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「天宮くん。そろそろ湯屋に行かないかい? その後にでも、君に見せたいものがあるのだが」
僕は視線をうつ向けて、唇を真一文字に結ぶ天宮くんの背にそっと手をやる。僕はとっておきの場所を知っていて、天宮くんをそこに連れ出そうと試みていた。
「……見せたいものですか?」
天宮くんはやっと視線を上げると、不安げな表情で僕を見上げる。
「そうだよ。さぁ、準備し給え。僕も部屋から手拭いやら持ってこよう」
僕たちは立ち上がると、それぞれ準備を整える。それから二人で連れ立って、湯屋へと向かった。
湯屋で身を清めると、外はすっかり夜の帳が下りていた。街灯や店からは宝石のような光が道々を照らし出している。その中を、二人で肩を並べて歩いていく。
ある一定の場所を曲がり、木造の建物が建ち並ぶ住宅街を通り抜ける。
「何処に行くのですか?」
終始無言のまま歩みを進めていたせいなのか、天宮くんが声に不安を滲ませる。
「もう少しだから辛抱したまえ」
僕は雨宮くんを宥めつつ、住宅街を離れた木々の立ち並ぶ林の中に歩みを向ける。
頼りとなるのは月明かりだけだ。足元もおぼつかない中、何とか目的の河原へと辿り着く。
ダイヤモンドを散らしたように光る水面。水の香りを含んだ暖かな風の中を、フワリと漂う翡翠色の小さな粒。
「綺麗だろう? ちょっとした穴場なのだよ」
宙を舞う蛍と幻想的な川面の写しに、天宮くんは呆気にとられた顔でその光景を見つめていた。
「僕はね、これと言って浪漫主義でも耽美主義でもなかったのだよ。でも、君と出会ってからというも、こういったのも悪くないと思い始めてきたのさ」
「……坂間さん」
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