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肉塊に適量の塩と胡椒を塗しオーブンへ放り込んだところで豪快に玄関の開く音が響き、それと同時に彼女の帰宅を告げる賑やかしい声がした。玄関で今日一日分の埃を払っている最中、彼女は肉に火が入っていく過程独特の生々しい香りを感じたのだろう、
「あー! 今日、肉? ねえ肉? 肉だよねえ!」
「うんそう、肉ー。半分腐ってたけどね、まあ食べられるとは思うよ。死にはしないかなー」
「やったあ! 腐ってても、イッちゃってても肉は肉! 最高だ……今日も頑張ってきてよかったあ……」
「あはは、ローズマリーの香りも移してあるよ。ボク宇宙一偉いでしょ」
「あーもう……私はお前がいなければ生きていけないよ……」
「ふふ、もっと言って」
「愛してるよ、ダーリン!」
「残念でした。ボクは愛してないよ?」
「それでもいい、肉が食べられるのならば!」
「わはは、飯炊きとして扱われている気がする」
彼女は全身で「嬉しい」を表現しながら飛び跳ねるように洗面所へ移動すると、手のひらに何度も石鹸を擦りつけて丁寧に洗い始める。清潔を好むことは立派だが、石鹸代も馬鹿にならないので正直あれほどまでに大量の泡を使い洗浄する癖はそろそろ卒業してほしい。けれど僕は、彼女が外で金を稼いでこなければ、石鹸を買う金に頭を悩ませることすらできないのだ。
金がなければ家には住めない。家に住めなければ外に住むしかない。それすら無理なら僕たちは死ぬしかない。生きるとはいつもそういう、シンプルな形をしている。
彼女が外で金を稼ぐ役割を担うまで、僕が彼女の役割を担当していて、そして彼女は何もしていなかった。いや、何もしていなかったというには語弊がある。だってそれまでの彼女は何もさせてもらえない生き物だった。
僕に出会うまでの彼女は、勿論人間だったけれど、しかし手放しで人間であるとはどうしても言い切れなかったように思う。たとえば『黒目がちな真っ白い猫の姿をした、右耳に肉厚な赤いリボンを留めたあの有名なキャラクター』が飼うペットは“チャーミーキティ”といって、雌のペルシャ猫であることを君は知っているだろうか?
つまりはそういうことだ。尊厳だとか人権だとか常識だとか、そういった「当然」をひとつ残らず排除してしまえば、やはり生きるとは酷くシンプルなことなのだろう。
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