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夜道には気をつけろよ。
アパートで帰りを待つ彼氏に言われたことを思い出しながら、音座多無香は真っ暗闇に包まれた公園の夜道を歩いていた。
バイトから帰るのに一番の近道であるこの広い公園には、夜の十二時にはもう人っ子一人姿がない。昼間の賑わいを取り戻すように、無香はワイヤレスイヤホンを接続したスマホで人混みのASMRを聴いて、この夜の静寂を紛らわせた。
この暗闇の中では、頼りない街灯のちかちかとした明かりに身を任せる他なかった。
「あーあ、今日もクレーマーばっかで疲れた」
こぼした愚痴が暗闇に吸い込まれる。よそ見をして欠伸をした時、どん、と前に進んでいた無香の身体が何かにぶつかり弾き返された。その拍子に、耳にはめていた安物のワイヤレスイヤホンがこぼれて暗闇の中に消えていく。
「も、申し訳ございません!」
驚いた無香の口から反射的に出たのは、バイトで一番よく使う言葉だった。無香は恐る恐る目の前にいるであろうぶつかった人物の顔を確認した。だがその表情は、暗闇の中で目立つ真っ白なフードに隠され上手く認識することができなかった。
その人物は大柄で、真っ白なフードつきマントに身を包んでいる。右手には銀色に光る大鎌を持っていて、無香の背筋が凍えた。
質の悪いコスプレだろうか? こんな夜に公園で? もしかして、悪戯?
ファンタジー世界から転移してきましたとでも言うかのような出で立ちに、無香の頭の中はこんがらがりはじめていた。
「オ……」
「えっ? ……え!?」
唸り声のような声音に、無香はパニックになりかける。最近同じような声をどこかで聞いたことがあった気がする。彼氏とゲームセンターでプレイしたゾンビと戦うゲームかもしれない。無香は自分を落ち着かせるために必死に思考を巡らせた。
「オ……オマエ……ヨコセ……!」
白いマントの人物──死神に似ているので今後はそう呼ぶことにする──が突如、巨大な鎌を振り上げた。無香は必死の形相で、大鎌が振り下ろされる寸前で地面を転がり避けた。大鎌は舗装された道に突き刺さり、無香は尻もちを着いたまま、両腕と両足をじたばたと動かして死神と距離をとる。
「ひ、ひぃ! やめて、私何もしてな……」
「オマエノせいで、オマエのセいでオレハ──」
死神は再び斧を振り上げる。無香はその素早い動きに間に合わないと顔をそらした。
だが、その大鎌が無香の身体を引き裂くことは無かった。
ごろごろころごろ、と、遠くから何かが転がる音が聞こえてくる。その音はだんだん大きくなり、やがて激しくなった。ついには、目をつぶったままの無香の目の前で、鼓膜が破れてしまいそうなほどの爆発音が静寂を勢いよく塗り潰した。
その爆発は、無香が毎週欠かさず見る大好きな戦隊モノの特撮の爆発とほぼ同じ派手さだった。
「なに……あれ」
無香が恐怖に飲み込まれたのは、爆発によってバラバラに飛び散った死神に対してではなかった。
みかん、とポップに書かれた平たいダンボール。それを大きな輪っかになるようにつなげられたものが、ごろごろと唸りながら、まるで芋虫のように蠢いている。
動いているということは、誰かがそのダンボールの輪っかの中にいるはずなのだが、その中に入っているはずの人物はよく見えない。無香の足が震えた。肉片になったコスプレ死神野郎などもう眼中になかった。悪夢を見ているかのようだ。──悪夢であって欲しかった。
「夜道には気をつけろよ」
ダンボールが唸った。無香は動けるようになった身体で必死に駆け出した。敵に背中を見せてはならぬというが、パニック状態の無香に冷静な判断をすることは不可能であった。
「助けて! 助けて平太っ!」
アパートの扉の鍵を揺れ動く手でなんとか開けて、部屋の中でテレビを見ながらくつろいでいた彼氏の波階平太に無香は飛びついた。
「な、なんだあ!? どうした無香ぁ!?」
「公園! 死神と変なダンボール! ダンボールがっ──!」
「落ち着け!」
平太は食べていたみかんの皮をゴミ箱に投げ入れ、よしよしと泣きじゃくる無香の頭を撫でる。
「私……私……怖かったんだから!」
「何だかわかんねーけど、お前が無事でよかったよかった」
「もうっ! 嘘だと思ってるでしょ!」
お前のこと疑うわけないだろ。平太が笑う。玄関に飾ってあった、手先の器用な平太がダンボールで精巧に作った勇者の剣が床に落ちる。
「だから、夜道には気をつけろっていつも言ってるだろ?」
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