ゆびさきとてのひら

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冷血無比のハーモニー戦士が養子を迎えたという話が、フューリィ基地に知れ渡った頃。 この日は非番、休日だった。銀は日課となったリヒトとの朝食を終えると、持ってきた小包を開けた。中に入っていたのは一足の靴。紺の布地にオレンジの紐────二週間前に注文していた、リヒトの新しいスニーカーだった。 「出掛けてみるか、リヒト」 そっけない父の一言にカップを置き、リヒトはうん、と頷いた。フューリィに来て初めて検査や会議とは一切無関係の外出をすることになる。適当に身支度を済ませて外に出る。この日は降雨装置の一斉点検の日で、よく晴れていた。 「私は暇ではないんだ、大尉」 「非番だろう。リヒトが混乱する。階級呼びはやめろ」 「では霧丘。朝っぱらから上官の業務を妨害し」掲げた端末画面には着信履歴が映っていた。その数、十二件。「わざわざこんな騒がしい場所に呼びつけた理由を、私が、納得出来る十分な説明をしろ」 額に青筋立てながら腕組みし、いらいらと端末を振るメイスフィールドが立っているのは噴水の前。広大な居住区域の東に位置する複合商業施設のメインストリート、そのど真ん中だった。 「仕事人間だな」 「ニア・ノアゼ予備軍保護育成計画(リヒトのこと)について根回しを進めている。休みなどあってないようなものだ。お前、他人事じゃないんだぞ」 言いながら前髪をかき上げ、メイスフィールドは肩を竦めた。 銀は細身のパンツにジャンパーというシンプルな出で立ち。リヒトはカーゴパンツに白いパーカーを着ていた。メイスフィールドはスラックス、シャツにセーターを重ねている。地上の季節は冬に差しかかったばかりだが、居住区内の気温や湿度は年間を通して殆ど変化なく調整されている。四季がある日本で育った銀にしてみれば年中春の陽気に居る感覚。暑くも寒くもなかった。 銀はジャンパーのポケットに片手を突っ込み、もう片方の手で雑にリヒトの頭を撫でる。 「リヒトと出掛けてみようと思ったんだが、俺は興味のない場所にわざわざ行ったりしない。ここにも初めて来た。あんたなら多少はよいところを知ってるだろうと思ってな」 「観光ガイドをしろと?」 「軍事施設で観光もクソもないだろうが、まあ、そういうことだ。新しい靴が届いたのに部屋に閉じこもってパズルを組むのは勿体ないだろう」 言われて視線を下げると、たしかにリヒトはあの目に痛い蛍光色のそれではなく、落ち着いたデザインのスニーカーを履いている。メイスフィールドは膝を折り、直立不動で剣呑なやり取りを眺めていたリヒトと目線を合わせた。 「調子はどうかな。リヒト」 「元気です、少佐」 銀がニヒルな笑みを浮かべて意地悪く呟く。 「名前で呼んでやれ、リヒト」 「お前、当人を置き去りにして……ああ、いいだろう。無礼講といこうじゃないか」 根負けしたメイスフィールドが苦笑を浮かべた。大人二人の癖のある笑顔にやや引くリヒト。 「……メイスフィールドさん」 「ふっ」吹き出す銀。 「『ミスター』はいらんよ、リヒト」 「メ、………………ジョシュ?」 「なあ、こっちの方が混乱しないか」 「たかが呼び方ひとつに何分かける気だ。とっとと場所を変えるぞ。人に酔いそうだ」 周りを行き交う人間達はリヒトを物珍しそうに見ている。あれが噂のハーモニー戦士の息子か、と野次馬気分の者も少なくない。EAFは外部に対しては厳重に情報規制されているが、その反動か内部での噂の広まりは恐ろしく早い。周囲を取り囲むように人の輪が出来ていく。銀は足早に通りを進み、リヒトはその後ろを小走りについていく。置いてきぼりにされたメイスフィールドは嘆息しながら二人の後を追った。 商業施設の敷地の端に、およそ三十ヘクタールの広さを持つ公園がある。人工の居住区域は攻勢高周波を遮断するため巨大なドームに覆われており、一切外の景色は望めない。現在建設中の地下居住区も似たような構造になるという。