新生活

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新生活

 トラックが荷物を社宅から運んで来たので、それを支所の中に運び入れる。  とは言え、筋肉痛が酷い事もあり、最低限のものをダンボール箱から出しただけで荷ほどきは中止だ。  というのは言い訳で、元夫を思い出すものが出て来るのが嫌なだけだ。 「まあ、どうせ私1人だし。誰も来ないし。次に出て行く時に楽だし」  独り言が支社の中に響いた。  本当に独りなんだと、しみじみと思う。新生活という言葉には、大抵の場合プラスの感情がこもっている事が多いが、そうとは限らないのだと学習した。  ぎこちない歩き方で洗濯物を干し、階段に座ってふくらはぎを揉みながら、そうっと周囲を見た。  昨日の夜に聞こえた物音は、今はない。  あれは何だったんだろう?泥棒か何かが侵入しようとしていたとか?  外に出て、玄関や窓を確認したが、ピッキングの痕らしきものは無かった。 「じゃあ、やっぱり……」  幽霊か、と思ったが、口に出すのははばかられる。  が、声がかかった。 「やっぱり何ですか?」 「ぎゃああ!」  反射的に叫んで飛び上がったら、ふくらはぎが思いのほか痛かった。 「おはようございます。すみません。驚かせるつもりはなかったんですが」  笑いながら頭をかいているのは、原山先生だった。 「あ、いえ、考え事をしていたものですから……はは。おはようございます」  引き攣り笑いを浮かべた時、寺の青年がほうきを持って姿を見せた。 「あ、永世君。おはよう」  それに青年、永世君は軽く頭を下げた。 「おはようございます」  私も挨拶をしておく。 「おはようございます」  原山先生が、ニコニコとして言う。 「それで、何かあったんですか。お困りごとなら、遠慮なく言って下さいよ。  それとも、とうとう幽霊でも見ましたか」 「え!?」  ギョッとした。ここ、出るのか!?  永世君は軽く嘆息した。 「それより、歩きやすい靴がいいですよ。ここでヒールなんて」  それで全員が私の足元を見た。  昨日はヒールだったが、今はスリッパだ。が、社宅で使っていた、ヒールのあるスリッパだ。  社宅という所は、難しい所だった。リラックスできるはずの家なのだが、服装や履物やメイクなど、ありとあらゆる事が会社の延長線上にあり、人目が気になって気になって仕方がない。  もし、おかしな服装でうろうろしているのを見られたら、翌日には会社で面白おかしく噂が広がっているだろう。  なので、つっかけといっても、オシャレなやつをはいていたのだ。  確かに、ここでヒールの靴をはいていると、歩きにくくて仕方がないだろう。 「そうですね。ヒールのないもの……ジョギングシューズならあったはず」  2万3千円のやつだ。 「小東さんのところにスリッパがありますよ」  原山先生が親切にそう言う。 「じゃあ、あとで見に行ってみますね」 「それより、昨日は変わった事はありませんでしたか」  内心、ギクリとする。 「原山先生は本当に好きですねえ」  永世君が苦笑するのに、原山先生は笑って応えた。 「へへへ。幽霊とかあの世とか天狗とかってロマンでしょう。天狗伝説のある村に派遣って聞いたから、飛びついて志願して来たんですよ?見たいじゃないですか」 「天狗伝説?」  私は聞き返した。 「はい。ここには昔から天狗が住んでいるそうなんですよ。それで、天狗が財宝を隠しているというのがひとつ。もうひとつは、天狗の住む異界に通じる扉が隠されていて、それを通って異界へ行けるというものです。  深夜とか早朝に、この村に来ているんじゃないかと」  原山先生が声を潜めて言うのに、ドキッとした。 「深夜……」  ガサゴソという物音を思い出す。  まさかあれは、天狗がうちの屋根に上がっていた音?  いや、まさか。そんなバカな。天狗なんて。異界?小説じゃあるまいし。  でも、神隠しというのが、その異界へ行ってしまったものだとしたら?  そうだ。神隠しなら、あった。  私は反射的に、山の頂上に立つ大木を見た。
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