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この声を耳にするまで、いったいどのぐらいの時間がたったのだろう。
実際はほんの数秒のことなのだろうが、雪乃にとってはひどく長い時間に感じられた。
朦朧としていた意識がだんだんはっきりしてきた雪乃は、
「いや、いいよ、私は」
気づけばチャラ男くんの提案を断っていた。
「どうして?」
が、チャラ男くんは、3歳児みたいにやたらと理由を知りたがる。
「だって、また変な噂が立ったら面倒なだけでしょ」
雪乃があえて事務的な口調で答えると、チャラ男くんは「ははん」と不敵な笑みを浮かべてから、また真顔になって、
「だったら噂じゃなくすればいいじゃん。それだけのことだ!」
でっかい会社のお偉いさんみたいに堂々とした態度で手を差し出しているが、雪乃にはその言葉の意味がぴんとこなかったし、握手に応じる理由も見当たらない。
雪乃がぽかんとしていると、
「俺ら、本当に付き合っちゃえば、噂じゃなくなるってことだ!」
チャラ男くんは通訳するみたいに言った。
ああ、そういう意味ですか――
って、チャラ男くん、それは強引だし、唐突だし、非現実的かつ軽率な発想だし、それに何より、極めて危険度の高い行いだ。
そもそも陰キャの脳内用語辞典には男と付き合うなんて言葉は存在しないのだし、それに種元さんに喧嘩を売る気もなければ、彼女に殺されたいという願望を持ってもいない。
そう、私は陰キャであるのと同時に、消極的な平和主義者なのだから。
しかも天寿を全うしたい派だ。
さらに補足すべきは、いくら目の前の男がチャラいとはいえ、顔面偏差値に開きがあり過ぎる。
だから、私となんて釣り合いが取れるわけがないのだ。
雪乃は自分の心にそう念を押していると、
「ねえ、いいアイデアっしょ?」
チャラ男くんはなおもゴリゴリ押してくる。
こんなにも押しが強い人がこの世の中にいるのが不思議だった。
でも、こんなにゴリ押しされたら、うっかり根負けしてしまいそうだ。
って、いやいやいや、いかんいかん。
自分が今いる場所はあくまで三次元の世界なのだ。
これが二次元だったらな……なんて思っちゃいかんいかん。
そもそも、目の前の男は、自分が仮に陽キャであったとしても選ばないだろうな、というタイプの男だったはずではないのか――
これでは完全なる自己矛盾だ。
ぶれるな、自分!
雪乃は、今にもお花畑に飛び出しそうになっている、もう一人のおめでたい自分を諭すと、
「あんたと私じゃ釣り合わない。あんたを追っかけている陽キャ軍団に脅迫されるだけだ」
冷静に言葉を返した。
「はん? そんなんかまわねえ、俺が守ってやんよ! それに俺と雪乃ちゃん、じゅうぶん釣り合うし。だって俺らふたり共通点あんだろ?」
雪乃ちゃんって、あんた、下の名前も知っていたんですか……。
まあ、それはさて置き――
「共通点って……意味わかんないんだけど」
「だって、雪乃っちもラクダ好きじゃん」
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