ドームの内側は高解像度液晶に覆われ、各天候を演出するための降雨・風雪装置も設置されている。EAFは全世界の科学技術を結集して大陸外に新たな生活圏を構築するに至ったが、逃げ場のない洋上でいつ終わるとも知れない戦いに身を置く者たちの閉塞感を少しでも解消するための対策は必須だった。また、いずれ地下に生活圏を完全に移設するために、区域の全てを埋めるわけにもいかない。自然の模倣と土地の有効利用の折衷案として考えられたのが緑地化、公園の敷設だった。 風速三メートル、そよ風が設定されている。気温は十七度。晴れ。遥か上空、青いドームに等間隔に設置されている天候演出装置に沿って何やら人影がうごめいているのが見える。点検と修理のため、技術者や整備士が二日ほどかけて作業するらしい。機械にやらせればいいものを、半ば実験的な装置を稼働させているため目視による点検が欠かせないのだという。何とも非効率的だ。 「父さん」 「ん?」 上を見上げながらぼうっと突っ立っていると、ジャンパーの裾が引っ張られる。リヒトがアイスティーの入ったカップを持っていた。無糖、ショートサイズ。喉が渇いたというのでワゴンカーの傍で待っていたのだ。受け取る。もう片方をメイスフィールドに差しだすリヒト。 「お前の分はどうした」 「待ってて」 踵を返すリヒト。どうやら先に自分達の分を確保したかったらしい。子どもらしくない気づかいに些か居心地が悪くなり、メイスフィールドと顔を見合わせたあと無言でストローに口をつける。戻ってきたリヒトはオレンジジュースを選んでいた。三人で道を外れ、公園の芝生を踏みながら東屋に向かう。 「こんな何もない所で一日潰せというのか、あんたは」 「どこに連れていくか迷ってる。よいところか、どうにも思いつかん」 「迷いは禁物だぞ」 「代替案を聞こうか?」 少し言葉を詰まらせてから、銀ははあとため息をついた。 「何故ここの娯楽は、あんなにもなものしかないんだ」バー、娼館、賭場。 「今は仮の居住区だからな。どうせ地下に全部移されるのだから、あまり本腰入れて図書館やら映画館やら建てるわけにもいかんのだろう。少し調べてみるか。西側は比較的落ち着いているらしいが……」 言いながら端末を取り出し、何やら調べ始めるメイスフィールド。銀は再びアイスティーを飲む。冷たくても口内に拡がる芳醇な香り。アールグレイ。 ふと傍らに視線を遣る。リヒトは周りをきょろきょろと眺めるでも駆けまわったりするでもなく、ただカップを手に銀の少し後ろを黙々と歩いていた。新しいスニーカーはよく馴染んでいるようで、特に歩きにくそうではない。そよ風に髪がふわりと揺れる。のぞいた瞳は静かに凪いでいる。 「…………」 公園の利用者はあまりおらず、数人が散策している姿がちらほら見える程度だった。誰かとすれ違うこともなく、小高い丘の上にやってくる。端末と睨めっこしているメイスフィールドをよそに、銀は庇の下に入りベンチに腰掛ける。リヒトは少し躊躇った後、人一人分のスペースを開けて隣に座った。 「暑いのか?」 「え、……」首を振るリヒト。 「そうか。足、痛くないか」 「大丈夫」 「そうか。……紐を結び直そう」 リヒトの足元に跪く。蝶結びが緩んでいた。紐を一度ほどき、輪を作る。ふらふらと揺れる、小さな足だなと思う。またほどけないようしっかりと二重結びにしてから、再びベンチに腰掛けた。互いの肌が触れるか触れないか、ギリギリの隙間が空く。 時刻は午前十時半。少なくとも昼は外で食べようと思っているが、それまでこの退屈な時間が続くと思うと後悔の念が湧かないでもない。しかし発端は自分なので我慢する。カップを手に前屈みになって景色を眺める。緑の芝生や街路樹は風になびき、人が少ないのでとても静かだ。よく晴れているが、庇の中から見る影はあまり濃くなく、まるで春の終わりのように穏やかだ。ここが人類の敵に立ち向かうための前線基地だということを忘れるほど平和で、気の抜けた景色。 ふと脳裏に浮かぶのは、この人工の空など比べ物にならないほど鮮やかに澄み切った、抜けるような青空。