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「良いんですか?」
天宮くんはやっと僕の瞳をひたと見つめた。最近は目すら合わせてくれないこともままあって、僕の方が精神を病んでしまいかけていた。
「ああ、一向に構わないよ。店仕舞いになる前に行こう」
僕がそう言って立ち上がると、天宮くんの細くしなやかな腕を掴んで立ち上がらせる。
天宮くんに断られたらそれこそ、瓶にでも詰めて、連れ出す思いであった。
そんな非現実な事を思い至ってしまう僕は、どうやら精神に支障をきたす程に、天宮くんを手放せなくなってしまっているようであった。
天宮くんと連れ立った僕は、早速懇意にしている書店に向かった。
夏の夕暮れはまだ空が仄かに明るい。文明開化の波に飲み込まれつつある街並みには、点々と白い光を放つガス街灯が灯され、黒塗りの四輪駆動車が街を颯爽と走り抜けている。
僕たちは一軒の古びた書店に入ると、夥しい数の本に埋め尽くされた本棚の間を縫うように進む。
店内の奥には、やや頭の寂しい中年の店主が書物に視線を落としていた。
「やぁ、あの本はもう届いているだろうか?」
僕が声を掛けると、店主が不機嫌そうに顔を上げたのち、ハッとしたように相好を崩す。
「これはこれは、坂間さんじゃあー、ありませんか! えぇ、もちろんご用意してありますとも」
普段は客を鬱陶しがるような卑屈な素振りを見せるくせに、まるで忠犬よろしく変わり身の早さには常々呆れていた。
店主が後ろの棚から本を二冊取り出すと、「しかしまぁー、また何とも趣の違う本ですなぁ」と言って下劣な笑みを浮かべた。
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