下弦の月は真夜中に嗤う

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叫ぶより早く、玄関のドアが開く。 大きな音。そして揉み合うような不吉な音が聞こえてくる。 ドン。という鈍い、人が倒れこむ音。 そして壁が叩かれる。 二度、三度と繰り返すうち、叩く力が弱くなる。 咄嗟に舞彩!と叫びそうになるのをこらえた。 狙いは俺だということは明白だ。 慌てて服を下だけ着る。 わざわざ敵に俺の居所を教える必要はない。 少しだけドアを開き、リビングの様子を隙間から伺う。 どうする? 出方を待つか? 廊下で誰かが這っている。 床の擦れる音が近づく。 誰だ。 しかしここからでは何も見えない。 耳をすまして、かすかな(うめ)き声にまじり、俺を呼ぶ声がする。 「正ちゃん……助け……」 舞彩! 舞彩の声だ! 俺はドアを開き廊下に出る。 フッ── その瞬間、 一筋の息が胸に吹きかけられて痛みが走る。 理解できなかった。 何が起きているのか。 玄関で倒れているのは、彼女……義姉(あね)だ。 なぜ。 そしてもう一人、こちらへうつぶせて、両肘を立てて構えている。 細長いスチールパイプのような円筒型が俺に向けられているようだ。 後ずさって、胸に生えているものを見る。 いや刺さっているのだと気づく。 細い注射器。 舞彩…… 舞彩がゆっくりと立ち上がる。 意識が朦朧としてくる。踏ん張りが効かずに力が入らない。 痺れが襲う。 一歩、後退しそこなって転ぶ。 そのまま、仰向けの体を起こすこともままならない。 力が抜けてしまう。 フッ── 先程聞こえた息使い。 今度は右胸に刺さる。 吹き矢だ。 舞彩……なぜ…… 舌が痺れ、声にならなかった。 「さようなら。お義兄(にい)様」 その一言で全てが、俺の世界がひっくり返って歪む。 そういうとこか。 はじめから仕込み(・・・)だったのだ。 詐欺グループの主犯はまだ捕まっていない。 あの、さっきから引っかかっていた既視感が蘇る。 よく似た背中をしていると、ずっと感じていたのは気のせいではなかったのだ。 最初から全て、彼女の手のひらで泳いでいた。いや泳がされていたと気づく。 喰われるのは俺なのだ。 消される。 それでも俺は、舞彩なら悪くないと思ってしまう。 いくつかの必然が絡み合い、(もつ)れて俺たちを雁字搦(がんじがら)めにしてゆく。 俺たち兄妹が、歪な家族の形を整え始めている。 それならそれでいいだろう。 地獄に落ちて焼かれよう。 吊り下げの照明が揺れ、彼女の屈み込む顔に陰影をつける。 乳白色の明かりがぼやけ、視界がしだいに閉じてゆく。 (まぶた)の裏に焼きついた、彼女のつくる笑顔は、まるで現実味がなく、下弦の月が(わら)いながら浮かんでいるようだった。
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