46人が本棚に入れています
本棚に追加
胸騒ぎ
静江は、葉桜となった4月の某日、自宅に近い原田駅を降りて市民センターの門を叩いた。
ポスターでみた『吊るし雛教室』にやってきたのである。
「いらっしゃい」男性の朗らかな、いい声がした。
「ああ、お電話いただいた河原さんですね。ようこそ」
「河原です。はじめまして。突然、お邪魔していいのかしら?」
「もちろんですとも。わたくし、講師をしています田中京一郎と申します」
静江は固まった。
(なんて素敵な先生・・・。俳優さんみたいなお顔立ち。柔和な瞳、清潔感のあるジャケット、スッと真っ直ぐな姿勢、それに何より声が素敵!)
LEDのまばゆい光が室内に広がっていて、講師・田中京一郎は静江には神々しく見えた。
教室の中には、数人の同世代のような女性が車座になってテーブルで作業をしている。
「さあ、河原さん、消毒を済ませたらあなたはここに座って。今日から数日間は私が直接、作業をお手伝いしますから」京一郎のイケボが静江の耳に響く。
「いいんですか? こんな私に・・・?」静江は恋に落ちた。
「なにを仰る。初めてなんですから当たり前じゃないですか」
「は、はい・・・」静江の顔は赤く火照っている。
「誰もが始めは緊張するもんです。さあリラックス、リラックス」座ろうとする静江の肩に京一郎の手がのしかかる。
(触られた・・・)静江はますます顔が赤く染まった。
「さて・・・、つるし雛の世界へようこそ。つるし雛とはですね・・・」京一郎の説明が始まったが、静江にはほとんど頭に入ってこない。
「河原さん? 河原さん?」
「は、はい・・・」
「どうかされました?」
「いえ、何でもありません。私もぜひ作ってみたいと思います」
「それでは、今日は、記念すべき初日ですから、余った布地で繭玉なんぞ、作ってみましょう」
(この胸の高鳴りはなんなの? 高校生の頃の初恋の相手に告白したときのよう・・・)静江は熱に浮かされたようなまま、言われるがままに手を動かした。
あっという間の2時間だった。
最初のコメントを投稿しよう!