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先ほどエルサスがなぎ倒した倒木の山に背中をしたたかに打ち付けて、息が詰まる。全身の痛みに涙を流しながら、必死に回復魔法を背中に送り込んだ。
気づけばせっかく私が漂わせた霧は、一瞬にして文字通り雲散霧消していた。
元通りの姿を取り戻した森の中に、エルサスが穏やかな笑みを浮かべて立っている。
「一体何を……」
「教えてあげようか? さっきまでが風を線にして投げつけてたのだとすれば、今のは風を面にして押し付けてあげたんだよ。簡単に言うと風の壁……〈風壁〉だね。君が作り出した霧も、きれいさっぱり面で吹き飛ばさせて貰ったよ。さぁ、今度こそ投了だ。大人しく従って貰おうか」
私にはまだ体を動かす事ができない。彼も重々承知なのだろう。のんびりと優雅な足取りで近づいてくる。
「投了? 信じられない」
私は目いっぱい強がって、言い返した。
「私は降参しない。だって私が殺したんじゃないから。どうしても連れ帰りたいっていうのなら、殺してからにする事ね。私は絶対、あなたの言う事なんて聞かないわ」
べーと舌を出すと、エルサスは呆れたように首を竦めた。
「おやおや、君はもっとおしとやかで可愛らしい女の子だと思ってたのに。本性はずいぶんとじゃじゃ馬だったんだね」
「あなたの方こそ、もっと優しくて思いやりのある人だと思ってたわ。女の子みたいな顔してる癖に、がっかり」
「おかしいな。僕ほど優しさと思いやりに溢れる人間はいないはずだよ。大丈夫。もう痛い思いはさせない。望み通り、優しく連れ帰ってあげるからね」
「連れ帰るじゃないわよっ! 殺せって言ってんじゃない、このわからず屋!」
いつまでも柔和な笑みを浮かべるエルサスを、私は睨み返した。
「さっさと殺しなさいよ。あなたがやらないなら、今すぐ舌を噛み切って死んでやる」
すっと波がひくように、エルサスの顔から笑みが消えた。
「そうか。君はオリヴィエを殺した時点で、最初からそのつもりだったんだね。……まぁいい。確かに、刑吏に引き出して酷い目に遭うよりは、ここで一思いに果てさせてあげた方が優しいかもしれないね。魔法で人を殺めるなんて、できればやりたくなかったけど……君が望むなら、仕方ない」
そう言って氷のような表情で、右手を構え――
「今だから言うけど、僕は結構君の事、好きだったんだけどな。昨日初めて会った時、胸がドキッとして運命的な出会いを感じたんだ。もし違う形で出会えていたなら、君の言う通り、僕達は恋人同士になれていたかもしれないね。それじゃあ……さようなら」
意を決したように振り下ろす。至近距離から放たれる風の魔法〈かまいたち〉。
私はその時を待っていた。
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