニュースを小料理屋『雪奈』のテレビで見ていたトミジはふと、まだ寒かったあの日のことを思い出しました。
亀有の住宅街で押し付けられた手提げ金庫。その金庫の中から助けてあげた、ハルネという名前の季節の塗り替え屋さん。
あるからハルネは沖縄まで行き、順番に日本列島を春に塗り替えていったんだろうな。
トミジはそんなことを思いながら、徳利に入った熱燗を傾けました。
■
その日の小料理屋『雪奈』のお客は、トミジひとりでした。
小料理屋『雪奈』はお客が十人も入れば満席になるお店でしたが、それでも店内がトミジひとりだと、どことなく寂寥感が漂います。
カウンターの脇に吊るされたテレビではニュースのあと、旧家で発見された大型金庫を開錠する番組に変わってました。旧家で発見された、これまで誰も開けたことがない大型金庫。それをテレビで有名なカギ師がナマ放送で開錠しようというものです。
リポーターがその金庫にまつわる経緯をひと通り説明しました。そのあとカギ師がおもむろに金庫の前にしゃがみ、金庫の扉に耳を当てながら、ゆっくりダイヤルを回し始めます。
■
そのテレビ中継を見ながらトミジは二月のある日、ゴミ置き場から回収した手提げ金庫を思いました。その手提げ金庫には、ハルネという女の子が閉じ込められていたのです。ハルネはトミジに、金庫のロックを解除する魔法の番号を教えました。トミジがその教わった番号通りダイヤルを回すと、ハルネが閉じ込められていた金庫は、いとも簡単に開錠してしまったのでした。
■
今テレビでは、有名なカギ師が大型金庫の前で悪戦苦闘しています。旧家で発見された大型金庫は、なかなかロックが外れないのです。これでは放送時間内に開錠が間に合わなくなるかもしれません。
開くといいな、と思ったトミジは、テレビに映っているカギ師を応援してやりたくなりました。そうしてトミジはテレビに向かって、ハルネに教わった10ケタの数字を唱えました。
「〇、〇、〇、〇、〇、〇、〇、〇、〇、〇」
するとその直後、奇跡が起こりました。トミジが魔法の番号を声にしたとたん、古い大型金庫は静かな音とともにロックが外れ、開錠したのです。
テレビでは歓声が起こりました。スタジオにいたゲストは全員、惜しみない拍手を送り、カギ師を褒め讃えました。リポーターがカギ師にマイクを向け、その声を拾おうとします。
しかしテレビは残酷です。テレビはそこまで映すと、いきなりコマーシャルに入ってしまいました。
トミジは考えました。
これって偶然かな。またまた魔法の番号を唱えたとき、偶然ロックが解除されたのかな。それともほんとうに魔法の番号を唱えたおかげで、金庫が開いたのかな。
それを考えていたトミジに小料理屋『雪奈』の女将、雪奈さんが言いました。
「トミジさん。今夜はこれで看板にしましょう。もうお客さん、来そうにないから」
■
やがて『雪奈』の女将、雪奈さんは外に出て、暖簾と『雪奈』の名前が書かれてある電飾看板を下げて、店に戻ってきました。
「じゃあ、オレ。これで帰るから」
トミジがそう言うと雪奈さんは笑顔のままそれを制し、
「トミジさんはまだ、ここにいて下さいな」
「今夜は一緒に吞みたい気分なの」
「いいでしょ」。
それを訊いたトミジは、天にも昇る気持ちになりました。
言葉にしたり、態度で示したことはありませんでしたが、実はトミジは、この店の女将さん、雪奈さんが好きだったのです。
恋していたのです。
雪奈さんは早速自分用のお猪口を出してきてトミジの隣に座り、微笑みながら言いました。
「まずは一献」
■
トミジが雪奈さんとふたりきりでお酒を吞むのは、これが初めてでした。
雪奈さんは終始笑顔を向けたまま、トミジにお酌をしたりします。
店内には静かに、テレビの音声が流れています。そしてトミジには、至福の時間が流れています。
テレビを観ながら、たわいもない会話をして、料理に舌鼓を打って、ふたりがお酒に酔いしれた頃、ややあって雪奈さんが言いました。
「わたし、主人を亡くしてから、もう十年でしょう」
「その主人は今でも、夢の中にでてくるのよ」
トミジがうなずくと、雪奈さんは続けました。
「昨夜見た夢はね、主人と手をつないで、桜並木の水元公園を歩いているの」