白い雲を引きながら飛ぶ、銀色に煌めく特殊装甲。愛機、フェリト。 風が頬を撫でた。はっと息を呑み我に返る。傍に息子がいるというのに、何を考えている。……いや、決して余計なことではないのだ。俺の生きる術そのものなのだから。だが今の俺は、なんだ。パイロットか。パイロットはこうして地に足など付けない。足。靴。新しいスニーカー。 銀はカップを握り締めたままひたすら前を向いているリヒトを見つめる。ようやく調べ物が済んだらしいメイスフィールドが二人を手招きする。 「さっきの複合施設だが、中にカフェと、小さいが書店がある。あと、ここから移動用ビークルで十五分だな。別の商業施設があって、そちらの方が割と充実しているようだ」 「なるほど」 「まあ、適当に見て回るか」頬をかき、腹を決めたらしいメイスフィールドが端末を仕舞う。 「根回しは後回し、か?」 「そう焦ることでもないと気づいたのさ。さて────しばらくここでのんびりしてもいいが、どうする」 「わっ」 唐突な叫びと共にリヒトの姿が視界から消える。慌てて銀が駆け寄る。丘の斜面で滑ったのか、リヒトは尻もちをついていた。 「大丈夫か」 脇に手を差し入れて抱き起す。服は少し汚れているが払えば落ちる。リヒトは顔を顰めている。 「手が痛い」 「手?」 よく見ると、手のひらに切り傷があり血が滲んでいた。草で切ったのか。 地面に屈み、銀はリヒトに背中を向けた。自分の手を後ろ手にやり、しばらくその体勢のままじっとしていたかと思うと肩越しに振り返った。 「何してる、早く乗れ」 意図を察したメイスフィールドが二人のカップを持ち、ほら、と促す。リヒトは腕を銀の首に回し、背中にもたれかかった。ぐんっと視界が高くなる。慎重に丘を下る銀。 「ここ、水道はないのか」 「施設まで戻るしかないな。手当できるか、スタッフに声をかけよう」 東屋の外に備え付けられたゴミ箱にカップを放り、メイスフィールドは看板に表示された施設マップを見ながらそう返した。リヒトは密着するのに抵抗を感じるのか身体をこわばらせていたが、銀が背負いにくそうに身をよじると恐る恐る力を抜いた。 「大して重くない。それより、じっとしてろ」 「……うん」 低い声が直接身体に響いた。怒っているような声音に掠れた声で応答し、リヒトは力なく項垂れる。歩道に出る。歩調を速めて先を行く銀を追いかけながら苦笑するメイスフィールド。 商業施設内には医務室があった。水で洗った後、消毒液をかける。切り傷はそれほど多くなく、軟膏と絆創膏を貼って終わりとなった。三人は医務室を出た。 すっかり意気消沈してしまったリヒトは、うつむいたままとぼとぼと歩く。項垂れる小さな頭をじっと見下ろしていると、メイスフィールドが肩をどついた。間髪入れずに何か言え。リヒトは聡い子だぞ、また気を遣わせる気か。 通路を出ようとするリヒトの前に回り込み、銀はぐしゃぐしゃと頭を撫でまわす。 「少し早いが、もう昼にしよう。午後から西区へ行く。どんな店があるか、食べながら見ておこう」 努めて明るく言ったつもりだが、リヒトは僅かに首を動かしただけで、目を合わせようともしない。下を向いて気づいた。スニーカーに土が付いている。湿っていたのか、こびりついている。 「……洗えば綺麗になる。気にするな」 その一言に顔を上げ、リヒトは泣き出しそうに顔を歪めながらこくりと頷いた。メイスフィールドの心配は杞憂に終わったものの、なんとも後味が悪い。手短に切り上げ、発言通り昼食へ向かう。 「カフェがあると言ったな。どこだ」振り向いて首を傾げる銀。 「三階フロアだ」 「行こう、リヒト。……出来るだけ高いものを頼めよ」 ちらりと後ろを見遣る。囁きにつられて顔を上げたリヒト。 「────おい。ガイドに財布係か、ふざけるな」 「逃げるぞ」 銀はリヒトを伴って通路を出る。面食らいながらも後を追うメイスフィールドに申し訳なさそうに頭を下げつつ、リヒトは父とともに通路を走る。くだらない鬼ごっこをしながら走る少年の眦には涙が浮かんでいた。銀は見ないふりをしつつ、彼の手首を掴んでエレベーターホールに向かった。 