幻のバナナクレープと染井吉野の夕暮れ

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私たちは今日、一緒に弘前公園を散歩する約束をしていた。 駅から普通に歩いて三十分程度。バスに乗ってもよかったけれど、天気が良いし、私も穂香も歩くのは苦にならないたちだ。積もる話も二年分たっぷりあった。 桜の時期には駅前のこの道も観光客で賑わうが、「さくらまつり」の開催は四月下旬、まだ二週間ほど先である。何より、今年も例年通りの開催は難しいだろう。 日本一とも謳われるあの見事な桜たちを目にする人の数は、去年ほどではないにしろ、少ないに違いない。 「東京はもう桜咲いてらべ?」 「咲いてるどころか、散り始めてるよ」 「わい。日本ってホントに縦長なんだなあ」 青森では、花見といえばゴールデンウィークにするものだ。桜の時期が関東と丸一ヶ月もズレている。 入学式や卒業式の思い出が桜に彩られたことは一度もなく、むしろ毎年その時期は冬将軍が最後の粘りを見せてくるのが恒例だ。 中学の卒業式なんて豪雪で、通学路を歩く最後の日だというのに、雪に埋もれて情緒の欠片もなかった。 大学進学と共に地元を離れた私は、三月のうちに咲く桜に、いつの間にかすっかり慣れた。しかしずっと弘前にいる穂香には、桜の季節はあの頃と同じように巡ってくる。 その一ヶ月のタイムラグが、なんだかとても大きなものに私には思える。 「え、穂香のお兄さんも結婚したの?」 「そう、秋に甥っ子生まれてさあ。もーはぁ、めんこくてめんこくて」 「じゃあ穂香、叔母さんじゃん」 「んだよお。お年玉あげちゅう」 言葉だってそうだ。私は数年かけて津軽弁のイントネーションを直した。大学でできた友人に訛りをいじられたのが嫌だったのだ。母と電話で話すのさえ憂鬱な時期もあった。 ここではどんな美人も、カーストトップの女子高生も、濁点だらけの津軽弁を喋る。 穂香ののびのびとした津軽弁を聞いていると、必死で矯正した自分がすごく間抜けだという気さえしてきた。
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