庶務課特別係

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庶務課特別係

 支所は、まるっきり普通の民家だった。入ってすぐ右側に階段があるが、左側はキッチンだ。プロパンガスのコンロが2口と流し台、冷蔵庫、食器棚、電子レンジ、トースターがあった。  ガラス戸の向こうは6畳間で、テレビとこたつ、電話とパソコンが乗った小さい折り畳みの机が見えた。  その向こうにガラス戸があり、風呂場とトイレと洗面所があった。  2階は6畳間が2つと、裏にベランダがある。  まずは家の中をひと通り案内され、荷物は2階に置いておく。 「ここは場所柄、近所が大事だしな。まずは挨拶からしておこう」  そう言う前任者に連れられて、再び外に出た。 「ここのお寺は、極楽寺。御住職と奥さんと跡継ぎの息子さんがいてね。息子さんは片山君と同じくらいかな」 「へえ」  言いながら、ガラリとドアを開けて、中に向かって声をかける。 「徳田さあん」  流石に普通の民家よりは、玄関も広いし、廊下も広い。そして、香のいい匂いがした。 「はあい」  そう言って小走りで出て来たのは、人の良さそうな、上品な女性だった。 「後任の人が来たから、挨拶にね」 「まあまあ」 「初めまして。ま――片山璃々と申します。よろしくお願いいたします」  私は危うく松園を名乗りかけたが、旧姓を名乗って頭を下げた。  奥さんは上品でにこにこと優し気で、若い頃はさぞや美人だっただろうと思うような人だった。  続いて出て来た住職もにこにこと穏やかそうな人で、怒った事がないのではないかと思うくらいの人だった。  本堂からは読経の声がしており、跡継ぎだという息子の永世さんは、お勤めの最中らしい。それにしても、惚れ惚れとしてしまうようないい声だ。  名残惜しいが、次へ向かった。  駐在所だ。駐在さんは宮本さんといい、奥さん共々、おっとりとしていた。  その次は万屋で、小東さん。元気で明るく、世話焼きなタイプらしい。食料品も日用品も、大抵の物はここにあるという。  次は和菓子屋の、菅井さん。和菓子のみならず、洋菓子、総菜、弁当も売っているらしい。大らかな人だった。  次は内科、整形外科、小児科、外科、耳鼻科などの医院をしている原山さん。大人しい好青年という感じで、大学から派遣されて来たそうだ。  次は農家をしながら箱罠猟をしているというお婆さんの双子姉妹が住む家だった。もう90を超えているらしくて、小柄で腰も軽く曲がっているが、生き字引だという事だ。  次は東海地方から移住して来た小説家の上川さん。あまり売れてはいないようで名前も知らないが、昔はベストセラーを書いたらしい。突然アイデアがひらめいたらメモを取ったり想像してブツブツ言い出したり笑い出したりと、変わった人だという事だった。  これがこの村の住民達だ。  そして、支所の裏庭にまわる。 「あそこに大きな木があるでしょう」 「ええ」 「あそこがこの山の頂上なんですけどね。あの木の根元に大きなうろがあって、その中を毎日チェックして下さいね」  言われて、木の根元を見る。  昔、創業者がここで妹達とかくれんぼをしていた時、うろの中に隠れた妹さんが姿を消し、神隠しだと騒がれたそうだ。  そしてこの部署は、いつかあのうろの中に妹さんが戻って来ないか確認するために作られた部署だ。  聞いた時は冗談かと思ったが、本当だった。  たまに妹さんが夢のかたちで現れて貴重な助言をするとかで、この部署は存在し続けているのだ。 「じゃあ、よろしく」  言って、前任者はカバンを持った。 「え。どこに行くんですか」  ギョッとして訊くと、前任者は、 「せっかくだから、少し先にある温泉に泊まって東京に帰るよ」 と嬉しそうに言った。 「……温泉、ですか」  すると彼はしまったというように、慌てて言い直す。 「ほら、腰が痛くて交代を頼んだしね。温泉で治らないかなあと」  どうせ、こんな何も無い田舎から早く出たいだけだというのはわかる。 「そうですか。お大事になさってください」 「じゃあ、引継ぎ終了だね。後はよろしく」  そう言って彼は確かな足取りでアスファルトの道を右に歩いて行った。  右に……。 「ああ!訊くの忘れてた!」  私は慌てて追いかけて、このアスファルトの道が、下のバス停の近くにある小中学校の横に続き、車で上って来られることを聞いた。  最初に私が上って来たのは、旧道らしい。 「最初に教えておいて欲しかったわ。こっちの方が緩いなら。  ああ。ふくらはぎがパンパン……」  ブツブツと文句を言いながら支所に戻って行くと、読経が止んだところだった。  そして何気なく本堂を見た。  どんな人があの声の持ち主なのか、と。 「え」  スラリとした長身に涼し気で整った顔の、青年だ。 「あれは、バス停の前で会った……」  目が合った。 「上り易い道があるなら、教えてくれれば良かったのに」  腹を立てるのは間違いかも知れないが、ムカッとした。顔がいいのが余計に腹立たしい。別れた夫は、イケメンと呼ばれた顔だったのだ。  青年は庫裏へと入って行き、私も支所に入った。 「はああ」  これからここで、業務開始だ。どうなる事やらと、溜め息が漏れた。
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