「するとね。その主人がいつの間にか、トミジさんになっているの」
そして雪奈さんはいったん話を止めてから、ポツリと言いました。
「わたし、そのとき気づいたの。あ、わたし、トミジさんが好きなんだ」
「恋してるんだって」
雪奈さんはそのあとトミジの手を両手で引き寄せ、それを両手で包みました。
■
何いうことでしょう。トミジが密かに思いを寄せていた雪奈さんも実は、トミジに恋していたらしいのです。
これは奇跡と言っていいでしょう。旧家の古い大型金庫の開錠と同じくらい、これは奇跡に違いありません。
■
小料理屋『雪奈』の二階が、雪奈さんの住居でした。
トミジと雪奈さんはそのあと、二階の寝室で愛の時間を過ごしました。
トミジは思いました。密かに思いを寄せていた雪奈さん。その雪奈さんも実はオレを思っていてくれたなんて、こんな嬉しいことはない。夢だったら、覚めないでいてほしいな。永遠にそうであってほしいな。
そうしてトミジはかたわらで眠っている雪奈さんを、何度もそっと抱きしめるのでした。
■
その深夜。浅い眠りにいたトミジがふと目を覚ますと、雪奈さんの寝室のベランダから、何やら音が聴こえてきました。その音は人をはばかるような、遠慮勝ちなノックの音でした。
トミジはもしや、と思ってベッドから抜け出し、ベランダに近づきました。
そうしてトミジがベランダを調べると、そのベランダには、あの日助けてあげたハルヒが背中の羽根を動かしながら、宙に浮かんでいるではありませんか。そのハルネは今トミジに、微笑みながら手を振っているのです。
「ハルネ」
トミジは小さくその名前を呼びながら、静かにベランダのガラス戸を開け、外に出ました。
ハルネは懐かしそうな笑顔を浮かべて、
「トミジさん。お久しぶりです」
「季節を春に塗り替える仕事が青森まで終わったんで、お礼を言いたくて、こうして戻ってきたんです」と言いました。
トミジがゆっくり手のひらを差し出すとハルネは、そっとその上に載り、羽根を休めました。
「お礼なんかいいんだよ。それより季節を春に塗り替える仕事、うまくいって良かったじゃないか」
「もしもハルネがあのまんま金庫に閉じ込められていたら、永遠に春なんて来なかったかも知れないしな」
するとハルネは何度か頷きながら短い笑い声をあげ、目を細めながら言いました。
「ところでトミジさん。あのときの金庫を開けた魔法の番号、今でも覚えてますか」
「ああ、あのときの魔法の番号だろ。もちろん覚えているよ」
トミジが答えるとハルネは、嬉しそうに訊ねました。
「その魔法の番号、雪奈さんの前でつぶやきませんでしたか」
それを聴いてトミジは、「あっ」と短い声を上げました。
テレビで放送されていた大型金庫の開錠番組。なかなかロックが外れないので、トミジはその魔法の番号をテレビに向かってつぶやいたのです。
当然その番号は、雪奈さんの耳にも届いたはずなのです。
だから雪奈さんもその魔法の番号で心のロックが解除されたに違いないのです。だから雪奈さんはトミジに、愛の告白をしたのです。
■
すべてを理解したトミジは、嬉しそうにハルネに言いました。
「ハルネ。ありがとう。オレの思いがかなったのは、その魔法の番号のおかげだったんだな」
ハルネは、はしゃいだ声で笑いながら、何度も、うん、うん、とうなずくのでした。
■
やがてハルネは背中の羽根を動かしながら、宙に浮かびました。
「じゃあ、トミジさん。わたし、まだ北海道で春に塗り替える仕事が残ってるから、行くね」
「雪奈さんとは、いつまでも幸せにね」
ハルネはそう言ってからトミジに軽く手を振り、やがて夜空に吸い込まれていってしまいました。
ハルネは季節を塗り替える絵の具屋さんだなんて言ってたけど、ほんとうは恋の絵の具屋さんじゃないかのかなぁ。
トミジはハルネが消えて行った夜空を見上げながら、そう思いました。
なぜならハルネが教えてくれた魔法の番号は、
『５．１．８．５．５．２．８．７．３．９』という番号なのです。
その番号は言葉に直すと、
『恋は、ここに、花咲く』という意味になるから、なのです。
《了》
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