意地悪な企みを宣言した割には大した物を頼まず、むしろ早々と自分の食器を空にして、銀はデザートにチョコレートケーキを頬張る息子の姿を満足気に眺めた。食べ終わったリヒトに西区への行き方を教えるようメイスフィールドに告げると、隙を見て伝票をかっさらいレジへ向かう。濡れたタオルを手に戻ってきた。リヒトを座らせ、公園の時のように跪く。 「自分でやる……」 「じっとしてろ」 スニーカーを拭く。帰ったら改めて洗うつもりだが、目に見える汚れだけでも落としておく。カフェを出て、区間移動用・共用ビークルのステーションまで徒歩で移動。 戦士各人に休息はあれど、人類の敵を前に気を抜く暇のない前線基地ではもはや休日、平日といった概念すらあやふやだ。しかしカレンダー上では日曜日だからか人出は多いようだ。背の高い東洋人とガタイのいいイギリス人、その二人に少年が挟まれているという光景はかなり目立つらしい。好奇の視線と幾人かから掛けられる冷やかしの言葉をいなしながら、思ったより利用者の少ないビークルに乗り込んで一息つく。 西区はほとんどが管理施設や居住棟で埋まっているからか、他の区と比べてそれほど騒がしくはなかった。ステーションを出てほどなく到着した商業施設も例に漏れずどこか物静かな雰囲気。先程まで自分達が居た東区のそれと比べてだいぶ建物は小さい。しかし入ってみると衣料品店からフードコートに至るまで、比較的あらゆるジャンルの店が網羅されていた。 最初に一階フロアをぐるりと回ってから二階へ上がり、スポーツ用品店と、各国の菓子類や雑貨を扱う店で軽く二時間ほど潰す。その後吹き抜けのメインホールで一休み。大人二人はコーヒーを、リヒトはアイスクリームを味わいながら他愛もない話に花を咲かせる────はずだったのだが。 「だから、今から戦闘訓練をさせる必要はないと言ってるんだ。まだリヒトは十二歳だぞ」 「いずれ戦士になるんだ。歳など関係ない。必要はない? 随分と楽観的だな、少佐」 二人は向かい合ってリヒトの今後の教育について議論を白熱させていた。メイスフィールドは腕組みして顔を顰め、銀は今にもテーブルを叩き割りそうな勢いで食ってかかる。間に挟まれたリヒトは居心地悪そうにもそもそとバニラアイスを口に運ぶ。 「パイロットの士官候補生としてカリキュラムを組む手筈になっている。地上での模擬戦闘訓練は必要ない。少なくとも今は」 「仲間同士で刃傷沙汰になることも少なくないだろう。俺もあんたも四六時中リヒトの傍にいてやれるわけじゃない。ここには世界各国から様々な人間と思惑が結集している。あの教育メンバー達でさえ信用ならん。石橋を叩き、出る前に杭を打つことのどこがおかしい」 「少しは信用してやれ、彼らを。皆リヒトのために心を砕いてくれている」 「人間の優しさが絶対であれば、心変わり、なんて言葉も存在しない。あんたがやらないのならいいさ。俺がやる」 「ならん。曲がりなりにも計画の主導者としてお前と同じ責任を負っている。独断で何でもかんでも決めるな」 「俺は────」 「お前らしくないぞ、霧丘大尉。立場が二転三転している。もう少し状況を俯瞰して考えろ。何も歳だけが理由じゃない。我々と違ってリヒトは────」 身を乗り出したメイスフィールドの口にひやりと冷たいものが入り込んだ。飛び上がりそうになった彼の目の前で、銀も同様にスプーンを口に突っ込まれて目を丸くしている。 ホール内の人間がことごとく立ち去るほど殺気立っていた男達の舌をアイスクリームで鎮めると、リヒトはぎこちないながらも微笑みを浮かべて尋ねた。 「おいしい?」 バニラの甘い香りとリヒトのか細い声に毒気を抜かれた銀とメイスフィールドは、ゆっくりとチェアに腰を下ろした。口の中でアイスが溶け、喉をぬるりと流れ落ちていく。舌とともに頭が冷えた二人の間に気まずい空気が流れる。 「やれることは何でもしたい」 空になったアイスのカップを置き、リヒトが呟いた。銀が腕組みしたままのろのろと視線を向ける。 「でもこの前の身体テストの時、ものすごくつかれた。