彼岸の桜

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 春の彼岸に地元に帰ったのは、もうすぐ臨月を迎える妻を里帰りさせるためだった。  妻は高校の後輩なので、互いの実家もわりと近い。僕の実家が博多区で、妻が城南区。いま住んでいる関東と比べれば、目と鼻の先と言いたいくらいだ。  妻を無事に送り届けて、一晩泊めていただき、帰りがけに実家に立ち寄った。  父は定年後も非常勤で働いているそうで、不在だった。母と父方の祖母といっしょに、手土産の月餅とお茶を楽しむあいだも、話題は来月生まれる子どものことに終始する。特に母は初孫に興奮しているらしかった。  僕が、子どもが生まれても妻の実家に押しかけないようにと母に釘を刺したあたりで、祖母がしわくちゃの両手をぽん、と軽く打ち合わせた。 「えいちゃん、ちょお見てくれんね?」 「いいけど、何を?」  問いかけると、祖母はよろよろと立ち上がり、居間を出ていく。僕は母と顔を見合わせ、ひとり、祖母についていった。  祖母は自室として使っている六畳間に僕を招き入れ、文机の前まで歩いていった。見ると、文机のうえには、古びて黄ばんだ新聞紙と、お札や硬貨がたくさん散乱している。 「どうしたの、これ、ばあちゃん」  驚いている僕に、祖母は座布団を勧め、自分も腰をおろした。 「ひ孫が生まれるけん、整理しよったんちゃ」  祖母が新聞紙と五百円玉を一組、僕にさしだしてよこす。 「これのあんだんもん」  その新聞には、僕の生まれた日の日付が入っていた。一九八九年(平成元年)五月十日(水曜日)。硬貨はと見ると、やはり、平成元年の文字がある。 「もしかして、これ、みんなの?」 「そぉ」  短く言ってうなずき、祖母はそれぞれ組み合わせて見せてくれた。伯父が三人、伯母がふたり、父、僕を含めた孫が十四人。二〇〇〇年生まれの従弟のお金は二千円札で、少しうらやましい。オリンピック記念硬貨もあるし、カラフルで小さい紙幣もある。五十銭紙幣というらしい。  新聞のほうはもっと面白かった。写真が白黒なのはもちろん、見出しのセンスが古めかしい。広告欄はレトロに彩られ、写真ではなく、手書きの人物画が入っていることもある。  大正生まれで今年九五歳にもなる祖母も、親に同じようにしてもらったんだとか。でも、祖母の新聞は大空襲のときに持ち出せず、焼けてしまったのだそうだ。 「それで、どうしてこれ、ぜんぶ出したの?」  尋ねてみると、祖母は脇によけてあったクリアファイルを振って、不満げにしてみせた。 「ページの足らん」  二十ポケットつきのクリアファイルでは、二十一人目の新聞が収められないというわけらしい。 「じゃあ、倍くらい入るの買ってくるよ。ちょっと待ってて」 「うちも来る」  いやいや、それじゃあ、買い物してから、帰り着くまでに何時間かかることやら。苦笑いした僕に、自分も行くのだと言い張って、祖母は支度をはじめる。お気に入りのポシェットに小銭入れを収め、ハンカチ、ティッシュ、口紅を詰め、ついでに保険証も入れる。  僕は諦めて、母に出かける旨を伝えにいった。経緯も伝えると、母は「お疲れ。頼んだ」と、僕に敬礼してよこした。  福岡の春の彼岸は、たいてい桜の時期と重なる。咲き初めから、満開までがちょうど一週間ほど。卒業式には遅く、入学式には早いのは、結局、日本全国どこでも同じだ。  いつか手編みした地味な色のベストを着込んで、背を丸くかがめて、ポシェットを揺らしながら、祖母は歩く。杖も歩行器もなしでの歩行が可能なのは、かなりすごいと思う。  桜並木の下、日陰はまだ肌寒い。僕らの前を、よちよち歩きの子どもとお母さんが手をつないで、ゆったりと散歩している。永遠に追いつきそうにない。ひとは、年をとると、子どもに近づくんだなあ。 「ばあちゃん。ひ孫が生まれたら、いっしょに散歩しようね」 「生まれるまで、生きていられるかいな?」  思わぬ弱気な発言に、僕は目を見開き、祖母の背をそうっと撫でた。 「来月だよ? ゴールデンウィークが始まるより早く生まれるよ、きっと」 「初産は遅れるもんちゃ」  妻も、そういえばそんなことを言っていた気もする。四月末の予定日だから、子どもの日生まれになるかもね、なんて。 「それでも、ひとつきなのは変わらないよ。元気でいてよ。ひ孫の誕生日の新聞と硬貨、とっとくんでしょ?」  励ましながら、近くの文房具屋までの道のりを、のんびりと祖母の隣を歩く。  新しいクリアファイルには、大正生まれの祖母の手によって、昭和と平成と令和が並ぶのか。  予定外だったお花見を楽しみつつ、僕は、子どもが無事に生まれて、祖母がひ孫に会えれば、なんだっていいやと、微笑みながら、また一歩、前に踏み出した。
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