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だれもいない。あの彼もいない。わたしだけの空間。
はらはらと空中で舞い、音もなく地面を桃色に染めていく。その脇にはミモザがそっと黄色を添え、その鮮やかな視界が途端に揺れていった。
こみあげてくるものを堪えていたつもりだった。学校では泣きたくなどない。それでも、生暖かいそれを止める術がもうわからない。頬に伝っていく涙を拭い、ずずっと鼻をすする。
ここで彼に会うときだけ、わたしは別の世界にいられるような気がした。
仄暗い檻なんかじゃなくて、この春のやさしい景色のように、心が綺麗にそそがれていくような感覚だった。
この先どうしていったらいいかわからない。なにが正解かもわからない。
わたしの中にある春が消えていく。灯りが小さくなって、目の前が真っ暗になりかけたそのとき、一陣の風が全身を突き抜けていった。
ざっと上履きが擦れるような音がして弾くように顔を上げれば、乱れる桜の中で恋焦がれる存在が視界に飛び込みハッとした。
純度の高い黒髪とえんじ色のネクタイ。硝子玉のような瞳がわたしを静かに捉えていて、咄嗟に視線を外した。
指の腹で頬を乱暴に拭き取っては、たどってきた道へ戻ろうとくるりと回転する。
足がもつれそうになる。動かし方がわからない。でも前に──
「これってなんの花か知ってる?」
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