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「『千里眼事件』の始まりは、明治42年のことだ。私たちが今いる福岡の南、熊本の宇土郡に、御船千鶴子という女が現れた」
「あ、その名前聞いたことありますよ! オカルト雑誌に載ってました」
「ほう、どのように書かれていたのかな」
「えっと確か……一時は透視で世の中を湧かせたけど、最後には自殺した悲運の超能力者、って感じに紹介されてたと思います。福来? とかいう心理学者さんと、一緒に実験をしたとか」
つい昨日……あれ、この間だったかな。それとも1週間前だっけ? よく覚えてないけど、最近読んだ雑誌の筈だ。妙に朧気な記憶を辿りながら答えると、七緖先輩が「くっくっく……」と喉を震わせて笑った。
「オカルト雑誌という時点で、その扱いは推して知るべしだね。とはいえ突拍子もない嘘は書いていないようだ。君が口にした、福来という人間。彼は明治日本の心理学者で、『千里眼事件』の鍵となる男なんだ」
『御船千鶴子』『福来友吉』と、2つの名前を先輩が黒板に書き留める。更にその間に白い線が引かれた。2人の繋がりを意味しているのだろう。
「当時、日本では催眠術が流行っていた。民間における流行ではあったが、それでも新聞には特集欄が組まれるほどで、学者たちもその動向を注視していたんだ。御船千鶴子が現れたのは、そんなタイミングだった」
「……そんなの、注目されるに決まってますよね」
「ああ。現に注目された。御船千鶴子の実験には、福来を初めとする心理学者だけでなく、物理、医学、宗教、哲学……実に様々な分野のエキスパートが参加したんだ。学問の専門化が進んだ昨今の世の中では、なかなか見ることの出来ない光景だろうね」
「実験、って言いましたけど、具体的にはどんなことをしたんですか?」
「錫の箱に名刺を入れて封印し、その文字を当てる透視の実験や、箱に入った写真乾板に指定された文字を焼き付ける念写の実験などが行われたそうだよ。他にも色々使ったらしいが、主にこの2つだ」
なるほど。でも、それって……。
「超能力っていうより……手品っぽい気がします」
「その疑いは捨てきれないし、現に実験は厳密な物ではなかったよ。それが後々、問題になってくるんだ」
丁度そこで、お湯が沸いた。「おや」と呟いた七緖先輩が、棚から二人分のカップを取り出す。ティーパックを入れ、お湯を注げば、ティータイムの準備は完成だ。
「手伝います」
「いいよ。今日はそこに座ってなさい」
立ち上がろうとした僕を手で制して、七緖先輩がカップを置く。次いで、投げて寄越される茶菓子。ハッピーターン。紅茶に合うかは若干の疑問が残るが、七緖先輩は絶対に合うと主張している。
「……さて、紅茶を飲みつつ続きといこうか。御船千鶴子の実験は、完璧なものではなかったが、それでもある程度の成功を収めた。新たな『千里眼』能力者、長尾郁子の登場も重なって、千里眼肯定派は勢いを増していった。だがここで……ある『事件』が起きたんだ」
七緖先輩が顔の前で尖塔形に手を組んだ。辺りに独特の緊張感が漂う。
先輩は最初、千里眼『事件』という言葉を使っていた。千里眼『実験』じゃなかった。ということは……ここからが話の本番だ。
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