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一揆の果てに
村はずれに祀られた地蔵菩薩の前を過ぎると、道は青田を切り分けるかのように峠へと向かっている。その道がつづら折りの坂道に変わる辺りから道の脇には熊笹が群生し、その所々から延びた穂には紫色の小花がひらいていた。
「おお、笹が花をつけとるな」
「これが笹の花かいね。わいは初めて見るわい」
「そうよな、笹が花をつけるのは数十年に一度と言われとる」
朝から焚き木採りにでも行くのか背負子を担ぎ、腰には鉈を挿した親子の農夫が、興味深げに熊笹の穂を眺めている。
「わしが以前に、この花を見たのは確か二十歳を過ぎた頃やった」
「ほな、二十五年ほど前のことか」
「そや。他所は知らんが、この辺りの土地では熊笹が花をつけると凶兆の前触れやと伝わっとる。あの時もこの花が散った後に大雨が降り、下手の村々では家や田圃が水に浸かったな。おまけに前の年と同じで夏の日照りが少のおて、二年続いての不作やった」
「そら酷い目にあっとるな」
「わしらは、お救い米を下されると思おておったが、なんと年貢は川普請のためやと増やされ、おまけに川の土手が決壊したとこを普請する役目まで仰せつかってしもうた」
「そやったら、この村からもぎょうさん駆り出されたのか」
「そや。一軒に一人若いもんを出せとゆわれ、わしも出ることになった。そやけど、わしらは普請場で飯にありつけたが、残ったもんは大変やった」
「食うもんが無かったか」
「村によってちごうたが、わしの親や妹、弟はうす粥に山菜や山芋なんぞを入れてしのいだそうや。家や田圃に水が浸かった村なんぞは、蛇やカエルまで口にして、爺婆の中には餓死したもんも出たそうや」
幕府が江戸に開かれ百年を過ぎた頃であった。京の北方にあり、譜代の大名が領主を務める小藩が飢饉に襲われた。それは天候不順に加え、領主が幕府の要職に就きたいがために、身代を弁えず散財した人災も加わったことでもあった。天候不順を予測し、米価の高騰に供え蓄えていた米を大坂へ送り金に換えてしまっていた。自らの藩が災害に合うとは思いもよらず、その時には供出できる米が藩蔵には残り少なかった。
「川普請が終わり、何とかこの年の取り入れも済んだが、少ない収穫のほとんどを年貢に取られてしもうた。それで年が替わると、いよいよ食うもんが無くなり、この頃には不穏な空気が漂っていたんや」
「それは一揆かいな」
「そや」
下手の村々から回って来た一揆の触状がこの村にも気運を高め、百姓や小作が庄屋を突き動かすことになった。そこで庄屋の庄兵衛は、指定された五日後の夕間暮れに隣村の神社を訪った。神殿前の広場には大きな焚火が燃え、この藩における全村の庄屋十五名が焚火を囲んで集まっていた。その後背には近郊の村々から来た人々が、広場の辺地に群がり、悲壮な面差しが火に照らされて浮かんでいた。酒が一回りした所で、庄兵衛の義父となる隣村の庄屋勘助が神殿の階に立ち、叫ぶ様な声で全員に呼びかけた。
「お集まり下され、誠に有り難き次第にございます。昨年から村々の窮状は、お知りおきの通りであります。藩の為さりようは、誠に気儘なお処置であり、このまま捨て置けば益々死者は増えるばかりにございます。我等、先祖代々この地と人々を守り、暮らしを支えて参りました。今のように人の命を守ることが出来ないならば、立ち上がることも吝かにございません。ここに一味同心し、この窮状を藩に訴え、改心頂く手掛かりに致したくお願い申し上げます」
「おー、よう申された。ここに集まった一同に他意を申す者はおらぬはず。団結してことを図ろうではないか」
神殿に近い所にいた者から声が上がると、「そうだ」、「そうだ」の声があちこちから掛かり、熱気を帯びた顔が階の勘助に向かっていた。
「藩への嘆願状は、年貢の減免、種もみの無償供与、救い米の供出、借財の免責としております。これに同意頂けるなら、私の記名の横に続けて下さい。尚、同文の書面を三通準備しております。これは提出人が倒されたり、また受け取りを拒否され破り捨てされた場合の予備であり、従って、三名の者が持参することに致します」
「よう判りました。用心に越したことはおません」
五十路になっているのであろう落ち着いた別の者が答えた。
「それともう一つ、一味同心の誓を熊野牛玉宝印に裏書しておりますので、それぞれが記名を願います」
一人一人が神殿の階に置かれた嘆願書の記述と、誓を破ると神罰が下ると信じられた牛玉宝印の誓詞に目を通し、それぞれに名を記している。最後の一人が書き終えると、神殿の鈴が激しく打ち鳴らされ一同が拝礼した。そこで牛玉宝印に火が点けられ、瞬く間に燃え尽きた灰を大きめの杯に移されると、そこに供えていた神水が注がれ一同に回し飲みが行われている。これは一味神水と言われた儀式である。
「これで決起の儀式は滞りなく終えることが出来ました。明後日の吉日の夜明けを期して、半鐘、太鼓を打ち鳴らし、これを合図に城へと向かいます。集合場所は城下の大通り。ただ、我等は盗人の集団にあらず、近隣の商家への打ち壊しは禁令とします。それでは大願成就を期して、心を一つに立ち上がりましょうぞ」
集まった人々の口元から「おー」と、地鳴りを思わす声が漏れていた。
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