父さんの言う通り、たたかえるようにはなった方がいいけど、でも、今すぐはムリだと思う。ぼくには体力がない」 パーカーの袖を捲る。筋肉があるのかどうかもわからないほど、細い腕。 「…………」 そうだな、と言葉にはせず頷く銀。銀もわかってはいるのだ。だが長きに渡り培ってきたハーモニー戦士としてのプライドがそれをよしとしなかった。他人を信じず心開かず、己の腕と物言わぬ銀色の翼に全てをかけてきたのだ。 自分の懸念が、実際にはほとんど杞憂だということも銀は理解していた。それでも「不信」を息子に向けてしまうのは、しかしただの不安感によるものでは無い。今日一日で向けられた多数の視線、それらに含まれていた意図や感情。必ずしも好意的な者ばかりではなかった、当然ながら。メイスフィールドを呼び寄せたのは彼に言った通り案内を頼みたかったのもあるが、初めて衆目に晒されるリヒトの周りに、誰でもいい、何が起きても対処できるよう云わば警護役の人間が欲しかったのが正直なところだ。このフューリィで唯一信用のおけるメイスフィールドは現役を退いた今も軍人として極めて有能な男だ。何度か手合わせしたことがあるが、頭だけでなく拳も蹴りもよくキレる。 たとえパイロットであろうと、実戦に参加する以上体術や防衛術は漏れなく叩き込まれる。それでも銀は息子に何かあった時、自分一人で対処し切れる自信がなかった。 「……現状、身体に負荷をかける訓練は極力避けざるを得ない。補助装置のこともある。まずはそれが外せるようになってからだ」 「ああ」 言われてみれば単純な話だ。無理を強いて身体を壊しては元も子もない。銀は柄にもなく焦り醜態を晒した自分が情けなくなって唇を噛む。 何故こんなにも、いつもの自分と食い違う? 父親という立場に順応しようとすることで、自分の中になにか歪みが生じるのだろうか。だとしたら父親以前に、人間としてあまりに不安定だ。こんな男が人ひとり育てることなど、果たしてできるのか。 うつむき悔しげに顔をゆがめる銀の肩を叩き、メイスフィールドが立ち上がった。 「────だがお前の言う通り、護身のための手段は確保せねばな。着いてこい」 振り向かずに先を行くメイスフィールドに置いて行かれまいとリヒトも立ち上がる。項垂れる銀に振り向き、手を伸ばしてみる。その気配には気付きつつも銀は無視してさっと立ち上がり、行こうと呟いて顔を背けた。リヒトは所在なく空をさまよう手を下ろした。どちらからともなく歩き出し、言葉なく歩調を合わせてメインホールを去る。 特務飛行戦隊区等が集約されている軍事作戦行動施設は、居住区域とは違い既にそのほとんどが地下に収められている。 システム軍団の開発研究センターにやってきたメイスフィールドは、白衣ではなくカッターシャツにネクタイを締めた痩身の男に声をかけた。 「ヘイ、アレク。ちょっといいかな」 「おや……メイスフィールド。アポ無しとは珍しいね」 細いフレームの眼鏡をかけた男は親しそうな笑顔を向けて立ち止まった。 「急ですまないが、この前頼んでおいた件について話があるんだ」 「追加注文かな。ところで、そちらは」 「ああ、まずは紹介か。こちら霧丘銀大尉と息子のリヒト。二人とも、こちらはシステム軍団所属の開発研究センター所長、アレクシス・ガードナー中佐だ」 「やあ、初めまして。貴方の噂は聞いている。凄腕のネオアトラス・ドライバーだとか」 にこやかに右手を差しだすガードナー中佐。 「あたりまえだ」銀は握手を返さない。 「俺が乗っているのは戦闘機だ。完璧に操らなければ、シリルにやられる」 空気がピリつく。ガードナーは右手を頭の後ろにやりながらはは、と朗らかに笑う。お手上げだとでも言うように。 「ハーモニー戦士と対峙するのは初めてだが、聞きしに勝る自信家だな。いや、そうであってくれなければ、我々も虎の子を預けられない。……養子と聞いていたが、君もその素質があるようだ。気圧されてないね」 筋張った手がゆるやかに眼前に差し出される。リヒトは軽く手を握り、度の弱いレンズの奥の灰色の目を見つめた。 