下弦の月は真夜中に嗤う

5/11

4人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
「あなた見たかったんでしょ?これ。もともと私が大事にしていたものではないし。いいわよ。好きにして」 かねてから話に(のぼ)っていた(くだん)の絵。俺が見せて欲しいと、前々から打診していたものだ。 できるだけ平静を装って、(たず)ねる。 「いいのか?母親から譲り受けたものだろう?」 「ええ。どうぞどうぞ」 と言いながら、グラスを置く。俺の肩越しに擦り寄り、髪を撫でる。 内心をまさぐられるようだ。 この絵は元々、彼女の母親が所蔵していたという。 その出自を聞いて俺は、自分の探しているものでないと悟った。 むしろ俺は嫌な予感さえしていた。 やはり見るべきではなかったのかもしれない。 複雑な感情が、心の(ひだ)(かす)めて(うず)く。この絵を見た瞬間に湧いた純粋な感動や、描き手の執念や、モデルに(こも)静謐(せいひつ)な情熱が、俺の中で溢れ交わってゆく。 このモデルが、どことなしに引っかかりを覚える。 けれど次に沸き起こる強い感情が、それをかき消す。 怒りだ。 そして憎悪。 俺の血を再び(たぎ)らせる熱い復讐心。憐憫に似た、しかし同族嫌悪の感情。 俺は、この作者に実際に会ったことはない。 しかしこいつ(・・・)をよく知っている。 贋作師──門山(かどやま) (らい) これ(・・)は、俺の親父(オヤジ)が描いた絵に間違いない。 ◇ 十八の夏まで俺は、オヤジは死んだと聞かされてきた。 しかし俺の母親が死の病に伏せ、いよいよという時になって初めて、オヤジが生きていると打ち明けられた。 自責の念に耐えかねてなのか、とつとつと、母親は告白した。 生まれて間もない俺と母親を裏切り、若い女を連れて逃げたこと。 養育費が定期的に贈られてきたこと。 もし俺の身に何かあった時、『門山 磊』という絵師を頼りなさいと。 いまさらそんなことを聞かされても、なにも感じなかった。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加