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 ぼくの名前は近藤和也、小学四年生。以前は明るくて人気者のぼくだったんだけど、一年前に大好きなお父さんを交通事こでなくしてからは、ずっと悲しくって、それまでのように楽しい話や面白い出来事を見たり聞いたりして笑う、ということができなくなってしまった。やさしくて強かった、大好きなお父さん。お父さんの仕事が休みの日は、よく家の近くの公園でキャッチボールをして、そのあとお母さんには内しょで、スーパーでソフトクリームを食べたりしたし、二人だけでご飯を食べに連れて行ってくれたこともあった。お父さんは、たまに夜に寝ているぼくを無理やり起こしたりしたんだけど、そんなときは決まって車を何分も走らせて山の上に行って、都会では見られない満天の星を見たりしたものだった。星を見たあとは、家に帰ってきてお父さんの大きなうでにだかれながら、ギリシャとかいう遠い国の、遠い昔の神様たちの話を聞いてねむるのが大好きだったんだ。  そんなぼくのヒーローだった、大好きなお父さんがとつぜんいなくなってしまった。会社からの帰り道、歩行者用の信号が赤信号で、青になるのを待って立っていたら、おじいさんが運転する車がお父さんをはねた、ということだった。運転していたおじいさんはぼくとお母さんに泣きながらあやまっていたけど、ぼくはそんなことをしてもらってもお父さんが帰ってくるわけでもなく、だから早く目の前からいなくなってほしい、と思うだけだった。お母さんも何も言わなかったから、同じ気持ちだったんだと思う。けい察の人からは、おじいさんがアクセルとブレーキをふみ間ちがえた、と聞いたんだけど、ぼくにはなんのことかさっぱりわからなくって、ただただ悲しいだけだった。  お父さん、とよんでももう返事は返ってこないんだ。あのやさしかった笑顔ももう見ることはできないし、キャッチボールもできない。ご飯もいっしょに食べられないし、星を見ることも、そして一番好きだったお父さんの大きなうでにだかれることも、もう二度とないんだ。  ぼくはお母さんの前ではぜったいに泣かなかった。だって、そんな姿を見せたらお母さんはさらに悲しんでしまう。それでなくても、お父さんがなくなって一年たった今でもお母さんは、よく目を赤くしている。ぼくには泣いているところを見せなかったけど、だからぼくだってお母さんに泣いてるすがたを見せるわけにはいかないんだ。  でもね、でもぼくだって悲しくて悲しくてたまらない。もう一度お父さんに会いたいって、ムネがきゅーってなるときもよくある。だからそんな時はいつも一人でトイレの中で、声を出さないようにして泣いてるんだ。  ぼくにはもうひとつ、お母さんにないしょにしていることがある。それは学校で、内山ってやつにイヤがらせをうけていること。あいつ、低学年のころはおとなしくって目立たないやつだったのに、四年生になって体が大きくなってきたと思ったらとたんにいばるようになって、まわりのほかのクラスメイトたちをたきつけて、おとなしくてなにも言わないぼくをみんなでからかったり、悪口を言ったり、時にはたたいたりするようになったんだ。でもぼくは言い返すことはできなかった。お父さんが生きていたら、そうだんもできたし、守ってくれる人がいてくれると思えば、そんな内山たちと対決することもできたかもしれない。でもいまのぼくは、悲しくて悲しくてしかたなかったから、対こうする気力がまったくわかなかった。そしてだから内山たちは、ぼくが何も言わないことをいいことに、やることがだんだんエスカレートしてきて、いまじゃクツをかくされたり、じゅぎょう中に消しゴムを投げつけられたり、こないだなんかとうとうイスの上に画びょうをのせられて、知らずにすわったぼくはあまりのいたさに声も出なかった。もちろん画びょうはすぐに取ったんだけど、じんじんするいたみは家に帰るまでずっとつづいてて、帰ってからカガミでみたらおしりがぽんぽんにはれあがってしまっていた。  でもやっぱりそれは、だれにも言えなかった。言っちゃいけなかった。だってそんなことを聞いたらお母さんが悲しむにきまってるから。ただでさえお父さんのことで、毎日悲しい思いをしているお母さんを、これ以上悲しませるわけにはいかないんだ。
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