胸騒ぎ

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胸騒ぎ

静江は、葉桜となった4月の某日、自宅に近い原田駅を降りて市民センターの門を叩いた。 ポスターでみた『吊るし雛教室』にやってきたのである。 「いらっしゃい」男性の朗らかな、いい声がした。 「ああ、お電話いただいた河原さんですね。ようこそ」 「河原です。はじめまして。突然、お邪魔していいのかしら?」 「もちろんですとも。わたくし、講師をしています田中京一郎と申します」 静江は固まった。 (なんて素敵な先生・・・。俳優さんみたいなお顔立ち。柔和な瞳、清潔感のあるジャケット、スッと真っ直ぐな姿勢、それに何より声が素敵!) LEDのまばゆい光が室内に広がっていて、講師・田中京一郎は静江には神々しく見えた。 教室の中には、数人の同世代のような女性が車座になってテーブルで作業をしている。 「さあ、河原さん、消毒を済ませたらあなたはここに座って。今日から数日間は私が直接、作業をお手伝いしますから」京一郎のイケボが静江の耳に響く。 「いいんですか? こんな私に・・・?」静江は恋に落ちた。 「なにを仰る。初めてなんですから当たり前じゃないですか」 「は、はい・・・」静江の顔は赤く火照っている。 「誰もが始めは緊張するもんです。さあリラックス、リラックス」座ろうとする静江の肩に京一郎の手がのしかかる。 (触られた・・・)静江はますます顔が赤く染まった。 「さて・・・、つるし雛の世界へようこそ。つるし雛とはですね・・・」京一郎の説明が始まったが、静江にはほとんど頭に入ってこない。 「河原さん? 河原さん?」 「は、はい・・・」 「どうかされました?」 「いえ、何でもありません。私もぜひ作ってみたいと思います」 「それでは、今日は、記念すべき初日ですから、余った布地で繭玉(まゆだま)なんぞ、作ってみましょう」 (この胸の高鳴りはなんなの? 高校生の頃の初恋の相手に告白したときのよう・・・)静江は熱に浮かされたようなまま、言われるがままに手を動かした。 あっという間の2時間だった。
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