下弦の月は真夜中に嗤う

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水を得た魚は、水に恋することなどないように、俺たちは自然の成り行きにまかせ、ただ居心地の良い場所に落ち着いただけ。 そいうことなのだろう。 多くを求め過ぎず与え過ぎす、差し引きゼロで終わるよう、満たされないものを別のなにかで満たすための遊戯(ゲーム)相手。暗黙のルールで均衡を保ち、俺たちはお互いをあえて意識しないようにして、誰にも知られたくないアクアリウムで恋愛を束縛してきたのだ。 心が乾かぬよう(にご)さぬよう、泳ぎ泳がされ。 ──ふと、どちらが水でどちらが魚なのか……と疑問に思う。が、どちらでもいい。うまくもない例えを自問している馬鹿馬鹿しさに気がついて、頭から去なす。 「これ。あなた欲しがってたから」 目でそれを指し示す。 見ると、キングサイズのベッドに似つかわしくない、大きなダンボール箱が寝そべっている。 長方形の平たい箱。その中に包まれている中身を、俺は一目でピンときた。 絵画だ。 額縁ごと入っているとみえてかなり大きい。サイズは20、いや15号だろうか。 「運ぶの大変だったわ」 そう言いながらも涼しげにシャンパンを飲み干す。 「開けても?」 「もちろん」 箱の蓋をゆっくりと引き上げると、緩衝材越しに見えるバレリーナが一瞬、エドガー・ドナの作品に見えた。 しかし違う。目を凝らしてよく見ると細部が違っている。印象派のタッチだが、明らかに時代が新しい。構図もモデルの装飾も、ドガの時代に描かれたものではない。 窓の手すりに手を乗せ、屈んでいるところを描いたものだ。 俺が知る限り初めて見る。 木造建築の窓──恐らく日本家屋──から入る日差しを受け、モデルの華奢な肩から背中にかけての曲線美が、鮮やかに表現されている。そしてその先に続く顔の表情が、残念なことに紗が入ったような陰影でよく分からない。しかし、 「綺麗だ」 俺は思わずそう口にしていた。 不覚にも、と言うべきかもしれない。 この絵の芸術的な魅力を認めざるをえなかった。惹きつけるものがある。 それが何なのか、わからなくてもどかしい。描き手による情熱なのか。モデル自身の魅力なのか。 ただし、それは忌むべき存在を除いて(・・・・・・・・・・)の話なのだが。
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