「どういったご要望かな」身体を起こし小首を傾げるガードナー。 「せっかくだから中佐、君のチームの腕を見てみたいと思ってね。出来るかどうか試したいことがある」 「なるほど」 ガードナーは三人を伴って研究棟の廊下をつっきり、ガラス張りの部屋に案内した。二重のドアを通り室内へ入ると、こちらは白衣を着た研究員らしき人間が複数居た。ガードナーはそのうちの一人、険しい目つきの日本人らしき男を呼び寄せる。 「トモサカ中尉、例の端末だがね、依頼主直々に仕事ぶりを見たいそうだ」 「ちょうど動作点検を終えたところです。いいですよ」 ガードナーは忙しいらしく足早に出て行った。トモサカと呼ばれた男は部屋のさらに奥、保管庫のように厳重なドアを開ける。中は暗い。密室。ぱっと灯った灯りは乳白色で、リヒトはほっとしつつも銀の服の裾を掴む。銀は軽くリヒトの背中に手を添えて、トモサカが持ってきたトレーの上を見た。 何のことはない、EAF所属の人間全員に支給されている端末だった。 「メイスフィールド少佐のご要望通り、少し小さく作りました。操作も単純化してあります。説明も全て画面で見られる。勿論、機能そのものに他と大差はありません。ただ個人識別ナンバーが霧丘リヒトの場合ありませんので、取得できるまではアクセスできる領域に制限がかかります」 「よろしい。だがもう一つ、これに追加してほしい機能がある」 「なんでしょう」 「武器だ」 リヒトを椅子に座らせていた銀は、はっとしてメイスフィールドを見た。 「武器……ですか? 十徳でも取り付けろと。戦闘機の増槽のように」 「それでは小さくした意味がない。殺傷能力は必要ないんだ。例えば、スイッチ一つで人一人を昏倒させられるような────何でもいい、護身(セキュリティ)機能を付けて欲しい」 「……」 顔を引きつらせて、トモサカは端末を見つめながら腕を組んだ。 「……ご指定の納期には間に合いませんよ」 「君の計画(プラン)を聞かせてくれ」 「彼が扱えるものとして思いつくのは」リヒトを見遣るトモサカ。 「スタンガン、催涙スプレーなどでしょう。しかし両方とも端末の故障に繋がる。咄嗟の攻撃には対応できても、その後助けを呼べなかったりGPSが機能しない状態に陥れば何の意味もない。物理的な攻撃にする必要がない……ノアゼのやり方を模倣します」 「ノアゼの?」怪訝な顔をするメイスフィールド。 「攻勢高周波。あれと類似した特殊な波長を発するシステムを組み込もうかと。彼は補助装置を使用しているため、影響が及ばないようテストは重ねます。干渉には低周波、攻撃ならば高周波が理想です。低周波の場合人体への透過性が高く、相手だけでなく自身の肉体にも危険が及ぶ。殺傷能力は必要ないとのことでしたが、あなたが想定しているのは後者ですね」 「ああ」 「となれば指向性高周波ともいうべき操作可能な電磁波システムを構築する必要がある。幸いにもノアゼに対抗するためその分野での研究も進められています。居住区のドームがその第一例です。あの規模だからこそ逆に実現できたが、個人に扱えるようにするとなると少々厄介だ。これは我々チームの力では出来るか怪しい。軍団内の他チームにも応援を仰がなければ。一朝一夕では無理です」 「こちらとしては急ぐつもりはないが、可能な限り早期に使用できるようにしてもらいたい。なんなら実験段階で渡してくれても構わない」 「リヒトの安全を確保するための開発じゃないのか。迂闊な物を渡されて、もしものことがあったらどうする」銀が凄む。 「……あくまで一時的に非殺傷攻撃、防衛範囲内での脳ないし肉体への干渉を行うということであれば、段階を踏んで出力の調整も行いましょう。無論、安全装置に関しては全ての工学の原則ですので、ご心配なく」 銀の失言ともいうべき意見に一瞬、顔を顰めたトモサカだったが、淡々と言い切り口を噤む。トモサカはメイスフィールドを胡乱な目つきで見据えた。 「早急に護身の術を得たいなら、それこそアクセサリー類を持たせれば済む話でしょう。わざわざ端末を改造することが、本当に必要ですか」 「君たちの腕は知っている。