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「え……」
エルサスの目が驚愕に見開かれる。
彼が〈かまいたち〉を放った瞬間、私の姿は忽然と消えていた。
〈かまいたち〉はただ大地のみを……正確にはその上に残された私の衣服と、突如現れた夥しい水たまりを切り裂いただけだった。
私は瞬間的に自らの肉体を〈液化〉させたのだ。
桶の水をひっくり返したように、液状化した私は彼の足元に広がり――次の瞬間には、彼の背後で元の姿を取り戻していた。
「投了。今度こそ終わり。あなたの負けよ」
白銀の髪に覆い隠された、男性にしては細い首に両手を添える。
もしここで私が〈水鉄砲〉を放てば、彼は一瞬にして命を失うだろう。
エルサスの全身が、わなわなと震えた。
「く、くそ……自らが水になるなんて。これが水の魔法の力……」
これは『恋乙』のゲームにおいても登場する私の得意魔法だ。
海水浴の最中、私は〈液化〉して海に溶けて隠れるという魔法を披露し、男性陣を楽しませるのだが――仕組みに気付いたオリヴィエが〈液化〉中にこっそり水着を隠してしまい、裸のまま海から上がれなくなってしまうというイベントが存在するのである。
私もまさか、こんな場面で使う羽目になるとは思いもしなかったが。
「オリヴィエに続き、僕もこんなところで……せっかく宮廷魔術師としてこれからという時に、不甲斐ない……」
死を覚悟したように、エルサスの全身に緊張が走った。
「あなたに一つ、お願いがあるわ」
「お願い? 好きにしたらいいよ。僕にはもう完全に打つ手なしだ」
「ちょっと目を瞑っていてくれる?」
「目を……」
「服を着たいのよ。もっとも、まだ着られるかしら? もし駄目なら、あなたの着ている服を一枚分けてくれる?」
私は左手で彼の目を覆いつつ、右手を伸ばし、地面に転がった衣服を手繰り寄せた。
一旦〈液化〉すれば、服が脱げて素っ裸になってしまうというのが最大の欠点だった。つまり私は、生まれたままの姿でエルサスの背後に立っていたのである。
〈かまいたち〉に切り裂かれ、ズボンはハーフパンツみたいな丈になってしまったし、上着も右腕がほぼ千切れてしまったものの、着るには問題なさそうだ。彼が律儀に目を閉じたままなのを確認して、いそいそと身に着ける。
「シャール、君は、どうして……」
「言ったでしょう? 私はあなた達を殺そうとなんてしていないって。これで信じて貰える? 私は今、あなたを殺す気なら殺す事ができた。でも、しなかった。この大チャンスを棒に振ったのよ。いい加減信じて欲しいわ。……ああ、ありがとう。もう目を開けても大丈夫よ」
開いたエルサスの目の中に、戸惑いが浮かぶ。
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