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「おめでとう亜弥ちゃん。兄さんも? じゃあ、またあとで」
亜弥への祝いと、克巳への曖昧な科白を残し、敦史は出張先へと出かけていった。
玄関まで敦史を見送りに出て客間へ戻り、熱いお茶を淹れ直す。座卓を挟んでふたり向かい合い茶を啜る。たったそれだけの行為が気恥ずかしく、何処か擽ったい。
ちょっと席を外すと出ていった女将は、ちっとも戻って来ない。気を利かせてくれたのはありがたいのだけれど、あとで根掘り葉掘り聞き出されるのだと思えば、亜弥の心境はかなり複雑だ。それでも。
女将を筆頭にどうせ先輩たち全員が、手ぐすね引いて待ち構えているのだから、揶揄われるのも一度で済むからありがたいと思うべきか。
一度は克巳とふたりでの挨拶は必須だろう。頭の中で藐然と予定を立てながら茶を啜る亜弥に、克巳は目を細める。
「検診だったって、女将から聞いたよ。身体は、大丈夫なのか?」
「うん」
克巳が心配を口にするのは、亜弥の身体について。それはそうだろう。亜弥自身だってまだ妊娠している実感は薄い。況してやそれを知らされたばかりの克巳に父親としての自覚を求めるほうが無理な話だ。
「ほら見て」
亜弥はバッグから、今日病院でもらったばかりの超音波写真を取りだし、克巳に見せた。
息が掛かるほど近くに、真剣な面持ちで説明に頷き写真を凝視する克巳が、いる。
いまこの時があるのは、桃子、女将、先輩たち、そして、克巳と、敦史にだって。皆に助けられているからこそ。
これを幸せと言わずしてなにを幸せと呼べばいいのか。
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