それほど時はかからんだろう。現に先日、アトラスの攻勢高周波遮断装置に関して二十六パーセントの機能向上に成功したと聞いている。前回の報告から半月と経っていない。驚いたよ」 「まだ実戦では使い物にならない」 「リヒトもまだ戦士ではない。選択は迷いと同義だ。咄嗟の時、迷う時間は短い方がいい。出来るだけ身軽でいさせたいんだ、トモサカ中尉」 柔らかな白い光の中、軽く伏せられた目元の影がやけに濃く見える。リヒトは父とは違う暗い雰囲気の男を見上げた。腕を組んでぎらつく瞳を向けていたトモサカだが、急にその目元が和らいだ。 「私にも息子がいる。リヒト。君の四つ上だ」 「そう」 「完成まで別の端末をお貸しします。緊急連絡用の回線を繋ぎましょう。もう既に設定は済んでいる。組み込む端末を変えるだけですからね。数分頂ければあなたの端末と任意同期できる、霧丘大尉」 「俺の認証ナンバーを勝手に渡したな……少佐」 「機密保持の原則に則って提供した。これもリヒトのためだよ」 「人の身内を、免罪符みたいに」 苛立ちをため息とともに吐き出して、銀はリヒトの後ろに回り込んでその頭に顎をのせた。そのままじっと、端末の画面を見つめる。暗い画面に映り込む自分の顔。リヒトの顔。全く似ていない、親子。 「あんたはここにいる。フューリィに。誰が息子を護っている。母親か」 「妻は去年ノアゼに殺されたよ。ニア・ノアゼ。今は兄に預けている」冷静に返すトモサカ中尉。 「人間が人間を護る。それが、あるべき姿だと────思うか」 「ヒトを脆弱だと一概に言うつもりはないが、使えるものは使うべきだ。人間にできないことは機械にやらせればいい。君は戦闘機のパイロットだろう。そんなこと、考えるまでもないはずだ」 「そうか────そう、だな」 顎を離し、リヒトの黒髪を梳くようにゆっくりと頭を撫でる銀。 「では、俺のこれは……傲慢だな」 機械を頼り、その力を以てノアゼを撃滅する。己を護る。だが────息子を護るのは自分でありたいと思うのは、そんな自分の信条とは矛盾している。機械知性体、戦闘知性体、ハーモニー戦士である自分の信条に沿って正しく在ろうとするならば、今胸に流れ込む不快感も、本来無視できるはずなのだ。 銀はリヒトの頭に留め置いた自分の手に顔を押し付ける。視線の先には端末。十二歳の少年の手に合うように作られた、小さな機械。これが彼を護る。自分ではない。 空の景色がすっかり夕方のそれへと変わる。西へ沈んでいく陽の光。少し人が増えてきた。帰宅する人間が流れてきたのだろう。遥か頭上ではヘッドライトを付けた人間が数人、相変わらず地道に点検作業を行っている。時折金属を叩くような音が聞こえる。 メイスフィールドとは共用ビークル・ステーションの前で別れた。手を上げてではな、と去って行くメイスフィールドを見送って、銀はリヒトと共に東区へ戻る。 帰る前に食料を買って行こうと、朝に寄った商業施設へ足を向けた。一階フロアの食料品店で適当に買い込んだ後、外に出る。噴水の前を通る。 「手はまだ痛むか。予備の絆創膏ならもらっているが」 「少し。でも、大丈夫」 「では帰ろう」 紙袋を片手に歩き出す銀。リヒトはコークの瓶を手に着いていく。周りは相変わらず人でごった返している。だがその人の多さが幸いしたのか、朝と違ってあまり無遠慮に視線を向けてくる人間はいなかった。ざわざわと騒がしい。色々な音がする。話し声、歩く音、金属音。 ふと、リヒトは足を止めた。 「どうした、リヒト」 「変な音がした」 「音?」 反射的にしゃがみ、引き寄せて周囲を見遣る。 「どんな音だ。どこから」 「上から……」 上を向きながら指さす。銀も上を向いた。 次の瞬間。 バガン、と分厚い金属の板が歪むような音がして、頭上のドームが爆発した。 銀色の破片が落下し、続けて水の塊がこちら目がけて降ってくる。 人々の悲鳴、混乱。銀は紙袋を投げ捨ててリヒトを抱き上げた。破片は大きいもので約三十メートル四方、水は目算で二千トン程度。パイロットとして鍛えてきた目はほぼ正確にそれらを捉えていた。