幻のバナナクレープと染井吉野の夕暮れ

1/10
9人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
迎えになんて来なくていいと言ったのに、改札の向こうで穂香(ほのか)は待っていた。 淡いピンクベージュのスプリングコート、チュールのスカート。アーモンド型の瞳は相変わらずぱっちりと大きくて、マスクをしていても一目で穂香だとわかった。 綺麗に巻かれた髪を揺らして、私の姿を見つけるなり駆け寄ってくる。 「咲紀(さき)っ、会いたがったぁ!」 穂香が私の名前を呼ぶのも、津軽弁のイントネーションも、直接聞くのは久々のことだった。 くすぐったいような、少し煙たいような懐かしさが胸にあふれて、私はスーツケースのハンドルを軽く握り直す。 「穂香、元気そうでよかった。式直前の花嫁は忙しいって聞くから」 「んだよお、でももうほとんど終わったはんで大丈夫!」 半分しか顔が見えないのに、満面の笑みなのがわかる。マスクも不織布ではなく、小花柄のレース素材が使われたものだ。 一分の隙もなく愛らしさを纏った姿は、こんな田舎ではむしろ武装のようですらある。私とは正反対の方向の武装。 「新幹線混んでた?」 「ううん、全然」 「んだよねえ。宮城とかも今、増えちゅうしねえ」 懐かしい駅構内を二人並んで歩いていく。ガーリーまっしぐらの穂香の隣で、きっと私はバリバリのキャリアウーマンにでも見えているに違いない。 学生時代から貫いているショートヘアに、白シャツにスキニージーンズ、黒いパンプス。マスクまで黒だ。 穂香とは何もかも真逆なのに、一緒にいるとなぜかしっくりきた。高校時代から数えてもう十年、私たちはずっとこう。 駅の外に出ると、新幹線の窓から見た通り、空は晴れ渡っていた。時刻は四時をまわっているが、まだまだ明るい。 ついさっきスマホで見た天気予報によれば、明日も夜まで晴天だそうだ。さすが晴れ女の穂香。穂香と出かけて雨に降られた記憶はほとんどない。 青森県弘前(ひろさき)市。桜とリンゴくらいしか自慢できるもののない土地に、私は実に丸二年ぶりに帰省した。 触れる空気が東京のそれより明らかに澄んでいる。酸素の濃度がたぶん全然違う気がする。大きく吸い込むと、自分が伸び盛りの木の芽にでもなった気分だった。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!