降雨装置の貯水タンクはろ過施設と共に天井にあるのだ。 全速力で歩道を駆け抜ける。同じように逃げ惑う人間と、時折ぶつかりながらも足を止めない。あれに巻き込まれたらただでは済まない。下手すれば即死だ。 駆け出してわずか数秒後、さっきまで自分達が居た場所に金属板と、大量の水が轟音を立てて降り注いだ。地面に激突した破片がさらに細かく散って、周囲の人間を襲う。飛び散った鋭い欠片が銀の右腿を掠った。呻き声をあげてよろける銀。続けざまに、階段を降りてしまった二人に行き場を失った水が津波のように襲い掛かる。高台は遠かった。一方通行の歩道だった。銀の肩越しに押し寄せる大量の水を見たリヒトが、強くしがみつく。 「クソッ」 銀は息を吸え、と叫んだ。リヒトの頭を抱える。傾斜で勢いを増した水の塊が激しく背中を打った。流されながら身体を丸め、壁面に叩きつけられて気を失う。 気が付くと、日は暮れていた。 「父さん!」 びくっと身体が震える。首や胸がずきりと痛んだ。咳き込みながら顔を横にすると、タオルを掛けられたリヒトがこちらをのぞき込んでいた。そのまま首にしがみついてくる。 「リ、ヒト、はなれろ」 息が苦しい。だがリヒトは離れようとしなかった。ストレッチャーによじのぼってくる。銀はしばらくの間、混乱した頭で何が起こったのか状況を把握しようとしたが、上手くいかないので諦めた。 全身がむち打たれたように痛いが、両腕は動く。骨は折れていないらしい。ぶるぶると震える背中に腕を回し、抱きしめる。身体を起こそうとするとだめです、と救急隊員らしき男に注意された。観念してため息をつく。 震えの止まらないリヒトの頭を撫でながら、周囲のざわめきに耳を澄ます。 降雨装置の点検の際、電源回路が誤作動を起こしたらしい。点検のため落としていたはずが、突如回路が開通した。運悪く、ろ過装置を点検していた整備士や整備器具が装置に巻き込まれ、爆発して炎上。破損したタンクから水が流出し、商業施設付近の被害は甚大だという。自分達はモニュメントの台座の傍で転がっているところを発見された。リヒトはほぼ全身を庇うように抱えられていたため、軽傷で済んだらしい。 「大尉! リヒト!」 人ごみをかき分けてメイスフィールドがやって来た。 「無事だな、よかった」 「これが無事に見えるのか……眼科に行けよ、少佐」 「悪態をつけるなら十分だ。リヒト、お前、怪我はないか」 「ぼくは。父さん、父さん」 泣きじゃくるリヒトは上手く呼吸できていないようだった。ぽん、と背中を撫で、銀は救急隊員の制止を無視して上体を起こす。 「リヒト。一度息を止めろ。そう、そのまま……吐いていい。吸ったらもう一度、ゆっくり。そうだ、もう一回……」 徐々に凪いでいく。しゃくりあげるリヒトの濡れた髪をかき上げて、タオルで涙を拭く。全身の痛みが不思議とつらくなかった。 「もう大丈夫だ、リヒト」 ふるえが治まり、リヒトはようやく落ち着きを取り戻して顔を上げた。その両手が銀の頬にあてられる。冷たかった。こめかみに貼られたガーゼには血が滲んでいる。無傷ではなかった。指先をガーゼにあてる。 「……すまない」 リヒトは首を振る。 「父さんが」 灰色の虹彩が潤む。 「守ってくれたから」 感情を押し留める必要はなかった。頭から水が頬を伝っていく。それでもこんなあからさまな欺瞞、目の前のリヒトには通じないだろうが。銀はぽたぽたと顎の先を伝う水滴もそのままに、前のめりになった。 額を合わせると、互いの体温がじわりと広がっていく。リヒトの肌が熱い。風邪をひいているのだろうか。温かいものを食べさせ、眠らせなければ。 リヒトのカーゴパンツのポケットから、ずるりと端末が落ちて地面に転がる。メイスフィールドがそれを拾い上げ、無言で胸元に仕舞う。 小さなゆびさきを、大きなてのひらが包み込む。 風速三メートルのそよ風が、父と少年の涙を散らせて吹き抜けていった。
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